サルバドールの復活(上)(下)

サルバドールの復活(上)

サルバドールの復活(下)

『サルバドールの復活(上)(下)』

ジェレミー・ドロンフィールド/越前敏弥[訳]

Jeremy Dronfield“Resurrecting Salvador”/translated by Toshiya Echizen

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫

版元:東京創元社

発行:2005年10月14日

isbn:(上)4488235077

   (下)4488235085

本体価格:各940円

商品ページ:

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 2002年に訳出されるや、各誌のランキングで軒並み上位に輝いた傑作『飛蝗の農場』の著者の、同書に続いて発表された第二作。

 大学時代、同じコテージで起居を共にした三人は、やはり同じコテージで学生生活を送っていたリディア・ハットンの葬儀の席で七年ぶりの再会を果たした。心の底から愛しあったギタリストであるサルバドール・ド・ラ・シマルドと様々な苦難を超えて結ばれ幸福を手にしたはずのリディアだったが、伝え聞く死因は、ド・ラ・シマルド家がフランスに構える城郭の尖塔から飛び降りる、という凄惨なものだった。七年のあいだに、リディアの身に何が起きたのか? かつての友人のうちの二人、ベサニー・“ベス”・グレイスターとオードリー・クインタードは葬儀の直後、サルバドールの母に招かれて、フランスのド・ラ・シマルド家の城郭を忠実にイギリスに再現した居城を訪れる。やむを得ぬ事情から城に宿泊する羽目になったベスとオードリーは、様々の奇妙な出来事に遭遇するのだった……

 上下二巻のヴォリュームに及び腰になってしまう人も多いだろうが、読んでいて厚みはほとんど感じさせない。含蓄に富みながらも過剰に知識をひけらかさず、イメージを喚起する力に恵まれた文章に、抵抗する間もなく引きずり込まれていく。風邪のために他にすることがない、という状況で読んでいたからとはいえ、下巻の三百ページほどを休む間もなく読み耽ってしまったのは作品の力だろう。

 しかし、正直に言って上巻のあいだは、いったい何を中心に話を進めているのかも解らないまま文章だけが積み重なっている印象がある。しかも視点人物をひとりに絞ることなく、文章のスタイルまでも様々に変えていくので、余計に照準が絞りづらい。冒頭でまず葬儀に参列したかつての友人三人、そしてサルバドールの母マダム・ド・ラ・シマルドと視点が立て続けに入れ替わる。その調子でしばらく進むと、今度は過去の物語が入り交じり、果てにはベスの恋人イアンの視点や彼や関係者が著したと思しい短い散文までが混入してくる。変幻自在の文章は、やもすると読み手の興を削ぎかねないのに、本書では寧ろ謎めいた状況に更なる謎を積み重ねて重厚感を齎す役割を果たしている。それまでと違った内容が突然提示されると、いったいどの人物、どの展開と絡むものなのか、という興味を呼び、結果的に作品の牽引力を更に引き出しているのだ。

 この多角的な描写が、登場人物たちの人間像に膨らみを齎しており、それがまたひとつの読みどころとなっている。脆弱さが傍目には繊細さや可憐さに映るベス、極端な個人主義が利己主義と見分けのつかないレベルに達し独善的だが憎めないオードリー、不器量で万事要領が悪いが友達思いであることは確かなレイチェル、そんな彼女たちの記憶のなかで綴られ、やがては自らの言葉で語りはじめるリディアに、サルバドールを筆頭として彼女たちの人生に容喙する男性達などなど、様々な視点から綴られる彼らの立ち居振る舞いは、誰ひとり完璧ではないがゆえに魅力に富んでいる。その多面性がまた、序盤では焦点を欠く物語に彩りを添え、ミステリアスな雰囲気を醸成することを手伝っている。

 解説で指摘されている通り、長いわりに基本構想は単純なのだが、それを単純に見せない重厚さに親しみやすい筆遣いとを共存させて、大部を支えるに値するプロットに仕立て上げてしまった手腕が凄い。それだけに、単純さが鼻についてしまうと評価が下がる作品でもあるが、いずれにせよ端倪すべからざる技倆を証明する作品であることは間違いないだろう。そう遠くない将来、当代屈指のストーリーテラーと呼ばれうる才能だと思うので、気になる方はその厚みに気圧されることなく手に取っていただきたい。

 ――ああ、でもこれだけは注意を促しておくべきかも知れない。流麗さと下世話さが程良く溶けあった筋の果てに待ち受ける真相は、けっこう悪趣味ですよ、と。人によっては様々な理由で不快感を抱くかも知れない。私は、大歓迎だったが。

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