『地獄少女』第二十六話 かりぬい

 やっとこ観ました最終回。何故だかずっと躊躇しておりましたよ。

 怨みを果たそうとした罪が問われて、自らがふたたび地獄送りにされるところだった閻魔あいだったが、軛を解いて復讐に赴く。彼女はつぐみに、母親の死の真相を告げ、柴田を相手に復讐するよう唆すのだった……

 まあ、断片的に聞こえてきた情報から、結末の展開は想像がついていました。しかし結局のところ、背景の脆弱さが作品から説得力を奪っている、という結論に変わりはなし。閻魔あいの誕生の秘密にしてもいまいちインパクト不足で、それと重なるべき柴田親子の背景にもいまいち説得力が足りない。いや何より、この状況からなんで閻魔あいが地獄送りの使者に選ばれ、それが浄罪の努めとなるのかが一向に理解できません。こういう設定なら私怨で他人を地獄送りにすること自体禁忌扱いされるはずで、中盤の幾つかのエピソードは矛盾を来すと思うのですが。

 一方で、最終回としての構成は悪くなかった。閻魔あいの怨みと柴田親子の過去を二重写しにして、あいはつぐみの心にあるはずの、母親を奪われたことへの怨みを刺激し柴田に対する復讐の依頼を促す。そうすることで自らの怨みも果たそうとする計画性と、こちらは現実としてもあり得る言動をうまく用いて、柴田親子の心境の変化を描いて大団円へと運んでいく、その構成は悪くない。ただ――ただ、それを説得力のあるものにするはずの背景の描き方が雑であるのが難だというだけであって。

 また、柴田が初登場したときのあの恐喝めいた行動は何の伏線だったのか、という疑問もある。あれがある以上、柴田はずっと何者かに復讐される恐怖を抱いていて然るべきという気がします。そうすると、自らの命を保証するためにも、死ぬまであいを監視する必要があるのであって、あの結末のあとであっさりとあいと縁を切る、ということも出来ないでしょうに。――ていうか、あれがなければ、必ずしも柴田の描き方って間違いではなかったように思うのですが。結局のところ、シリーズ構成に当初から穴があった、という結論になる。終始存在意義の解らないままだった三人組も含めて、やっぱりシリーズものとしては評価しがたい。

 この最終回で何よりも評価できるのは、シリーズ全篇通して最高レベルに到達した作画レベルです。このときを待って全力を注ぎ込んだのがよく解るクオリティには素直に敬意を表します。映像演出の面でも、影の多い映像に玄関いっぱいに拡がるあいの目、といった細かな技が、作画の質の高さと相俟って見応えがありました。

 果てしなくツッコミどころがあること、そしてあいを中心にして部分的にやたらと作画レベルが高かった点など、結果としては文句を言いつつも楽しませてもらったのですが、いい作品でも他人様にお勧めできる出来でもなかったよな、というのは覆せません。既に第2期の制作が決まっているそうですが、もうちょっとキャラクターの役割や“地獄送り”という行為の位置づけ、シリーズ全体の構成などを予めがっちり決めて挑んで欲しいものです――

 ……って、俺は次も観る気なのか。

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