隠し剣秋風抄 [新装版]

隠し剣秋風抄 [新装版] 『隠し剣秋風抄 [新装版]』

藤沢周平

判型:文庫判

レーベル:文春文庫

版元:文藝春秋

発行:2004年6月10日(2004年12月10日付6刷)

isbn:416719239X

本体価格:590円

商品ページ:[bk1amazon]

 海坂藩に暮らす剣豪たちの悲喜こもごもを、穏やかかつ端整な筆致で描き出す連作短編、『隠し剣孤影抄 [新装版]』に続く第二集。酒に狂った男に下った上意討ちの命の顛末を描いた『酒乱剣石割り』、婚約を誓った女を若君に召し上げられることに逆らえず佯狂となった『陽狂剣かげろう』、山田洋次監督・木村拓哉主演の映画『武士の一分』の原作である、盲目となった武士が妻を騙した男に矜持を賭けて戦いを挑む『盲目剣谺返し』など、全九篇を収録する。

 あまり頻繁に手には取らないのだが、たまに読むたびに安心感を覚えるのが藤沢作品の不思議さである。美しくも簡潔で読みやすい文章、的確に感情を捉えた表現、情緒に富んだ風物の描写。清涼剤のような優しい舌触りが堪能できる。

『孤影抄』に続いて、様々な秘剣を授けられた者、或いは自ら案出した者が、止むに止まれぬ成り行きで本来秘すべきその技を用いなければならない状況に追い込まれていく様を、しかし過激にではなく穏やかに、飄々と、時として滑稽に描き出す。

 各編で採りあげられる主人公たちの性格や状況がまた個性的であるのが興を惹く。冒頭の『酒乱剣』では酒に振りまわされる男を滑稽に描き、『偏屈剣蟇ノ舌』ではその気性ゆえに奇怪な手順で暗殺を託される男の奇態な心理を珍妙な手管で綴っていく。『女難剣雷切り』と『好色剣流水』の二篇は主人公の境遇が似通っているため、読み終わったあとで混同してしまうのが難だが、似たような趣向を二通りに処理している点にまた違った楽しみ方がある。

 いずれも異なる滋味があって読み応えのある作品集であるが、最も印象に残ったのは巻末にある『盲目剣谺返し』である――そもそもこれが間もなく公開される映画『武士の一分』の原型である、と知っていたからこそ、この時期に本書を手に取ったのだが、なるほど山田洋次監督が3作目として選んだのも納得の好編であった。

 職務のために盲目となった武士が、その弱みにつけ込んで妻を誑かした男に決闘を挑むという筋の着想そのものが傑出しているが、妻の不義に気づき、だがその愛情を疑うことが出来ないがゆえの煩悶と、失明した主人公が不義の相手を知る成り行き、そして決闘を意に固めるまでの経緯に澱みがない。

 特に『盲目剣』は収録作中唯一、体得する過程がきっちりと描かれている“秘剣”だ。先んじてそう名付けられたものは存在するが、主人公である新之丞は実際には託されず、ただ必要に迫られて体得した剣技が、言い伝えられる秘剣の姿に迫るという趣旨である。それ故に他の作品以上に、“秘剣”というものにまつわる小説という感慨が強く、物語の流れとも共鳴しており、その渾然一体となった感覚が素晴らしい。夫婦の絆を描く筆致も細やかで、極めて充実した読後感の味わえる一篇である。

 闇の中、手探りで秘剣を編み出していくこの感覚が克明に再現できるのなら、映画の出来に期待してもいいかも知れない――尤も、既に公開されている山田洋次監督による藤沢作品の映画化2本の出来を知っている身には、もともと不安はさほどないのだが。

 ともあれ、映画化原作であるから、という理由で手に取ったとしても決して不満を覚えることのない、秀逸な連作時代小説である。本書がお気に召したのであれば、是非先行する『孤影抄』にも手を伸ばしていただきたい。

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