團十郎切腹事件 中村雅楽探偵全集1

團十郎切腹事件 中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件 中村雅楽探偵全集1』

戸板康二日下三蔵[編]

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫

版元:東京創元社

発行:2007年2月28日

isbn:9784488458017

本体価格:1200円

商品ページ:[bk1amazon]

 江戸川乱歩の薦めで初めて本格的に創作の筆を執った著者が完成させたのが、本書の冒頭を飾る『車引殺人事件』であり、起用された探偵役こそが梨園の老優・中村雅楽であった。やがて『團十郎切腹事件』ほかの作品群で直木賞を、『グリーン車の子供』で日本推理作家協会賞に輝くに至る、日本推理文壇にその名を刻む名シリーズを、初めて全作網羅する意図のもとに編纂された『中村雅楽探偵全集』の記念すべき第1巻。表題作をはじめとするシリーズ18篇に、著者自らによる解題、雑誌『宝石』掲載時の江戸川乱歩によるルーブリック、講談社文庫版『團十郎切腹事件』に寄せた小泉喜美子による解説など豊富な資料に、新保博久による書き下ろしの解説、編者による解説を収録する。

 随分と前から刊行は予告されながら、様々な事情によって延期を重ね、ようやく出版の実現した全集である。待ち望んでいただけに、あまりはやばやと読み切ってしまうのが惜しまれ、随分と時間をかけてじっくり読ませていただいた*1

 初めて通読して感じるのは、意外にもミステリとしては決して論理性やトリックに重きを置いていないことと、それを補ってあまりある歌舞伎界・芸能界に関しての豊潤な知識、中村雅楽という探偵役の強烈な魅力である。

 著者の戸板康二はもともと演劇評論の分野で活躍していた人物で、死後だいぶ経過した現在もなお、演劇に関する著述が優れた入門書として現役で書店に並んでいるほどだ。そんな人物であるからこそ探偵役を老歌舞伎役者に設定し、主な事件の舞台を演劇界やその周辺に絞ったのは自明だが、そのお陰で作品には厚みのある土台が設けられ、酸いも甘いも噛みしめた探偵役を創造することが容易になった。その結果が、『宝石』初登場時の好評に繋がり、著者病没まで継続する息の長いシリーズを誕生させたわけだ。

 また、いわゆる論理やトリックに依存せずとも、芝居や伝統芸のかたちで伝えられた物語や悲劇を背景とし、それらを謎解きに援用したり新たな解釈を施すことで、充分ミステリとしての膨らみと読み応えを作品に齎すことに成功している。このあたりは『車引殺人事件』から直木賞を受賞した『團十郎切腹事件』あたりまでの流れに如実だが、次第に事件の舞台を芸能の外に置くようになっても、舞台での経験や造詣が何らかのかたちで活かされており、作品のカラーとして役立っている。特に、殺人に絡まない『不当な解雇』や切れ味鋭い小品『ほくろの男』、込み入った手管が目を惹く『滝に誘う女』あたりの活かし方は独特で、このシリーズならではの味わいといったものを体現している。

 また、本シリーズは基本的に雅楽と懇意の演劇記者・竹野の一人称によって綴られているが、雅楽の談話を竹野が文章として整理したような趣旨の作品が増えていき、やがては『滝に誘う女』のように全篇三人称という作品が登場するに至るが、それでも手触りは変わっていない。これは雅楽シリーズによって初めて本格的な創作を始めた著者の模索の様子を窺わせると共に、その程度では微動だにしないシリーズとしての完成度の高さをも示すものだろう。必ずしも狙った作りではないのはその構成から明らかで、だからこそ根っこにある教養や地力が素直に表出し、筋を通すのに役立ったとも言える。

 豊富な造詣と経験が生み出した、優秀なミステリ・シリーズである。今までにいちども総括的に纏められたことがない、というのが信じがたく、またそういう機会が齎された幸運を喜びつつ、首を長くして続刊を待ちたい。手っ取り早く言えば、早く読みたい。

*1:実際には、あまりに忙しすぎたせいもありますが、そこはそれ。

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