『キャンディ』

原題:“Candy” / 原作:ルーク・デイヴィス / 監督:ニール・アームフィールド / 脚本:ルーク・デイヴィス、ニール・アームフィールド / 脚本編集:ジョン・コリー / 製作:マーガレット・フィンク、エミール・シャーマン / 製作総指揮:アンドリュー・マッキー、リチャード・ペイトン、マイケル・ワイク、テレンス・ヤーソン / 撮影監督:ギャリー・フィリップス / 美術:ロバート・カズンズ / 編集:ダニー・クーパー / 衣装:ジョディ・フリード / 音楽:ポール・チャーリアー / 出演:ヒース・レジャーアビー・コーニッシュジェフリー・ラッシュ、トニー・マーティン、ノニ・ハズルハースト / 配給:WISEPOLICY

2005年オーストラリア作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:松浦美奈

2007年09月22日日本公開

公式サイト : http://candy.cinemacafe.net/

日比谷シャンテ・シネにて初見(2007/09/22)



[粗筋]

 ダン(ヒース・レジャー)とキャンディ(アビー・コーニッシュ)は運命的に巡り逢い、激しく愛しあった。優しく情愛に満ちた関係を築き上げたふたりだったが、他方で彼らの関係に影を落としていたのは、ヘロイン。

 詩人志望のダンは前々からヘロインを常用しており、画家として活動していたキャンディも次第にその世界にどっぷりと浸かっていった。初めのうちは、数少ない理解者である薬学の教授キャスパー(ジェフリー・ラッシュ)に無心をしたり、身の回りの品を売り捌いたりして購入資金を工面していたが、やがて立ちゆかなくなった結果、訪れた質屋の主人を皮切りに、キャンディは躰を売って金を稼ぐようになる……忸怩たる想いを抱きながらも、ダンは既に切っても切り離せないものとなった薬物を手に入れるために黙認する。

 麻薬漬けになりながらも次第に危機感に見舞われていったふたりは結婚を決意、キャンディの父(トニー・マーティン)や母(ノニ・ハズルハースト)らの不安をよそに、ささやかな挙式を催すが、ダンはその最中にドラッグを服用し、いっそうまわりの不安をかき立てるのだった。

 籍を入れたのちも、しかしダンとキャンディの生活は変わらないどころか、凋落の一途を辿っていった。相変わらずダンは定職に就かず、キャンディの売春の手伝いをして暮らしているような毎日。僅かな稼ぎは薬物の購入費に消え、自宅代わりに借りている倉庫の家賃でさえまともに払えていない。躰も心も磨り減らすような日々にキャンディは荒んでいくが、それでもお互いへの愛情は変わらなかった。口喧嘩の果てに何気なく投げたものがダンの頭に当たり、流血沙汰になったことで想いを再確認する。

 だが、家賃滞納が高額に昇ったために、ふたりはとうとう家を追われる羽目になった。キャスパーの元に一時的に身を寄せるものの、さすがに不甲斐なさを痛感したダンは、初めて自ら収入の手段を求めようとする。そうして彼が辿り着いたのは――だが結局はただの盗みであった……

[感想]

 ラヴストーリーであることは間違いない、だがこうも情けなくて痛々しく、細部が沁みてくる作品はそうあるまい。

 物語の序盤は非常に華やかで、スクリーン越しにも幸せそうな気配が伝わってくる。だがしかし、“天国”という副題のついたこのシークエンスの時点で、冷静に眺めれば既に暗雲は立ちこめている。最初から完全に薬漬け状態で抜け出しようのない泥沼に嵌っているし、生活の糧は数少ない理解者への無心と些末な盗みで成り立っている。客観的には破滅は既に始まっているのだ。

 しかし、ふたりともそこに罪悪感はほとんどなく、またお互いを深く愛していることだけははっきりと伝わってくる。傷つけ合うことを望まず、口論の末に激してうっかり投げつけたものがダンに当たって狼狽するキャンディの姿と、それを許し自分の無神経な言動を詫びるダン、という構図は、状況に心を揺さぶられつつも互いを最優先している気配がきちんと見え隠れする。傍目には、どうしてその配慮が破滅的な状況からの脱却に繋がらないのかともどかしく映るが、現実にはこういうものだろう――周囲から助けの手が伸びることなく、社会にいながらにして隔絶された境遇にある人間が、悪習から抜け出すのは決して容易ではなく、流される方が恐らくは楽なのだ。そんな状況にあっても、互いに対する愛情だけは確固として存在している有様は、ひたすらに痛々しい。こと、結婚したあともキャンディは売春を続け、ダンはそれに対して無感覚を装わなければいけない状態が継続しているのだから、なおさらである。たとえ根っこには自業自得の部分があるにしても、だ。

 作品は途中にサブタイトルを示す形で、三部構成になっていることを示している。結婚式あたりまでが“天国”、結婚生活からある事件までが“地上”、そしてふたりがある決断によって環境を変えたあたりが“地獄”。解り易く転落を象徴するサブタイトルとともに、ダンとキャンディは約束づけられた破滅へとどんどん突き進んでいく。当初はポップ調であった演出が、次第に情緒的になり、最後には渇いた映像へと推移していき、境遇の荒廃ぶりが浮き彫りにされる。その果てに待ち受けるラストシーンは、華やかで動的であったオープニングとは対照的に、地味でほとんど動きがない。

 だが、そうした流れを経てもまだ、ダンとキャンディの情の深さはほとんど変わっていない。辛い日々を経て姿勢には変化が生じているが、その熱量はほぼ同一だろう。だからこそ、地味すぎるほどのラストシーンが饒舌な余韻を伴って響き渡る。計算ずくに組み立てられながら、しかし情感だけは決して損なわなかった演出の妙技が結実する、極めて秀逸なラストシーンである。

 派手さはないし、描かれていることの背徳性、たとえ不可抗力であったとしても自堕落な生き様も一因にあることを思うとあまり感心しない、という向きも多いだろうが、本質は極めて純粋で切実なラヴストーリーであり、汚穢から目を背けようとしなかった誠実な作品でもあることは主張しておきたい。大ヒットするような作品ではないけれど、観れば心に染みる“いい映画”であると思う。知る人ぞ知るロックの名曲『Song to the Siren』の歌詞と旋律をうまく活かしている点にも注目していただきたい。

 それにしてもヒース・レジャーは『ブロークバック・マウンテン』といい『カサノバ』といい、ひと癖もふた癖もあるラヴ・ストーリーの名手となりつつあるように思う。今回も爽やかなダメ男が急速に、本格的に薄汚れていくさまを実に説得力たっぷりに演じきっている。こうなると却って、ベタな都会派ラヴ・ストーリーを演じたらどうなるのかに興味が湧いてくるが――あんまりそういうのには手出ししないタイプかも知れない。ともあれ、今後も注目の俳優であることは間違いない。

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