『フローズン・タイム』

原題:“Cashback” / 監督・脚本:ショーン・エリス / 製作:レネ・バウセガー、ショーン・エリス / 製作総指揮:ダフネ・ギネス、ヴィジェイ・サクール、ピーター・ハンプデン、ノーマン・メリー / ライン・プロデューサー:マーシャル・レヴィテン / アソシエイト・プロデューサー:ウィニー・リー / 撮影監督:アンガス・ハドソン / 美術:モーガンケネディ / 編集:スコット・トーマス、カルロス・ドメク / 衣装:ヴィッキー・ラッセル / 音楽:ガイ・ファーレイ / 出演:ショーン・ビガースタッフ、エミリア・フォックス、ショーン・エヴァンス、ミシェル・ライアン、スチュアート・グッドウィン、マイケル・ディクソン、マイケル・ランボーン、マーク・ピッカリング、フランク・ヒスケス / 配給:CK Entertainment

2006年イギリス作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:古田由紀子

2008年01月26日日本公開

公式サイト : http://www.frozen-time.jp/

Q-AXシネマにて初見(2008/02/25)



[粗筋]

 美大生のベン・ウィリス(ショーン・ビガースタッフ)は初めての恋人スージー(ミシェル・ライアン)と別れた。誤解とすれ違いを繰り返した挙句の不幸な別れは、繊細な彼の心を激しく傷つける。しかもスージーは早速新しい彼氏を作って、ベンの目の前でもベタベタといちゃつきはじめた。心労の余り、ベンは不眠症に陥ってしまう。

 無為に過ごす8時間を現金に還元するべく、ベンはスーパーマーケットでのアルバイトを始めた。店長ジェンキンス(スチュアート・グッドウィン)を筆頭に個性的な面々が集っている店だが、それでもベンの心は癒えない。ありあまる時間はまるでスローモーションのように感じられた。時間はますます速度を落としていき、やがて――本当に、止まった。

 人々が凍りついたように停止した世界で、ベン一人が息をして歩き回っている。動かない世界では、女性達の美しさを心ゆくまで確かめることが出来た。思うさまに半裸にし、スケッチに留めてから、動きを戻す――ちょっとした悪戯込みで。

 唐突に手に入れた能力はベンに思わぬ娯楽を齎したが、まだ彼の心は癒されなかった。凝った時間の分だけ、余計にスージーの記憶に煩わされるようだった。

 だが、そうした苦痛の日々は、ジェンキンス店長が他の支店とのあいだに企画したフットサルの試合を契機に、少しだけ様相を変えていく。試合に惨敗したあと、成り行きで家まで送っていったシャロン(エミリア・フォックス)と夢を語り合ったことを契機に、彼は失恋の痛手から少しずつ恢復していった。

 新しい恋の気配が、数週間に亘る不眠からようやくベンを解き放とうとしている。だが――世の中には色々とままならないことが起きるもので……

[感想]

 本編は第78回アカデミー賞短篇実写部門にノミネートされた作品を、監督自ら長篇化したものであるらしい。なるほど、と頷けるのは、作中で“時間を止める能力を不意に体得し、それを用いて女体をスケッチする”という趣向が格別に際立っているのだ。

 このテーマからSF的な話運び、どうしてそんな力が身についたのかとか、力を駆使して犯罪に関わったりするような展開を期待すると大いに肩透かしを食う。主人公は大して疑問を抱くこともなくこの事態を甘受してしまい、検証することもなければ、大胆な犯罪に関与したり事故を止めたりといった発想にも達することがない。ただ時間を扱ったSFと捉えると、解釈もいい加減なので、そうしたものをこそ望んでいる人には不愉快な印象を齎すと思われる。

 本篇における“時間を止める能力”は、SFのガジェットとしてではなく、あくまで失恋の副産物として齎され、終始主人公・ベンの感情を象徴するものとして扱われているのだ。失恋直後の苦悩の中では時間が引き延ばされていく、世界が閉じていくような閉塞感に繋がり、新しい恋の予感に身を焦がしている時は、時が止まって欲しい、という感覚に繋がる。普通でも感じる種類の時の流れを、本当にしてしまっただけ、という類の趣向なのだ。

 決して特異ではない、だが絶妙なこの着想のお陰で、本篇は全体が不思議な心地好さと共感で満たされる作りとなっている。現実に時間が止まることなどあり得ないし、またまともに検証すれば不自然な箇所でさえも、個人の感覚を引き延ばしたものと捉えることで、あり得そうな、そして同じ境遇に置かれたら似たようなことをしてしまいそうな感想を抱く。

 そうした印象を助長しているのが、馬鹿だが愛すべき人物たちである。主人公からして、感受性は豊かだが物事をあまり深く考えない傾向にあり、だからこそ“時間が止まる”というけったいな事象をわりとすんなり受け入れてしまっているのだが、周囲の人間達もかなり曲者、かつ頭の悪い者たちながら、そんな彼に悪事を働かせる方向へと導かない程度に善良なのだ。作中、ベンが時間を操る能力を使って、時間が動き出したときに迷惑を被るような行いをしているのは1箇所に過ぎず、あとはあくまで閉じた世界のなかで決着させている。その微温的な姿勢が、とにかく快い。初めて時間を完全に止めたとき、ベンは客の美しい女性達を次から次へと脱がせて裸体をスケッチするが、描きたいだけ描いたあとは全員の着衣を丁寧に戻している。裾の状態まで気を遣う様が、いっそ愛らしくさえあるのである。

 作り手のそういう姿勢は、裸や卑猥なモチーフが随所に用いられているにも拘わらず、べったりとしたいやらしさを感じさせない、爽やかなエロティシズムにも繋がっている。ベンの幼少時代の性的な記憶に言及している箇所は秘めやかながらさっぱりしているし、現在の出来事はベンの何処か潔癖な性質と相俟って、寧ろ切なさを感じさせる。とりわけ、店長の無体な要求からストリッパーを雇いにいった店の中で、シャロンのストリップを夢想してしまう場面など、その静かで美しい表現が、彼の切実な想いを却って裏打ちしているのだ。

 だが、ああだこうだと言いつつも、本編において出色なのは、シーンそれぞれの美しさそのものである。凍りついた世界で半裸のまま買い物籠を提げている女性達のシュールだが奇妙な美しさ、スローモーションで描かれる感情、一瞬を惜しむ切なさ。かと思えば怠惰に過ぎる日常を、早廻しの世界の中で主人公一人がほとんど身じろぎもせず佇む様など、感情表現とうまく重ねた場面それぞれの印象が際立っている。

 そしてその中でもとびきり美しいのがラストシーンだ。SFの定石からずれていても、話の雰囲気の良さで許容できると思いつつ、中盤のある描写が放り出されていることをずっと惜しんでいたところ、最後の最後でそれを伏線として、あのあまりにも可憐で美しいラストシーンに結びつけるのが実に憎い。はっきりとあの瞬間、私はシャッポを脱いでしまった。

 純粋に物語として観ると、中盤にフックが欠けるため退屈なきらいがあるし、どうしても時間を止める能力の考証不足が引っ掛かる人もいるはずで、万人にお勧めできる訳ではないのだが、しかしそれでも私は傑作と評したい。えらくひねくれた見方をすれば、恋人を誘って観に行くと、ちょっと映画通ぶることが出来て、なおかつあとで厭な雰囲気にならずに済む稀有な作品であろう。

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