『いつか眠りにつく前に』

原題:“Evening” / 原作:スーザン・マイノット(河出書房新社・刊) / 監督:ラホス・コルタイ / 脚本:マイケル・カニンガムスーザン・マイノット / 製作:ジェフリー・シャープ / 製作総指揮:ジル・フットリック、マイケル・ホーガン、ロバート・ケッセル、スーザン・マイノットマイケル・カニンガム / 共同製作:ルーク・パーカー・ボウルズ、クレア・テイラー、ニナ・ウォーラースキー / 撮影監督:ギュラ・パドス,H.S.C. / 美術:キャロライン・ハナニア / 編集:アリソン・C・ジョンソン / 衣装:アン・ロス、ミシェル・マットランド / 音楽:ヤン・A・P・カチュマレク / 音楽スーパーヴァイザー:リンダ・コーエン / 出演:クレア・デインズトニ・コレットヴァネッサ・レッドグレーヴパトリック・ウィルソンヒュー・ダンシーナターシャ・リチャードソン、メイミー・ガマー、アイリーン・アトキンス、メリル・ストリープグレン・クローズ / ハート・シャープ・エンタテインメント製作 / 配給:Showgate

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年02月23日日本公開

公式サイト : http://www.itsunemu.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2008/03/13)



[粗筋]

 親しんだ我が家のベッドの上で、アン・ロード(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)が間もなく、その生涯に幕を下ろそうとしている。同居し、看護師(アイリーン・アトキンス)と共に容態を看ている娘のニナ(トニ・コレット)は、薬の副作用で幻覚を見ているはずの母がしばし口にするハリスという名前が気に懸かっていた。意識のあるうちに問いかけると、アンは「いちばん最初に犯した過ちの名前だ」と謎めいた言葉で応える。そして、こんな風にも語った。

「私とハリスが、バディを殺したの」

 ――時は40年を遡る。酒場などで、酔っ払いや観光客相手に歌っていたかつてのアン――アン・グラント(クレア・デインズ)は、親友であるライラ・ウィッテンボーン(メイミー・ガマー)の結婚式に招かれて、ライラの親類達が一族を形成する郊外の町を訪れた。ライラの弟バディ(ヒュー・ダンシー)は手向かえたアンに、この結婚をやめるようライラを説得して欲しい、と頼み込む。ライラはもともと、ウィッテンボーン家に仕えていた家政婦の息子で、現在医師をしているハリス・アーデン(パトリック・ウィルソン)に憧れていたのに、その想いを秘めたまま嫁ごうとしている、というのだ。だが、既に結婚式のために親類が大勢招かれており、放っておいては自分から反故にすることはないだろう、と。

 アンとしても友人が不幸になるのは耐えられなかったが、既に決意したことをいまさら翻させるのは難しいだろうと、彼女の相談に乗る程度の心構えで対する。だが、そんなアンがハリスと対面したときから、事態は思いもかけない展開に繋がっていった……

[感想]

 ヴァネッサ・レッドグレイヴメリル・ストリープというふたりのオスカー女優を筆頭に、若手・ベテラン共に優れた女優達が集った女性のドラマ――という先入観で観に行ったのだが、その意味ではやや印象が違っていた。

 というのも、それぞれに奥行きのある人物像を演じているものの、特異さよりもその意識の普遍的な点に着眼のある作品となっているため、キャラクターそのものにインパクトはあまりない。感情移入はしやすいが、際立った印象を齎さないのだ。その意味ではむしろ、バディを演じたヒュー・ダンシーが鑑賞後いちばん強く記憶に残る演技を見せている。

 これは先入観ゆえの不満だったが、それ以上に表現の面で違和感を覚える部分があったのが気に懸かった。特に、冒頭のイメージ場面からしてそうなのだが、全般に映像が書き割りじみているのが引っ掛かる。作品で描こうとしているものが普遍的な感情であるのに、映像の方向性が全般に虚構的、幻想的で、題材とやや距離があるように思えるのだ。

 また、物語は現在と過去がまったく断りなしに入れ替わる構造となっているが、この書き割りじみた映像が災いして、しばし現在と過去の判別がつかなくなる。いずれも映像自体は美しいのだが、両者を意識して分けることをしていないために、戸惑わされることが多い。物語そのものが難病の末期患者であり、薬の副作用でしばしば譫妄状態に陥っている女性の回想、という様式を取っているため、両者が混然とする表現も正しいとは言えるのだが、決してその混乱自体が主題となっていないことと、そもそも登場人物が異常に多い作品であるのに、余計に把握を困難にする表現を選択する必要はなかったように思う。多分に表現に対する感覚の違いもあり、これでいいと感じる人もいるだろうが、私には問題と映った。

 だが、物語としては極めて完成度が高い。原作者自らが製作総指揮を兼ねて脚色に着手し、更に『めぐりあう時間たち』の原作者マイケル・カニンガムが加わることで、原作では極端に多いという登場人物をうまく整理整頓し、ひねた複雑さを留めつつもかなり解り易く話を紡いでいる。台詞の印象も強く、また主題も話を追うごとに際立っていく組み立ての巧さは、さすがにそれぞれ優れた作品を著している文学者、と感じられる。キャラクターのインパクトは強くないものの、しかしその練られた台詞に力強さが備わっているのは、やはりそれぞれを達者な女優達が扱っているからであろう。

 書き割り的で見分けがつかないことには疑問を覚えるものの、映像自体は極めて美しい。監督がカメラマン出身であるためだろうが、ひとつとして気を抜いた絵がなかったのは出色である。こと、過去編の時間帯ごとに異なる光のイメージは鮮烈で、観終わったあとも記憶に焼きつくようだ。

 また、ごく普通に生きてきた人であれば、どこかしら胸に引っ掛かる台詞や描写のある、傑出した普遍性とでも呼ぶべきものが作品の存在感を強めている。こと、登場する女性達の悩みや嘆きは、女性なら何かしら胸に刺さってくるはずだ。

 そして多くの描写を踏まえての終盤の会話、それらを乗り越えたあとにあるラストシーンの、生と死とのコントラストが素晴らしい。喜びのあとに哀しみを持ってくる、やや後味が悪いと感じる締め括りに違和感を覚える向きもあろうが、物語の主題を真摯に受け止めれば、あれ以外はあり得ないと私は思う。またこういう形で決着するからこそ、余韻が桁外れて深いものになっているのだ。

 如何せん、表現の面でところどころ異存があるために傑作と呼ぶのは躊躇われるが、観て決して損することのない、いい映画であるのは確かだと思う。

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