『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』

原題:“Charlie Wilson’s War”/ 原作:ジョージ・クライル(ハヤカワ文庫・刊) / 監督:マイク・ニコルズ / 脚本:アーロン・ソーキン / 製作:トム・ハンクス、ゲイリー・ゴーツマン / 製作総指揮:セリア・コスタス、ライアン・カヴァノー、ジェフ・スコール / 撮影監督:スティーブン・ゴールドブラット,A.S.C.,B.S.C. / プロダクション・デザイナー:ヴィクター・ケンプスター / 視覚効果スーパーヴァイザー:リチャード・エドランド / 編集:ジョン・ブルーム、アントニア・ヴァン・ドリムレン / 衣装:アルバート・ウォルスキー / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:トム・ハンクスジュリア・ロバーツフィリップ・シーモア・ホフマンエイミー・アダムス、ブライアン・マーキンソン、ジャド・テイラー、エミリー・ブラント、ピーター・ゲレティ、ウィン・エヴェレット、マリー・ボナー・ベイカー、レイチェル・ニコルズ、シリ・アップルビー、クリストファー・デンハム、オーム・プリー、ケン・ストットネッド・ビーティ / プレイトーン製作 / 配給:東宝東和

2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年05月17日日本公開

公式サイト : http://www.charlie-w.com/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2008/05/28)



[粗筋]

 ことの発端は1980年4月、ラスヴェガスのジャグジーでストリッパーたちと共にくつろいでいたチャーリー・ウィルソン下院議員(トム・ハンクス)が、テレビ番組でアフガニスタンの惨状を報じているのを目にしたことだった。酒色に溺れて離婚も経験し、どちらかと言えばいい加減で知名度も低い、取り柄といえば恩を売る術に長け5回も再選されていることぐらいしかない、テキサス州選出のこの下院議員はこのとき初めて、ソ連の砲火に晒されたアフガニスタンがどれほどの窮地にあるのか、その一端に触れたのである。

 ワシントンに舞い戻ったチャーリーは、冷戦の敵対国であるソビエトの危機に晒されているアフガニスタンに対し、極秘予算がわずか500万ドルしか拠出されていないことに驚き、自らの権限で予算を倍にするよう提言した。そんな彼に突如、旧知の人物が連絡を取ってきた。テキサス州6番目の富豪であるジョアン・ヘリング夫人(ジュリア・ロバーツ)である。猛烈な反共産主義者である彼女はアフガニスタンの窮状を憂い、支援金を募るためのパーティを連日開催していたが、かつて恋仲でもあったチャーリーを体で誘うと、アフガニスタンからの難民を受け入れているパキスタンの大統領ジア・ウル・ハク(オーム・プリー)と面会するよう手配する。

 気乗りもせず、大した知識もないままパキスタン入りしたチャーリーは、大統領に1000万ドルの支援を「少なすぎる」と罵られ、更に彼の手配で訪れた難民キャンプの実情に愕然とする。健康な人々は救援物資の奪い合いを繰り広げ、医療用テントには罠によって手脚を奪われた子供達が大挙している……国境付近の町は毎日のようにソ連から来訪するヘリの銃弾を浴び、多くの命が失われていた。

 必要なのは武器と戦闘力だと実感したチャーリーは現地のアメリカ大使館を訪れ、具体的な数字を訊ねるが、大使はあまりに急激な物資の流入があればソ連との関係を緊迫させる、と消極的な態度を示すばかり。チャーリーは帰国すると、すぐさまCIAに連絡を取り、責任者を寄越すよう指示した。

 間もなく議員公舎に姿を現したのは、責任者ではなく、アフガニスタンを担当するエージェントのガスト・アブラトコス(フィリップ・シーモア・ホフマン)――間違いなく才能はあるが、攻撃的な性格のために閑職に追いやられている男だった。当初は投げやりな態度を示していたガストだったが、チャーリーが本気で予算を動かすつもりだと知ると、チャーリーに様々な方法を提示していく。米ソの冷戦状態を実戦に発展させず、しかしアフガニスタンに確実な戦力を齎すべく彼らが弄したのは、シンプルでありながら、しかし常識破りの手法であった……

[感想]

 予め観ていた予告編などの情報からは、政治、それも実際の出来事を題材としながらもコミカルな作りになっている、という印象だった。実際、明らかにそうした狙いで作られているのだが――コミカルであっても、正直本篇はあまり笑えない。

 アフガン情勢についてまるっきり疎い人であれば笑い飛ばせるかも知れないが、実情を多少なりとも知っている目からすれば、本篇の主人公チャーリーの言動はあまりに脳天気すぎる。個々の言動がのちのちどう影響するのかが透け見えてしまうために、得意がっているのが妙に腹立たしい。

 ただ、そういう話の成り行きにも拘わらず、決して憎みきれないチャーリー・ウィルソンという人物像を説得力充分に描き出していることは疑いない。身辺を女性で固めストリッパーと一緒にジャグジーに浸かり、議員公舎に酒を常備するほどの飲んだくれで、しかも物語の途中ではそうした素行が原因で窮地を迎えることになる――どう考えても自業自得でざまあみろ、という気分にもなる一方で、しかし不思議にも悪い印象は受けないし、窮地を切り抜けると苦笑いしながらも安心を覚えてしまうのは、やはり魅力的な人物なのであり、それをよく表現できている証拠だろう。5回も再選した、という事実にも頷けるものがある。

 主人公がそんな具合に風変わりなら、彼を唆し、彼をサポートする主要人物も一風変わっている。チャーリーを愛しているのか利用しているのか、本当に世界を憂えているのか不透明なジョアンを、ハリウッドでも超然とした位置づけに座りつつあるジュリア・ロバーツが飄々と体現すれば、スパイとしてはあまりに恰幅が良く気性も荒く、だがその有能さが際立った人物を、アカデミー賞にも輝いたフィリップ・シーモア・ホフマンが相変わらずの表現力で演じきっており、チャーリーを支える特異な人物像を裏打ちしている。やたらと色気過剰なチャーリーの秘書たちなど、脇の存在感もスパイスが利いている。

 惜しむらくは、人物像は表現できているものの、物語としての芯や作品全体で主張する主題や空気を充分に統一しきれなかった点である。チャーリーたちの為したことは確かに当時としては破格だったし、一つの勢力図を背後から書き換えた点で偉業であることは間違いないのだが、どういうアクションが必要だったのか、今となっては自明と映るため、行動が明白であり、そのために全体に平坦な印象を齎す。半端にシリアスに描かれたアフガニスタンの惨状が作品のユーモアを打ち消し、更にその抑え方が物足りなさを感じさせる理由ともなっており、しかも実情を一切説明しなかった最後のひと言が、物語としての洒脱さを留めている一方で、どうしても“逃げ”に思えてしまうことも否めない。当時の情勢からすればやったことが悪とは言い切れず、どちらかと言えば型破りな人物像を描くことにこそ焦点を絞ったが故なのだろうが、結果として物語としての芯を柔らかくしすぎてしまい、全体の印象を散漫なものにしてしまっているのだ。

 アメリカが正義を題目に唱えるあまりに似たような過ちを何度も犯している、ということを訴えてもいるのだが、しかしそれを主題としている、と主張するにはあまりに視点が偏り、しかも暈ける結果となってしまっている。表現そのものは巧いし役者は粒揃い、映像的にも見所は多く匙加減は絶妙なのだが、スタッフ個々の能力の高さに依存した職人芸であり、それを巧くまとめきれなかった、という風に感じられた。作品として嫌いではないが傑作と呼ぶにはあまりに全体像がぼやけているし、人に薦めるにも色々と気を遣わざるを得ず、何とも厄介な代物である。こういう人なら愉しめる、という解り易い説明が思い浮かばないのだ。

 現実を題材としながらも、彼らの備えていたユーモアなどをきちんと再現し、型破りの個性を作りだした点では巧いが、同時に実際の出来事をフィクション的に再構築する難しさをも痛感させる1本だった。本当に、悪い作品ではないんだけど……

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