『落下の王国』

『落下の王国』

原題:“The Fall” / 監督・製作:ターセム / 脚本:ダン・ギルロイ、ニコ・ソウルタナスキ、ターセム / 提供:デヴィッド・フィンチャースパイク・ジョーンズ / 製作補:ニコ・ソウルタナスキ / 撮影監督:コリン・ワトキンソン / プロダクション・デザイナー:ゲド・クラーク / 編集:ロバート・ダフィ / 衣裳:石岡暎子 / 音楽:クリシュナ・レヴィ / 出演:リー・ペイス、カティンカ・アンタルー、ジャスティン・ワデル、ダニエル・カルタジローン、エミール・ホスティナ、ロビン・スミス、ジートゥー・ヴァーマ、レオ・ビル、ジュリアン・ブリーチ、マーカス・ウェズリー / グーグリー・フィルムズ製作 / 配給:MOVIE-EYE

2006年アメリカ・イギリス・インド合作 / 上映時間:1時間58分 / 日本語字幕:太田直子

2008年09月06日本公開予定

公式サイト : http://www.rakka-movie.com/

スペースFS汐留にて初見(2008/08/04) ※試写会



[粗筋]

 ――まだ映画が白黒で撮影され、音声を採用していなかったころ。

 家族が営む果樹園で収穫を手伝っていたときに転落、左腕を骨折したアレキサンドラ(カティンカ・アンタルー)は、ロスアンジェルスのとある病院に入院することになった。あまり英語の達者でない彼女は、練習も兼ねて看護婦と書簡のやり取りをしていたが、あるとき窓から放った紙片は風に乗り、階下の病室に担ぎ込まれた若い男の元に届いてしまう。

 男の名はロイ(リー・ペイス)、黎明期の映画業界でスタントマンとして活動しているが、想いを寄せていた女を主演男優のシンクレア(ダニエル・カルタジローン)に取られてしまい、自暴自棄となった結果、撮影中に転落、両足を骨折する大怪我を負った人物だった。自分の世界に生きるアレキサンドラの物言いが鬱陶しく、適当にあしらうつもりで彼女の名前のもととなったアレキサンダー大王について、いい加減な物語を聞かせてやったところ、思いの外彼女は食いついてきた。今度別の叙事詩を語り聞かせてやる、と言って追い払ったロイだが、本当に再訪したアレキサンドラを前に、あることを思いつく。

 ロイの目論見など知るよしもなく、アレキサンドラは彼の語る、未知の大長篇に魅せられていく。それは、ある孤島に流された6人の男たちの、復讐の物語……

[感想]

 本篇の監督ターセムは、もともとCM業界で優れたヴィジュアル・センスを発揮し、夢へダイヴして事件の背景を探る、という特殊な世界観で描かれたサイコ・サスペンス『ザ・セル』で映画監督としてデビューした人物である。それゆえに、ミステリとして眺めると粗の多い『ザ・セル』も、その映像美は傑出しており、映画ファンに鮮烈なインパクトをもたらしている。

 そんな彼の数年振りとなる最新作も、やはり予想された通り映像美に優れた1本である。しかも、CGや壮大なセットを用いた“手作り”の美に彩られていた『ザ・セル』に対し、本篇はオールロケを敢行、世界遺産を含む多くの景勝地を画面に取り込むことで、よりリアルながら、セットとは異なる重量感を伴った絵を展開している。前作でも参加した日本人のデザイナー石岡暎子の手による非現実的な、しかし絢爛たる衣裳もそこに華を添え、まさに“これぞ映像美”と見惚れてしまうような仕上がりとなっている。

 巧妙なのは、そうして繰り広げられる映像を、“作り話”をベースにしたことだ。しかもプロフェッショナルが語るわけではなく、映画の世界に携わりながらも決して話を作ることに慣れているとは言いがたい人物の言葉に世界を委ねることで、荒唐無稽な物語の展開、場面移動を正当化している。他の条件ではあそこまで美しい風景を、矛盾さえも取り込んで作品に填め込むことは不可能だし、いくら筋を通そうとしても却って無理が生じることを回避している。

 これは想像に過ぎないが、本篇は話の脈絡よりもまず、「ここでこういう画が撮りたい」という意識を優先して撮影を重ねていったのではないか。クライマックスや、現実との橋渡しになる台詞、表現だけを幾つか決めておいて撮影地に当て嵌め、あとから随時調整していったように感じる。無論、そのやり方だけでは映像の繋がりとしても矛盾を生じるパートが幾つもあることから、すべてがこんな感覚的な手法で撮られたとは考えがたいが、そのくらいの奔放さが空想の物語には感じられるのである。

 他方で、現実世界のヴィジュアルも侮りがたい完成度を誇っていることにも注目したい。舞台はほぼ病院内に限定されているが、20世紀初頭と思しいアメリカの姿を想定した美術の統一感は、空想世界の奔放さとうまい対比となっている。木枠のガラス窓で仕切られた治療室と薬品庫という構成、まるで孤児院のような子供用の大きな病室、庭には南国風の樹木を配するなど周囲の光景を明るくしているのに、内部にはどこか閉塞した空気を漂わせるセット・デザインは、実のところ景勝地の映像と同じくらい印象に残る。隅々まで美術的な存在感のある作りとなっているのだ。

 しかし、率直に言ってストーリーは取っつきやすいとは言いづらい。前述のように、撮影が先行して、あとから辻褄を合わせたのでは、と感じるほどに、空想世界の物語は無軌道で秩序に乏しい。現実世界のほうはまだ解り易く整っているが、しかしそれはこういう要素にとって必要な展開が想像の範疇の中からはみ出していないが故だ。あれほど大きくクローズ・アップされている空想世界の出来事が、終盤では手に負えないほど奇妙な歪みを生じていくので、きちんとした構成を望んでいると戸惑うだろう。

 だが、現実からフィード・バックして不可思議な歪みを生じていく物語そのものに、妙な魅力があることも確かである。詳述は避けるが、どう考えても無理な人物が介入してきたり、世界観に不釣り合いな服装や衣裳がいきなり登場するあたりにはユーモアすら感じる。特に、序盤のテーマを無視したかのような奇妙な結末は、置き去りにされる観客も多いだろうと思う一方で、やけに魅力的なのだ。

 物語のラストは、序盤で提示されたきりだったある要素を徹底的に活用して彩られる。実際にはモノトーンなのに彩りと感じるのは、物語の中で築きあげられたアレキサンドラとロイの快い絆を窺わせると同時に、スタッフの映画に対する愛がひしひしと伝わってくるからだろう。

 あまりに奇妙なストーリーゆえ、展開がもたらすカタルシスやシンプルな感動を求める向きにはお薦めしづらいが、映画のなかで映像美や細部への拘りを重視するような人であれば存分に堪能できると思う。何より、あの絢爛豪華な映像美は、大きなスクリーンで観てこそ価値のあるものに違いない。興味のある方は是非とも劇場に足を運んでいただきたい。

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