『パリ、恋人たちの2日間』

『パリ、恋人たちの2日間』

原題:“2 Days in Paris” / 監督・脚本・製作・編集・音楽・主題歌・主演:ジュリー・デルピー / 脚本監修:エティエンヌ・ブサック / 製作:クリストフ・マゾディエ、ティエリー・ポトク / 撮影監督:ルボミール・バクシェフ / 音声:ニコラ・カンタン / 美術:バーバラ・マルク / 衣装:ステファン・ロロ / メイク&ヘアー:スザンヌ・ブノワ / 出演:アダム・ゴールドバーグ、ダニエル・ブリュール、アルベール・デルピー、マリー・ピレ、アレクシア・ランドー、アダン・ホドロフスキー、アレックス・ナオン / 配給:ALBATROS FILM

2007年フランス・ドイツ合作 / 上映時間:1時間41分 / 日本語字幕:松浦美奈

2008年05月24日日本公開

公式サイト : http://www.paris-2days.com/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2008/11/14) ※ユナイテッド・シネマ豊洲オープン2周年記念特別上映



[粗筋]

 フランス出身、アメリカ在住の写真家マリオン(ジュリー・デルピー)は、2年続いている恋人でインテリア・デザイナーのジャック(アダム・ゴールドバーグ)とともにヨーロッパ旅行に赴き、ヴェネチアからいよいよマリオンの故郷であるパリに向かっていた。

 マリオンはあしらいを理解しているが、恋人のジャックは神経質な皮肉屋で、道中ずっと下痢を患い疲れているせいもあってか、特にいまは扱いづらい。バスもタクシーも捕まらず嘆いた末、前に並んでいた団体に嘘を吐いてどかせて順番を早めてしまった。マリオンは彼のそういうところを嫌ってはいないが、ここ数日揉めることが多かったのも確かだった。

 両親が暮らしているアパートの2階をマリオンが買い取ってあるため、パリ滞在中の拠点は厭でもマリオンたちは彼女の両親と接触しなければならない。だがこの両親、如何にもフランス人らしい皮肉と奔放さを兼ね備えており、フランス語を解さないジャックを翻弄した。特に、あまりに猥雑な話題について寛容であることが、意外なほど性的な面で潔癖なアメリカ人であるジャックには受け入れがたい。

 恋人であり、アメリカにも慣れているマリオンは彼の気持ちをある程度理解してフォローしているつもりだったが、しかし実は何よりもジャックが気にしているのは、パリを歩き回るたびに遭遇する、マリオンの元彼たちの存在だった……

[感想]

 リチャード・リンクレイター監督の会話主体による恋愛ドラマ『ビフォア・サンセット』において、リンクレイター監督と、共演のイーサン・ホークと共に脚本を手懸け、アカデミー賞脚本部門の候補にも挙げられたことがきっかけとなって作られた映画、ということらしい。舞台をパリにしたのも、恋人たちの会話を中心に組み立てられているのもそれを念頭に置いてのことだろう。

 だが本篇における会話で色濃いのは、各個人の思いの複雑さもさることながら、アメリカとフランスとの文化的なギャップを協調しようとする意図である。監督・脚本など、本篇において八面六臂の活躍を披露するジュリー・デルピーは、自らが演じるマリオンと同様に、フランス出身で現在ハリウッドを中心に活動している、という背景を備えている。それだけに、一方的になりがちな文化的ギャップの描写が、フランスにもアメリカにも偏っていない。かなり洗練された仕上がりであったソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』でさえ、日本を舞台にしながら日本人のメンタリティにはあまり踏み込めていないことからも解るとおり、決して容易なことではないのだ。

 フランス出身である女性と、生まれも育ちもアメリカの青年というふたりの組み合わせが、この意図からして絶妙だ。冒頭、マリオンのナレーションから始まり、彼氏であるジャックに対して愛情は感じているがその欠点も重々承知している、という含みのために序盤はジャックが悪者に見えるのだが、それがマリオンのいささか奔放すぎる素行が明らかになっていくにつれ、カメラの動きと同調するように、観る側もジャックに同情的になっていく。それと同時に、フランスとアメリカとで異なる価値観までも明瞭に感じ取れるようになる。

 観ていて驚くのは、マリオンの両親やマリオンの元彼が手懸ける芸術の猥雑さだ。そもそも彼氏のモノに風船を引っかけたところを写真に撮る、というのをあんなにも寛容に受け入れてしまっている点でまず不思議だが、芸術家であるマリオンの父の展示会など、あと一歩間違えたら日本の秘宝館のような代物だ。現実的に考えて、そういう環境で育ったから、似たような芸術的傾向を備えた人に惹かれ、集まっているという面もあるのだろうが、そうして際立たせた“フランス流”のムードと、どうしても相容れられないアメリカ人・ジャックの苦悩が、断片的な会話や表情によって鮮烈に印象づけられる。『ビフォア・サンセット』自体、ダイアローグにジュリー・デルピーの貢献が大きかったようだが、この素材は彼女の才能をうまく引き出していると感じられた。

 如何せん、中盤まではそうした艶っぽいジョークが主体であるため、コメディと言ってもいまいち笑えないところも多かったのだが、終盤に至ると急に様子が変わってくる。それまで随所に鏤めてきた要素がにわかに蒸し返されて、重大な局面を迎えたジャックとマリオンの関係をひたすらユーモラスに彩っていくのだ。特に、現在フランスから世界的に活躍の場を拡げつつある注目の若手俳優であるダニエル・ブリュールが出演するパートあたりからは、思わず吹き出す場面が多い。伏線がコメディを補強する、ということをきちんと解っている構成に、唸らされるひと幕でもある。

 だがこの作品が侮れないのは、そこから予想される結末を更に裏切り、ふたたびマリオン自身のモノローグを被せたひと幕で締め括っているところだ。ここの作りなど、個人的には特に『ビフォア・サンセット』、というよりリチャード・リンクレイター監督の作品に対する意識を強く感じた。恐らくリンクレイター監督が本篇と同じテーマを扱うなら、ここで圧縮された3分間を本来の尺に戻し、恋人たちの会話を軸にして旅のあいだの出来事を再現したうえで同じ結末に持っていくだろう。ジュリー・デルピーは敢えてそうすることを避け、自分なりに描いたうえで、こういうどこか曖昧な、それでいて不思議な爽快感のあるラストシーンを選んだ、と訴えているかのようだ。

 作中で登場する芸術の猥雑さや、性的な部分をストレートに語るあたり、そして会話主体で変にサスペンスや絶え間ない笑いを取ることで観客の興味を繋ぐタイプの作品ではないこともあって、どうしても人を選んでしまうだろうが、なるほど色々な点を踏まえて、ジュリー・デルピーの才能を強烈に見せつけた1本であることは間違いない。社会情勢や蘊蓄を盛り込みウイットに富んだ会話から、女性版ウディ・アレンといった評価を目にした覚えもあるが、それもまた頷ける。

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