『ミルク』

『ミルク』

原題:“Milk” / 監督:ガス・ヴァン・サント / 脚本:ダスティン・ランス・ブラック / 製作:ダン・ジンクス、ブルース・コーエン / 製作総指揮:ダスティン・ランス・ブラック、マイケル・ロンドン、ブルーナ・パパンドレア、バーバラ・A・ホール、ウィリアム・ホーバーグ / 撮影監督:ハリス・サヴィデス,A.S.C. / 美術:ビル・グルーム / 編集:エリオット・グレアム / 衣装デザイン:ダニー・グリッカー / 音楽:ダニー・エルフマン / 出演:ショーン・ペンエミール・ハーシュジョシュ・ブローリンディエゴ・ルナジェームズ・フランコ、アリソン・ピル、ヴィクター・ガーバー、デニス・オヘア / 配給:Pix Inc.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間8分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG-12

2009年4月18日日本公開

公式サイト : http://milk-movie.jp/

シネマライズにて初見(2009/04/20)



[粗筋]

 1972年5月21日、40歳の誕生日前夜に、ハーヴィー・ミルク(ショーン・ペン)はスコット・スミス(ジェームズ・フランコ)と出逢った。カード会社に勤めているが、職場では同性愛者であることを隠さねばならないことをこぼしたミルクに、スコットは「新しい世界、新しい友人を得るべきだ」と諭す。

 その言葉をきっかけに、ミルクは会社を辞め、サンフランシスコに引っ越した。カストロ通りに居を構え、1階の空き店舗を借りて、写真店を経営し始める。

 だがこの地域はカトリック系の保守的な住民が多く、ゲイに対する偏見、風当たりは強かった。そこでミルクは一計を講じ、自分の店を写真店というよりはヒッピーやゲイなど、マイノリティたちの情報交換の場として提供する。ゲイに親切な店、冷たい店の情報を集め、親切な店は積極的に利用し、冷たい店はボイコットした。結果として、ミルクを中心とするコミュニティの存在感は急速に増し、ミルク自身が半ば冗談で口にした“カストロ・ストリートの市長”というふたつ名が、本当に定着するほどになっていく。

 それでも社会、とりわけカトリック系を中心とする保守層のゲイに対する偏見は根強く、しばしば暴力的な事件に発展していた。迫害を怖れて自らの嗜好を隠し、口をつぐんでいては何も変わらない――そう考えたミルクは、カリフォルニア州の市政執行委員への立候補を決意する。当選する、しないは二の次だった。ゲイであっても、マイノリティであっても与えられるべき権利を手にするためには、小さくても声を上げる必要がある。

 1973年11月、初の立候補は、当然のように落選に終わった。だが、初めて立った選挙であるにも拘わらず、得票数は想像していた以上に伸びた。

 このときの教訓を胸に、2年後の1975年、ミルクは再び選挙に臨む。ヒッピー・スタイルをやめスーツを纏い、積極的に人々の前に立ち、ジョークを交え魅力的に政策を語った。

 結果としてふたたび落選の憂き目を見たミルクだったが、彼が支援したジョージ・モスコー二(ヴィクター・ガーバー)が市長に選出されたことで、市政へのパイプを獲得する。じわじわとだが、ミルクは確実に政治家への道を歩みはじめていた。

 しかし皮肉にも、ミルクの影響力の増大が、本来求めていた幸せから彼を遠ざけ始める。恋人スコットとの仲が冷え込み始めたのも、この頃だった……

[感想]

 本篇で語られる政治家ハーヴィー・ミルクは、タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄に名前を連ねた人物である。アメリカの歴史上初めて、同性愛者であることを知らしめた上で公職に就き、同性愛者の雇用や居住権を剥奪する“提案6号”への反対運動を牽引したことでその名をアメリカ史に刻んでいる。

 だがこの作品で描かれた姿を見る限り、彼は決して理想に燃え、最初から政治家を志したわけではなかった。上記粗筋でも軽く触れたように、市政執行委員*1に立候補したのは自らが率先して理想を実現しようとしたのではなく、たまたま彼がゲイのコミュニティの中心的人物となってしまったから、という部分が大きい。主張して当然の権利を、自分たちマイノリティが獲得するために活動した結果が、時流と合致して大きなものに変容していった、というのが真相のようだ。

 しかしミルクという人物は、ただ流れに身を委ねていたわけではない。サンフランシスコに越し、初めて選挙に立ったあたりまでは、いささか薹の立ったヒッピーのスタイルを通していたが、性的マイノリティからの支持だけでは当選できないことを学ぶと、堅実さを示すためにスーツを着用し、ジョークを交えた人の心を逸らさない演説のやり方を身に着けていく。ゲイへの差別と関連する形で浮上してくる、警察の横暴や予算の無駄遣いなど、見直しを要する論点を掲げて注目を集めていく。政治家として真摯、というよりは、自らが為そうとしたことにとても誠実な人物なのだ。だからこそ、いざ動きはじめたときに、彼を慕う者が多く集まり、すぐ強固なコミュニティを築きあげることが可能だったに違いない。

 皮肉に思えるのは、そうした彼の生真面目さ、真摯さが、恐らくはミルクが本当に求めていた“幸福”から彼を遠ざけていったことだ。そもそもミルクに変化のきっかけを齎した恋人スコットは、政治活動のために私生活を侵蝕され、ふたりの時間を持つことが難しくなったことに悩んだ挙句、ミルクのもとを離れていく。そののち、スコットとは友人になり、ミルクはジャック(ディエゴ・ルナ)という新しい恋人と巡り逢うのだが、このロマンスは更に悲劇的な末路を迎える。多くの人々の権利の獲得に奉仕しながら、自らの幸せを得ることは出来なかった、その事実がミルクという人物の佇まいをより尊く、より哀しいものとして映しだしているのだ。

 本篇の演技により、ショーン・ペンは2度目となるアカデミー主演男優賞を獲得しているが、なるほど彼ならでは成し得ないと思えるほど貫禄の名演である。この作品で彼の見せる言動や眼差しは、本当に心根の優しいゲイにしか見えないし、同時に僅かな期間の政治活動で多くの信頼を勝ち得た“カリスマ”としての存在感も強烈に示している。エンドロールの手前にて、作中登場した人々の実際の写真を並べているのだが、本篇でのショーン・ペンと本人とが非常によく似た雰囲気を醸していることに、最後の最後で唸らされる。

 政治ドラマや、実在の人物を題材にした作品は、やもすると重厚さ故に、あるいは冗長さ故に退屈になることがあるが、本篇は構成に工夫を凝らすことでその危険を免れ、最後まで目を離せない作りに仕上げている。カメラワークや編集でスピード感を演出した、というわけではなくむしろ淡々とした語り口なのだが、本篇は冒頭からミルクが暗殺されたことを提示し、ミルク自身が暗殺されることを想定して、自らの政治活動を振り返って偽りのない思いをテープに吹きこんでいる姿を随所に挿入することで、結末から遡行して物事を語っているように見せかけ、苦悩や悲劇を予感させながらストーリーを展開しているのが奏功しているのだ。

 そして積み上げられた物語の結果、最後に印象に残るのは、ミルクという人物の哀しさだ。自らの政治活動、信念についてテープに吹きこむ、という行為は、その中で語っている通り、彼が自分の立場の危うさを悟り、殺されることは覚悟していたことを示している。だが、ミルクが本当に欲していたのは、自分自身の心を偽ることなく、愛する人と平穏に暮らしていける日常だっただろう。作中に登場するふたりの恋人との、最後の対話の場面でだけ見せる悲しみ、疲れ果てた表情が、観る側をも締めつけるのは、きっとそのせいだ。

 物語の中でもうひとつ、僅かな描写ながら記憶に残るのは、ミルクの演説をテレビで目にして、彼に電話を掛けてきた青年のエピソードだ。終盤で不意に反復されるこの出来事と、ミルクの政治活動に協力してきた人々のその後についての言及が、ミルクという人物の尊くも哀しい人生に救いの火を灯している。

 決して急がず慌てず、欲張るでもなく、ただ真っ当に権利を主張して、後年のマイノリティの大きな力となった人物の足跡を、やはり急がず慌てずに辿った、静かだけど力強いドラマである。観終わったあとじわじわと胸に沁みて、あとで活力となって蘇ってきそうな、そんな作品だ。

関連作品:

エレファント

ミスティック・リバー

イントゥ・ザ・ワイルド

ノーカントリー

*1:日本における市議に近いが、立法ではなく行政を監視する役割を担っているという。

コメント

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