『ナイト ミュージアム2』

『ナイト ミュージアム2』

原題:“Night at the Museum : Battle of the Smithsonian” / 監督:ショーン・レヴィ / 脚本:ロバート・ベン・ガラント、トーマス・レノン / 製作:ショーン・レヴィクリス・コロンバス、マイケル・バーナサン / 製作総指揮:トーマス・M・ハメル、ジョシュ・マクラグレン、マーク・A・ラドクリフ / 撮影監督:ジョン・シュワルツマン,ASC / プロダクション・デザイナー:クロード・パレ / VFXスーパーヴァイザー:ダン・デリーウ / 編集:ドン・ジマーマン,A.C.E.、ディーン・ジマーマン / 衣装:マーリーン・スチュワート / 音楽:アラン・シルヴェストリ / 出演:ベン・スティラーエイミー・アダムスオーウェン・ウィルソンハンク・アザリアクリストファー・ゲスト、アラン・シャバ、スティーヴ・クーガンリッキー・ジャーヴェイスビル・ヘイダージョン・バーンサルパトリック・ギャラガー、ミズオ・ペック、ロビン・ウィリアムズ / 21ラップス/1492ピクチャーズ製作 / 配給:20世紀フォックス

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2009年8月12日日本公開

公式サイト : http://www.nightmuseum2.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2009/08/12)



[粗筋]

 ニューヨーク自然史博物館を舞台に繰り広げられた不思議な冒険のあと、しばらくは警備員を続けていたラリー・デリー(ベン・スティラー)は、発明品が思わぬ大ヒットを果たしたことで自ら会社を興し、博物館を離れていた。

 開発と営業に追われる毎日のなか、博物館が改修のためにしばらく閉鎖されることを知ったラリーが久々に駆けつけてみると、そこには大量の木箱が積み上げられている。館長のマクフィー博士(リッキー・ジャーヴェイス)いわく、改修後は展示の方法が変わるため、一部を除いて他所へ収蔵される、ということだった。

 夜になり、目醒めた展示品たちの非難の眼差しを浴びたラリーは、何とか手を尽くすことを約束したが、理事会らを翻意させることは出来ず、友情を築いたミニチュアのカウボーイやローマ皇帝、原始人たちににっくきオマキザルも、一緒くたにスミソニアン博物館の地下倉庫に運び込まれてしまった。そこに、彼らに命を吹きこんだ石板はない――もう、ラリーの友人たちは、目醒めることはないのだ……

 ……と思っていたら、翌る日、ラリーの家の電話が鳴った。かけてきたのは何と、ミニチュアのカウボーイ・ジェデダイア(オーウェン・ウィルソン)。どうやら悪戯者のオマキザル・デクスターが例の石板を持ちだしたために、スミソニアン博物館に運び込まれたあとも彼らは目醒めることが出来たらしい。

 ……つまり、スミソニアン博物館も、先日までの自然史博物館と同じ状態になっている、ってことか?

 友人の窮地に、ラリーは取るものもとりあえず、ワシントンD.C.を目指した。19もの施設を擁する世界最大級の博物館を舞台に、ラリーと仲間たちの冒険が始まる……!

[感想]

 人が消えたあとの博物館はどんな様子なのか。もしかしたら展示物が動き出して、密談したり争い合ったり、昼間と同様に賑やかなのかも知れない。誰しも子供の頃にいちどや二度頭の中に思い描いたはずの空想をそのまま実写映像化し、製作者たちの予想も上回る大ヒットを果たした作品の続篇である。

 近年は先達からの教訓を活かし、続篇であっても同じ事はしない、決して拡大再生産にはしない、という方向にあるようで、本篇もラリー・デリーを主人公に“夜に博物館の展示物が動き出す”というシチュエーションで騒ぎが起きる、という部分以外は、舞台も騒動の原因、最終的な目的もまるっきり違うものになっている。大小問わず展示品が動き出し、それぞれのサイズやデザイン、美術品・工芸品としての性格に合わせた行動や活躍を見せるが、活用の仕方もだいぶ変わっているので、前作が好きで観に来た人が戸惑うことはない一方で、基本的に不満を抱くことはないような仕上がりになっている。

 但し、前作にあった、終始一貫したテンポの良さは少々衰えてしまった。それも無理からぬところで、何せ相手は世界最大と言われる巨大博物館である。ここの展示品、収蔵物が新たなキャラクターとして登場してくるのだが、その顔見せだけでもけっこうな尺を必要としている。部外者であるラリーが地下倉庫への潜入手段を探るべくあちこちを巡っているあいだや、粗筋に記したちょっとあとあたりから登場する敵役カームンラー(ハンク・アザリア)によって襲われたラリーと、途中から混ざってきた女性飛行士アメリア・イヤハート(エイミー・アダムス)が揃って逃走しているあいだに、新しいキャラクターやシチュエーションを多く登場させて観客に認識させようと工夫しているが、如何せん膨大すぎるためにテンポがかなり乱れている。

 世界的にヒットした作品と言い条、アメリカで作られているぶん、会話のユーモアがアメリカの観客向けになっていることは否めず、その点で本篇は前作よりもいっそうアメリカ寄りになっている、という印象を受けた。ラリーとカームンラーが初めて遭遇した際のやり取りや、終始行動を共にするラリーとアメリアの奇妙な会話の呼吸など、翻訳に頼って鑑賞しているといまいち面白みが伝わらない。主要キャストにはアメリカのコメディ番組でレギュラーを務めているような人物が多いが、それ故にアメリカの人々には馴染みのある台詞回しも多くなっていたように感じた。

 しかし、キャラクターがひととおり出揃い、冒険の目的がはっきりしてきたあたりからは次第に面白くなり、クライマックスに至るともう愉しくて仕方がない。1回限りのジョークで登場させたように見えたキャラクターやシチュエーションがいきなり有効活用されるし、細かなくすぐりも畳みかけるように仕掛けられて目が離せない。

 必ずしもすべての観客が理解できるわけではないけれど、解ってみると可笑しい、という描写もふんだんに鏤められており、そっとマニア心を刺激してくる手管も秀逸だ。悪役連合にお馴染みのフィクションのキャラクターが合流しようとするあたりは解りやすいほうで、クライマックス、ジェデダイアとオクタヴィウスのコンビが披露する戦いぶりの描き方などは、本来この映画がターゲットにしている年齢層は知らない(というか、観ているはずがない)映画の表現のパロディになっている。元ネタを知らなくとも、調べてみることでまた楽しめる、というのは各キャラクターやモチーフそのものにも言えることで、掘り下げる面白さが前作よりも向上している。

 大人目線からすると、終盤でにわかに浮上してくるもうひとつのテーマについて、序盤から仄めかしたり心理描写で補強していないことが物足りなく思えるが、逆に最後でいささか唐突に浮上してくるからこそ、本当の主役である“冒険の愉しさ”を阻害せずに済んでいる、とも言える。冒険を押しだしているだけでは明確に出来なかった着地点を急に示すことで、ある意味当然の結末にもカタルシスを齎している。匙加減がよく配慮されている証左だろう。

 石板の力の影響範囲が曖昧だったり、暴れすぎであとのことをまったく考慮していないのが若干気になるところであるが、その程度はフィクションだからこそ許される奔放さだ、と許容できるなら、こんなに愉しい映画もそうそうない。大人には大人なりの、子供には子供なりの楽しみ方が出来る、完成度の高い家族向け映画である。

関連作品:

ナイト ミュージアム

サンシャイン・クリーニング

スターウォーズ episode III/シスの復讐

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