『2012』

『2012』

原題:“2012” / 監督:ローランド・エメリッヒ / 脚本:ハラルド・クローサーローランド・エメリッヒ / 製作:ハラルド・クローサー、マーク・ゴードン、ラリー・フランコ / 製作総指揮:ローランド・エメリッヒ、ウテ・エメリッヒ、マイケル・ワイマー / 撮影監督:ディーン・セムラー / プロダクション・デザイナー:バリー・クーシッド / 編集:デヴィッド・ブレンナー、ピーター・S・エリオット / 衣装:シェイ・カンリフ / キャスティング:スーザン・タイラー・ブロウズ、スコット・デヴィッド、ジュディ・リー、エイプリル・ウェブスター / 音楽:ハラルド・クローサー、トーマス・ワンダー / 出演:ジョン・キューザックキウェテル・イジョフォーアマンダ・ピートオリヴァー・プラットタンディ・ニュートンダニー・グローヴァーウディ・ハレルソン、トム・マッカーシー、ズラッコ・ブリッチ / 配給:Sony Pictures Entertainment

2009年アメリカ作品 / 上映時間:2時間38分 / 日本語字幕:松崎広

2009年11月21日日本公開

公式サイト : http://www.2012-movie.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/11/17) ※TOHOシネマズ全国一斉試写会



[粗筋]

 2009年。地質学者のエイドリアン・ヘルムスリー(キウェテル・イジョフォー)は、インドの鉱坑で調査を行っていた友人サトナム(ジミ・ミストリー)からの報告に愕然とする。ここで得られたデータは各国政府のあいだで共有され、ある巨大な国際的プロジェクトの礎となる――

 それから3年後、2012年。

 アメリカ各地で細かな地震が多発するようになり、道路のひび割れが目立つようになっていたが、ほとんどの人々は危機感など抱かずにいる。売れない作家ジェイソン・カーティス(ジョン・キューザック)もそのひとりだった。

 彼にとってもっと関心があるのは、別居中の妻ケイト(アマンダ・ピート)や、子供たちとの関係改善である。ケイトは既に新しい恋人ゴードン(トム・マッカーシー)との生活を始めており、幼い娘のリリー(モーガン・リリー)はともかく、兄のノア(リアム・ジェームズ)はゴードンに馴染み始めている。逆転を狙って、ケイトとの思い出の土地であるイエローストーン国立公園でのキャンプを計画したが、ふたりの反応は芳しくない。

 だがその代わりにジェイソンは、奇妙なものを目撃する。ケイトとの想い出が刻まれた湖は干上がり、その周囲を軍が封鎖していた。不法侵入を働いた格好となったジェイソンたち親子は、現場の責任者であるエイドリアンがたまたまジェイソンの小説の稀少な愛読者であったためにすぐさま解放されたが、ジェイソンは周囲の異変に気懸かりを覚えた。更にキャンプ場には、チャーリー(ウディ・ハレルソン)という男が放送機材を搭載した車で陣取り、ラジオの電波で“世界の終わり”を訴え続けていた。

 翌る朝、ジェイソンはケイトに急遽子供たちを帰すように命令され、渋々ロサンゼルスに戻った。折良くというか悪しくというか、目下食いつなぐために就いている運転手の仕事が入ったため、ジェイソンはさっそく雇い主ユーリ(ズラッコ・ブリッチ)の息子ふたりを迎えに赴く。そしてそこでジェイソンは、信じがたい、決定的な事実を知るのであった……

[感想]

 近年、最も頻繁にディザスター・ムービーを製作している印象が強いのは、ローランド・エメリッヒ監督であろう。ウィル・スミスの出世作ともなった『インデペンデンス・デイ』に、世界中が氷結するヴィジュアルが衝撃的であった『デイ・アフター・トゥモロー』と2作品を大ヒットさせた彼がまたしても世界の危機を描いた大作が本篇である。

 こういう定番化したシチュエーションで新しい作品を制作するならば、物語の切り口なり、背後にある仕掛けなどなりに何らかの新機軸が必要である、と考える人は、恐らく早い段階で観る気を失うような作品である。

 何せ、視点も展開もオーソドックス極まりない。主人公はいまいち甲斐性のない男、別れた妻と自分を信頼していない子供たち、という境遇も有り体なら、彼が災害をいち早く知ったことで、周りに理解されないながらもにわかに行動を起こし、そこから矢継ぎ早に災難に見舞われ、普通なら2・3回死にそうなところで辛うじて生き延びていくところもおよそ定番だ。主人公に絡む人物の死んでいく順番、その過程で描かれるドラマの主題も実にストレート極まりなく、予測は出来なくとも意外性はほとんど感じない。

 予告などでは、マヤ文明が預言した世界の破滅を描く、云々と新しい切り口を喧伝しているが、実際に災厄が発生するきっかけとして用いられているのは、はっきり言ってしまえば擬似科学としか呼びようのない代物である。さほど科学知識のない私にも胡乱なロジックだと解る。そしてその点を差し引いても、以後の災害の展開自体はマヤ文明とは関わりない、というより、多くの宗教や世界崩壊を描いたフィクションの採り上げる災害や対処法を踏まえているだけで、やはりこちらにも独創性は見受けられない。

 ただ、出だしはともかく、結果として起きる現象には納得がいくので、“どうしようもなく非現実的”という印象はない。要するに本篇は、地球の大陸プレートがすべて溶解する、という現象があらゆる災厄のきっかけとなっているが、初期段階で地震が多く発生するのも、本格的に溶解が始まると低いところから地滑りを起こし、ああなっていくのも理解できる。そして、そのあとに起きる派手な現象もまた、基本的には最初の設定から予想できる出来事ばかりなので、驚愕しつつも納得して観ていられる。

 そして描かれる災害の模様の迫力はあまりに圧倒的だ。序盤の、道路に走る亀裂が大きくなっていく姿まではまだありがちだが、車で今まさに走っている道路が断裂し弾け飛び、高架道路が千切れてそのうえを走行していた自動車が次から次へと投げ出されていくヴィジョンには戦慄する。しかしそれすらも序の口で、諸々あって確保した小型飛行機に乗り込んで崩壊していく大地から離れた主人公たちが目の当たりにする光景はまさに地獄絵図だ。そのあと、内陸に逃れ、最終的な目的地への手懸かりを確保しようとした主人公たちは、大地が波打ち、裂けた大地からまるで核爆発のような噴煙が上がるのを目撃する。ディザスター映画と呼ばれるものは数あれど、ここまで慄然とする映像を立て続けに繰り出してきたものはほとんど類を見ないだろう。

 有り体といえど、観る者の目を惹きつけ、感情を揺さぶり、心に訴えかけるドラマ作りの巧さについても否定は出来ない。常にギリギリで繰り広げられる逃走劇のなかで、主人公ジェイソンと家族、周辺の人々との関係性が揺らぎ、変化して、終盤での畳みかけるようなピンチの連続をより劇的に演出している。

 最終的に生き残る人物があまりに恣意的で、事態の終息するきっかけも(これも決して当初の設定からはみ出していないのだが)御都合主義のそしりを免れそうにない。だが、予測を超えないからといって、感動を誘う構成の巧さ、カタルシスの大きさが損なわれるわけでもない。むしろ、期待通りだからこその安心感もまた、こういうストレートな大作に必要な資質のひとつだろう。

 人物造型や語り口にも新たな魅力を常に求めるような人はあまり満足出来ないだろうが、大作ならではの解りやすさと迫力、カタルシスとを求める観客ならば確実に充実感を味わうことが出来るはずである。繰り返しディザスター・ムービーを作ってきた監督ならではの、職人芸が光る大作だ。

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