『ブロンド少女は過激に美しく』

『ブロンド少女は過激に美しく』

原題:“Singularidades de uma Rapariga Loura” / 英題:“Eccentricities of a Blonde-Haired Girl” / 原作:エサ・デ・ケイロス / 監督、脚色&脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ / 製作:フランソワ・ダルトマール、マリア・ジョアン・マイエール、ルイス・ミニャーロ / 製作総指揮:ジャック・アレックス / 撮影監督:サビーヌ・ランスラン / 美術:クリスチャン・マルディ、ジョゼ=ペドロ・ペニャ / 編集:マノエル・ド・オリヴェイラ、カトリーヌ・クラソフスキー / 衣装:アデライデ=マリア・トレパ / 音響:アンリ・マイコフ / 音楽:アナ=パウラ・ミランダ / 出演:リカルド・トレパ、カタリナ・ヴァレンショタイン、ディオゴ・ドリア、ジュリア・ブイゼル、レオノール・シルヴェイラ、ルイス=ミゲル・シントラ、グロリア・デ・マトス、アナ=パウラ・ミランダ、フィリペ・ヴァルガス、ロジェリオ・サモラ、ミゲル・セアブラ / 配給:フランス映画社

2009年ポルトガル、スペイン、フランス合作 / 上映時間:1時間4分 / 日本語字幕:齋藤敦子、柴田駿 / 字幕監修:國安真奈

2010年10月9日日本公開(ジャン=リュック・ゴダール監督『シャルロットとジュール』併映)

公式サイト : http://www.bowjapan.com/singularidades/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2010/10/09)



[粗筋]

 マカリオ(リカルド・トレパ)がその少女・ルイザ(カタリナ・ヴァレンシュタイン)と出逢ったのは、叔父・フランシスコ(ディオゴ・ドリア)の経営する商店の会計士として働き始めて間もなくだった。商店の2階にある彼の仕事場で、窓から外を眺めたとき、向かいの窓で中国製の扇をなびかせる金髪の少女を目撃したマカリオは、取り憑かれたように彼女を見つめ――瞬く間に虜になっていた。

 文学好きの友人(フィリペ・ヴァルガス)が少女の母親ヴィラサ夫人(ジュリア・ブイゼル)と知り合いであるのを幸いと、マカリオは母子が参加した芸術の集いに自分も混ざり、遂にルイザと面識を得る。道路を挟んで見つめるマカリオに、ルイザも興味を抱いており、間もなくマカリオはルイザとの結婚を考えるようになった。

 だが、保護者であり雇い主である叔父は、甥の結婚に頑として頷かない。口論の挙句に叔父は解雇を言い渡し、マカリオは身ひとつで放り出された。仕事を見つけ、収入の手段を得ることが出来れば、晴れてルイザと結ばれる、と当初は意気軒昂としていたマカリオだったが……

[感想]

 監督のマノエル・ド・オリヴェイラは1908年12月11年生まれ。何と、本篇の撮影当時に100歳を迎えている。映画史を通しても稀有、恐らく今後もこれほどの高齢で現役を貫く映画監督などそうそう現れるはずがなく、撮られた作品はそれ自体で既に価値があるのだが、この人の恐ろしいところは、その上で更に内容が意欲的であり、清新な気配に彩られていることだ。

 構図にこだわり、ワンカットの尺が普通よりも数拍長く、思索的な台詞の多いオリヴェイラ監督の作品は、率直に言えば幾分のんびりとした語り口であり、やもすると晦渋になるため、よほどの映画好きでないとあまり楽しめない傾向にある。だが本篇は、描いている題材が普遍的かつ切り取り方も平明なので、非常に理解しやすい。ゆったりとした語り口こそ従来通りだが、尺の短さもあって、退屈と感じる暇さえなく、その美しい映像と雰囲気のある佇まいに魅せられたままエンドロールを迎えるはずだ。

 この作品で綴られるのは、言ってみれば今も昔も変わらず男が抱きがちな身勝手な幻想と、それが滑稽に壊れていく様だ。作中、マカリオとルイザの年齢がきちんと提示される場面はないが、恐らくひとまわりは差があると思われる。にもかかわらず、美しい少女に心を奪われ、接触する機会を得て欣喜雀躍し、見境なく行動に及んでは一喜一憂する様は、ほとんど少年のようだ。あまりに疑いを知らない言動ぶりに、観ていてハラハラし、妙に可愛くさえ見える。

 そんなマカリオを翻弄するルイザの描き方もまた巧い。お気に入りらしい中国製の扇を常に携える彼女の振る舞いは何処か真意が窺えず、マカリオに対する本当の想いが見えにくい。だからこそ生じる不安が、余計にマカリオを、そして彼に感情移入してしまった観客を振り回す。昨今のハリウッドや多くのファッション・ショーで持てはやされる類の美女とは異なり、肉付きの良い腕が目立ち、口許もぽってりとしているが、それ故に言動の幼さとアンバランスな艶っぽさが印象づけられ、男心を弄ぶ不思議な少女、という人物像に説得力が備わっている。

 極めて平易に綴られた物語のクライマックスは、呆気に取られる人も多いに違いない。過程を思えば、何故あそこだけ寛容になれないのかが訝しく感じられる。だが、そこにこそ、本篇が終始ユーモラスに、哀愁を添えて描き出してきた男の幼児性の最たるものが色濃く滲んでおり、これ以外に着地点はあり得ない。ルイザのラストシーンも、最後まで窺い知れなかった彼女の本質を、仄めかしつつもレースのカーテンの向こうに隠すようで、実にぴったりと嵌っている。

 映画を観るうえで監督の年齢など関係ない――と言いたいところだが、それでも齢100に達した人物が、これほどに瑞々しく、滾る血潮のようなものさえ感じさせる映画を撮ってしまったことには驚きを禁じ得ない。しかも、親しみやすさと平易さに深みまで備えた本篇は、極めて広範な観客に薦めることの出来る、代表作のひとつと言える仕上がりになっている。100歳でこんなものを撮ってしまう監督が、このあと更にどんな境地を示してくれるのか、畏怖しつつも胸を高鳴らさずにはいられない。

 あまりに短い尺に慮ったのか、本篇は日本での劇場公開に際して、ジャン=リュック・ゴダール監督の短篇『シャルロットとジュール』が同時上映される運びとなった。

 作品を追加して補うのはいいのだが、情報が出た当時、何故ポルトガル映画にフランス映画を? と首を傾げた。だが、実際に観てみると、併せてお披露目したかったのも理解できる。表現の仕方も人物像も異なるが、奥に潜むテーマは共通しているのだ。

 オリヴェイラ監督が選んだ原作は100年以上前の作品、ゴダールのこの短篇は数十年前、そして本作は時代を現代に移している。だが、どの時代を舞台にしても説得力がある、という事実には……苦笑いを抑えることが出来ない。いつの世も、根っこは変わっていない、ということなのだろう。

関連作品:

家路 Je rentre a la maison

家宝

永遠(とわ)の語らい

夜顔

それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画〜

コロンブス 永遠の海

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