『ダーティハリー』

ダーティハリー [Blu-ray]

原題:“Dirty Harry” / 監督&製作:ドン・シーゲル / 原案:ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク / 脚本:ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク、ディーン・リーズナー / 製作総指揮:ロバート・デイリー / 撮影監督:ブルース・サーティース / 美術:デイル・ヘネシー / 編集:カール・ピンジトア / 音楽:ラロ・シフリン / 出演:クリント・イーストウッドハリー・ガーディノ、アンディ・ロビンソン、ジョン・ヴァーノン、レニ・サントーニ、ジョン・ラーチ、ジョン・ミッチャム、アルバート・ポップウェル、ジョセフ・ソマー、メエ・マーサー、リン・エジングトン / マルパソ・カンパニー製作 / 配給:Warner Bros.

1971年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫

1972年2月26日日本公開

2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)上映作品

Blu-ray Discにて初見(2010/11/11)



[粗筋]

 サンフランシスコで白昼堂々、屋上プールで女性が狙撃される、という事件が起きる。間もなく犯人を名乗る男から、10万ドルを払わなければ、今度は神父か黒人を殺す、という脅迫の手紙が市長(ジョン・ヴァーノン)宛に届いた。犯罪者に金は払わない、と市長は明言し、警察はヘリコプターを軸に、高層ビル屋上に警官を配備する厳戒態勢で臨む。

 事件を担当するのは、ハリー・キャラハン刑事(クリント・イーストウッド)。有能だが、他の刑事がやりたがらない厭な仕事ばかり請け負わされることから、“ダーティハリー”のふたつ名で呼ばれている男だった。無謀な仕事ぶり故に相棒は常に危険に晒される傾向にあり、そのために単独行動を好んでいる。

 警戒中のヘリコプターが、ふたたび狙撃しようとしていた犯人を発見するも取り逃がしたあと、ハリーは犯人が再び同じ地区で犯行に及ぶと推理して、新しくつけられた相棒のチコ(レニ・サントーニ)と共に張り込みを敢行した。ハリーの狙いは見事に的中、犯人と壮絶な銃撃戦になるが、警戒中の警官ひとりの犠牲を出し、ギリギリのところで逃げられてしまう。

 そして犯人は新たな行動に出た。市長宛に送られた荷物は、脅迫状と、ひと房の髪と、抜かれた歯。生き埋めにした14歳の少女を助けたければ、20万ドルを寄越せ、というのである。今度ばかりは身代金を支払わねばならない、と観念した市長は金を集め、運搬役はハリーに委ねられた……

[感想]

 21世紀に入る前後からの目覚ましい活躍によって、すっかりハリウッドを代表する名監督のひとりになったクリント・イーストウッドだが、未だに――というより、出演作を抑える意向を示していることから、恐らく今後も――俳優としての彼のイメージは、5作品を数えたシリーズに成長したこのシリーズのタイトル・ロールが最も大きいままになるだろう。

 この当時としては極めて型破りな刑事がこれほどに人気を博したのは、キャラクター自体の完成度の高さもあるだろうし、第1作を演出したドン・シーゲル監督の演出スタイルと噛み合い、非常に魅力的な作品世界を構築するのに成功したことも大きいのだろう。

 だが、ここしばらく、クリント・イーストウッド主演作を『荒野の用心棒』から順を辿って鑑賞していった(映像ソフトを借りずに購入した本篇だけは我慢できず、2篇ほど飛び越して鑑賞してしまったが)目には、決して運や偶然ではなく、辿り着くべくして辿り着いた、はじめから目指す頂に本篇が位置していたように思える。

 一匹狼的な人物像は、そもそもクリント・イーストウッドが主演してきた西部劇に共通するものだ。テレビの西部劇で世間に知られるようになった彼は、そのイメージが根強いことも充分に自覚していただろう。だからこそ、ハリウッドで自らの意志に沿った映画製作が可能になったのちも、『奴らを高く吊るせ!』や『真昼の死闘』のような西部劇に出演している。

 だがその一方で、少しずつ現代劇や戦争物など、異なる時代背景を持つ映画に少しずつ出演していき、観客が自分に持つイメージを変革してきた。あからさまに“カウボーイ、都会に現る”というシチュエーションを扱った『マンハッタン無宿』こそその象徴と言えよう。

 そしてこの『マンハッタン無宿』で、先行する『奴らを高く吊せ!』に続いて保安官を演じたことが、巡り巡って本篇に繋がっている。無法者、一匹狼といったイメージを敷衍せず、その信念を貫く姿を印象づける役回りに“法に仕える者”を選んだのは、その後に演じるキャラクターに、俳優クリント・イーストウッドの持つイメージを崩すことなく幅を与える意図であった、と推測されるが、この一匹狼の捜査官、というキャラクターを洗練させ、重厚感を齎した結果が、ハリー・キャラハンなのだ。

 本篇を発表した時期も、今の時点から顧みると重い。前々作『白い肌の異常な夜』はいわば渾身の異色作であり、一部では賞賛されながらも興行的には不調に終わった。そういうタイミングでイーストウッドは『恐怖のメロディ』で監督デビューを果たしている。こちらは批評家からも好評であり、上映規模は小さかったものの堅実に収益を上げ、イーストウッドがそれ以降監督として活動するための礎を築いた。

 そのあとに、本篇があるのである。監督は『白い肌の異常な夜』のドン・シーゲルが、さながら雪辱とばかりに就いた。主人公ハリー・キャラハンは、イーストウッド初期のお馴染みの人物像である一匹狼であり、職業も保安官と地続きの刑事。ジャンルとしても、西部劇とリンクするアクションものに属する。言ってみれば、クリント・イーストウッドという俳優について世間が抱くイメージを押さえ、堅実策を取ったようにも見える。

 だが、振り返っていただきたい。ドン・シーゲル監督のもとでの仕事はこれで4度目、ひとつ前の初監督作『恐怖のメロディ』ではバーテン役を任せ、その演出ぶりを間近で見届けてもらっているほどの信頼関係を築き上げている。そして、一連のヒーロー像も、イーストウッドが意識して選択して守り、そして育てていったものの延長上にある。堅実策とも言えるが、それが堅実な選択として成立したのは、先行する作品選びが確かだったからなのだ。魅力も、作品の完成度も、イーストウッドが築きあげたものに寄っているのである。

 無論、内容的にも優れている。現代にも通じる、動機の不明瞭な殺人鬼の理不尽な犯行を描くと共に、正義を守ろうとする意志を時として無効化する法に対する疑念も織りこんでいる。そういう、他の者であれば心が折れてしまいそうな状況下であるからこそ、イーストウッド=ハリー・キャラハンの持つ一匹狼というスタンス、そして信念が強く印象づけられる。

 アクション映画として眺めると、昨今の大規模なスタント、VFXによって作り込まれた映像と較べると大人しいが、しかし闇の中での距離を隔てた銃撃戦に、工場での一騎打ちなど西部劇的な活かし方が絶妙で惹きつけられる。

 最後まで犯人のバックボーンを不明瞭にしたことや、ラストで滲み出す無常観も印象的だ。題材、描き方も完璧に決まっている。

 だが、その完璧さは間違いなく、イーストウッドが選択し、育ててきた彼自身のイメージによって支えられているのだ。そして、本篇の大きな成功が、その後幾度か繰り返した失敗にも拘わらず、彼がなおも挑戦的な作品を生み出し、主演の地位から退いてもなお監督として歩み続けるための基礎を固めた、と言える。

 恐らく今後もクリント・イーストウッドという俳優のイメージは、このあまりにも魅力的な刑事像が支配し続けるだろう。だが、それでいいのだと思う。本篇は、極めて早い段階から映画人であろうとしたクリント・イーストウッドの意識的な作品選択が見事に実を結び、それ以前の出演作を総括すると共に、その後の映画人としての歩みを保証した、まさに記念碑的作品なのだ――実際にはその後もイーストウッドの出演・監督作には浮き沈みがあったわけだが、このヒット作の存在が彼の信念を支え、未来を照らし出していたのではないかと思う。21世紀を超えて訪れた、監督としての“最盛期”を。

関連作品:

荒野の用心棒

夕陽のガンマン

続・夕陽のガンマン

奴らを高く吊るせ!

マンハッタン無宿

荒鷲の要塞

真昼の死闘

戦略大作戦

白い肌の異常な夜

恐怖のメロディ

真夜中のサバナ

許されざる者

ブラッド・ワーク

ミスティック・リバー

ミリオンダラー・ベイビー

父親たちの星条旗

硫黄島からの手紙

チェンジリング

グラン・トリノ

インビクタス/負けざる者たち

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