映画が退屈だから眠かったのではありません。[午前十時の映画祭(69)]

 本当に寝不足気味だったのです。

 金曜日にはどーしても初日に押さえたい作品があったので、午前十時の映画祭《赤の50本》今週分を押さえる機会は今日しかない。ネットで予約しようと座席一覧を開くと、いつも利用しているあたりの席が3列まとめて埋まっていて度胆を抜かれましたが、やや後ろの中央寄りを確保しておいて、朝からお出かけ。台風一過で、気温こそ高いものの急に秋めいた陽気のお陰で、道中は大変心地好かった。

 日比谷にあるTOHOシネマズみゆき座に着いてみると、確かにいつも座っているあたりの座席には、年輩のお客様がぞろぞろと。どうも団体で来たか、申し合わせて鑑賞に訪れたようです。題材がモーツァルトだからでしょうか。

《赤の50本》今週の作品は、ピーター・シェイファーの戯曲を自らの脚色で映画化、アカデミー賞他多くの賞に輝いた、ミステリー・タッチの芸術ドラマアマデウス ディレクターズ・カット版』(Warner Bros.配給)

 観ながら終始眠気と格闘していたのは、しかし退屈な映画だったからではなく、純粋に寝不足気味だったからです。が、それでも3時間を超える尺が乗り切れてしまうのですから、そうとうに面白い。本物の才能を前に凡人が己の限界を悟り、懊悩し、狂気に走るさまを圧倒的な筆致で描き出しています。冒頭の、「私がモーツァルトを殺した」という発言の謎を、最後まで牽引力として保っているのも巧い。スターは出ていない、そして派手な事件もないのですが、19世紀の音楽家たちの暮らしぶり、オペラの様子の再現などで彩りを添えており、見応えのある作品でした。

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