『インモータルズ −神々の戦い−(3D・字幕)』

『インモータルズ −神々の戦い−(3D・字幕)』

原題:“Immortals” / 監督:ターセム・シン / 脚本:ヴラス・パルラパニデス、チャーリー・パルラパニデス / 製作:マーク・キャントン、ジャンニ・ヌナリ、ライアン・カヴァナー / 製作総指揮:タッカー・トゥーリー、ジェフ・ワックスマン、トミー・タートル、ジェイソン・フェルツ / 撮影監督:ブレンダン・ガルヴィン / 視覚効果監修:レイモンド・ギエリンジャー / プロダクション・デザイナー:トム・フォデン / 編集:スチュアート・レヴィ / 衣装:石岡暎子 / キャスティング:ジョセフ・ミドルトン / 音楽:トレヴァー・モリス / 音楽監修:ハッピー・ウォルターズ、ボブ・ボーウェン / 出演:ヘンリー・カヴィルミッキー・ロークフリーダ・ピントルーク・エヴァンスジョン・ハートスティーヴン・ドーフ、ジョセフ・モーガン、ダニエル・シャーマン、イザベル・ルーカス、ケラン・ラッツ、ロバート・メイレット、スティーヴ・バイヤーズ、コリー・セヴィエール、マーク・マーゴリス、スティーヴン・マクハティ、アラン・ヴァン・スプラング、ピーター・ステッピングス、ロマーノ・オルザリ、グレッグ・ブリック / レラティヴィティ・メディア製作 / 配給:東宝東和

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:林完治 / R-15+

2011年11月11日日本公開

公式サイト : http://immortals.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2011/11/17)



[粗筋]

 遥か昔、神々の時代。不死であった彼らはしかし、やがて殺し合うことを覚えた。オリュンポスの神々とタイタン族とのあいだで壮絶な争いが起き、数多の犠牲を払ったのち、神々はタイタン族を地底深くに封印することに成功する。

 時は流れ、地上に生きる人類のなかに、神々を憎悪し、世界を支配しようとする野望に駆られる男が現れた。その男、イラクリオン国王ハイペリオン(ミッキー・ローク)はかつてヘラクレスが鍛えたと言われる兵器〈エピロスの弓〉を得て、タイタン族を解放することを目論見、弓が封印されていると思しいギリシャの村を次々と襲撃する。

 その魔の手はやがて、農夫テセウス(ヘンリー・カヴィル)の暮らす海辺の村にも迫ってきた。住民達は順次、タイタロスの要塞へと避難するようお触れが降ったが、テセウスらはその身分の低さゆえに最後に来るよう命じられる。抗議した際に叩きつけられた罵倒に激昂し、あわや流血沙汰になろうかというところで、軍の幹部がそれを制止し、テセウスの度胸に免じて護衛をつけることを約束する。

 だが、テセウスといがみ合いになった末、罰として最後尾につく民の護衛を命じられた兵リサンダー(ジョセフ・モーガン)はその晩、一緒に見張りをしていた兵士を殺害すると、ハイペリオンのもとに赴き、村の所在を伝えた上で投降してしまう。

 そして、海辺の村をハイペリオン軍が急襲した。自らの母が兵たちに捕えられていることに気づいたテセウスは、母を救うべく単身ハイペリオン軍に挑むが、ハイペリオンはその眼前で母親を惨殺、テセウスを生かしたまま捕え、奴隷として塩田に送りこむ。

 唯一愛する者を喪い虚脱状態となったテセウスは塩田に着いても喉を潤すことさえしなかったが、そんな彼に口移しで水を飲ませる者がいた。それは、未来を視る力を備えた巫女であるがゆえにハイペリオンに囚われたひとり、パイドラ(フリーダ・ピント)――彼女はテセウスに接した瞬間、彼が知らずのうちにゼウスの寵を受け、世界の危機に立ち向かうことの出来る存在であることを悟り、彼を救うと共に、自らも脱出することを決意したのである。

 パイドラが本物の能力者であることを隠すために起居を共にする姉妹たちと、テセウス同様に捕らわれていた盗賊スタブロス(スティーヴン・ドーフ)の協力もあって、テセウスとパイドラをはじめとする数人が辛うじて脱走に成功した。どこへ赴くか、と問われたとき、テセウスは迷わず答えた――ハイペリオンのもとへ、仇を討つために。

[感想]

 あのターセム監督が3Dで映画を作った――これだけで、個人的には興奮を禁じ得なかった。

 長篇映画デビュー作『ザ・セル』の宣伝において既に“ヴィジュアル・モンスター”というふたつ名が用いられていたことから解るように、そもそもCFなどで活躍し、突出した映像感覚に注目されていた人物である。『ザ・セル』自体は、人間の心象世界、という趣向がユニークながら、作品が目指したサスペンス的な描き方と充分にマッチしていたと言い切れず、いささか不格好になってしまった感があるが、2006年に製作した『落下の王国』では、その傑出した映像感覚を幻想世界と結びつけることで巧みに昇華し、映像作家としての才能も充分に証明した。

 そのあまり個性的な映像を、3D映画に用いるのである。前2作のうちいずれか一方を観ていれば、興味が湧くと共に、一抹の不安をも覚えるかも知れない。何せ、あまりに際立った作家性があるだけに、3Dと馴染むのか、実物を観るまでは確信が持てないのだ――それと同時に、興味を抱いてしまう私の心境も、ご理解いただけると思うが。

 しかし、はっきり言って杞憂だった。むしろ、ターセム監督のセンスは3Dに非常に親和性が高かった、と感じる。

 鑑賞後にプログラムを読んで驚いたが、この作品はいわゆる後付けの3D――撮影時点では2D、つまり従来と同じ方法で収録し、あとで3Dに加工したものなのだという。このブログにおいて幾度か触れたが、後付けの3D化には、視差を再現できないがゆえに“飛び出す絵本”になってしまう危険を孕んでいる。しかし、本篇には後付けの加工による違和感が驚くほど少ない。むしろ、観ているあいだ、3Dで撮影されたことをさほど疑わないくらいに完成されていた。

 これは、あとで3D処理することを考慮した上で慎重に撮影したことも窺えるが、ターセム監督の築くヴィジュアルが、豊かな色彩感覚ゆえに陰影が明瞭であり、そのために2Dでも既に立体感を味わえる映像になっていることが貢献しているように思う。美しく奥行きのある構図も3Dとの相性が良く、同じように神話をモチーフとし、あとづけで3D化された『タイタンの戦い』と比較すると、説得力、構築美に格段の違いがある。『タイタンの戦い』の場合はそもそも3D化を想定せず撮影されていたものを、『アバター』の大ヒットに便乗して無理矢理3Dにしてしまった、という背景があるので、比べるのは気の毒でもあるのだが、それでもクオリティの差は歴然としている。

 もうひとつ、ターセム監督が最近流行の、手持ちカメラでやたらと振り回した映像を避けているらしいことも、3Dにして違和感を生まずに済んだ一員だろう。動きが充分にコントロールされていれば、それもまた素晴らしい臨場感を生むことが出来るが、あまりに激しすぎると観客の眼がついていけなくなる。その点、本篇はアクション自体は激しいものがあるが、極力カメラを動かさないか、戦いの舞台を狭く絞ることで、観客が距離感を失わずに済んでいる。加工する際の手間も考慮に容れたのかも知れないが、いずれにせよ、そのヴィジュアル・センスと製作のための必要性が非常にうまく調和しているのだ。

 だからこそ、見ていて虜にされそうな、驚異的な映像空間が生まれている。想像していた以上に、ターセム監督と3D映画という手法は相性が良かったのである。

 ――と、映像について語っているだけでだいぶ長くなってしまったが、物語自体も完成度は高い。いい意味でも、悪い意味においても、神話の特徴、面白さを見事に抽出している。

 観ていて随所で、神々の一種“意地悪”な側面、傲岸さ、そして不条理な自由のなさを感じることがある。それはそのまま、物語としての歪さ、という欠点に繋がっているのだが、しかしこれらの特徴は実際のギリシャ神話のみならず、多くの説話にも共通するものだ。

 顕著なのは、神々のなかで最も登場するの多いゼウスである。他の神々には「人間の営みに関わるな」と命じつつ、自分は長い時間をかけ、テセウスを手塩にかけて戦士として育て上げている。実際のギリシャ神話においても、ゼウスの“身勝手さ”は目にあまるほどで、人間、神を問わず多くの女性をたぶらかしている――この事実を敷衍すると、本篇の中でそうした描写は見られないが、穿った想像をすることも出来る。即ち、テセウスの母を身籠もらせたのは、他でもないゼウス自身であった、という可能性である――そう考えると、彼が終盤における神々の戦いの鍵を握っていた、と同時に、そもそも混沌を生じさせた元凶とも捉えられる。

 こうした妄想が出来るのも、ゼウスのみならず、名前の出る神々や、全体のムードが正統派の神話を彷彿とさせるからに他ならない。本篇はギリシャ神話の登場人物、個性を踏まえつつ、大幅に物語を改変しながら、“神話らしさ”を維持している。その徹底ぶりは賞賛されるべきものだが、しかし正直なところ、あらゆる観客を納得させ、満足させるものでないのは確かだろう。ゆえに、“いい意味でも、悪い意味でも”と添えねばならないわけだ。

 題名に反し、序盤は人間たちの醜さが描かれるが、その過程も伝統的な英雄譚の基本を踏襲して乱れがない。テセウスの人物像もさることながら、素晴らしいのは悪の象徴たるハイペリオンだ。テセウスのいわばコインの裏側として構築されたこの人物の邪悪ぶりたるや、いっそ清々しく感じられるほどである。脱走してきた兵を歓迎するどころか「最悪の臆病者」と罵り恐ろしい仕打ちをし、部下を躊躇なく使い捨てにする。

 クライマックスでは、神々とタイタン族との壮絶な戦いがメインとなるが、それと並行してテセウスハイペリオンの最終決戦が描かれる。スピード感、能力共にまるで異なるふたつの戦いの対比は、物語的にも映像的にも鮮烈で、凄まじいインパクトだ。

 美しいとは言い条、アクの強い映像は好き嫌いが分かれるだろうし、誰しも満足する、カタルシスの味わえるストーリーというわけではないので、おいそれと薦めることは出来ない。しかし、ターセム監督が備えている作家性を存分に発揮した、ひとつの頂点であることは断言できる。他の映画では不可能な、唯一無二の感覚が堪能できる作品である。

関連作品:

落下の王国

300<スリー・ハンドレッド>

人生万歳!

アイアンマン2

三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船

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マイティ・ソー

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