『砂漠でサーモン・フィッシング』

新宿ピカデリー、スクリーン7の前に掲示されたポスター。

原題:“Salmon Fishing in the Yemen” / 原作:ポール・トーディ『イエメンで鮭釣りを』(白水社・刊) / 監督:ラッセ・ハルストレム / 脚本:サイモン・ビューフォイ / 製作:ポール・ウェブスター / 製作総指揮:ジェイミー・ローレンソン、ポーラ・ジャルフォン、ジギー・カマサ、ガイ・アヴシャロム、スティーヴン・ギャレット / 撮影監督:テリー・ステイシー,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:マイケル・カーリン / 編集:リサ・ガニング / 衣装:ジュリアン・デイ / キャスティング:フィオナ・ウィアー / 音楽:ダリオ・マリアネッリ / 出演:ユアン・マクレガーエミリー・ブラントクリスティン・スコット・トーマス、アムール・ワケド、トム・マイソン、キャサリン・ステッドマン、レイチェル・スターリング、トム・ベアード、ジル・ベイカー、コンリース・ヒル / クドス・ピクチャーズ製作 / 配給:GAGA

2011年イギリス作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:松浦美奈

2012年12月8日日本公開

公式サイト : http://salmon.gaga.ne.jp/

新宿ピカデリーにて初見(2012/12/15)



[粗筋]

 中東情勢が悪化するなか、英国政府の動向がマスコミから批判を浴びていた。首相広報担当官のパトリシア・マックスウェル(クリスティン・スコット・トーマス)は批判をかわすべく、どこかに中東とのポジティヴな話題がないか、懸命に探し始める。そして彼女は、外務省経由で漁業・農業省に送られたメールに目をつけた。

 漁業・農業省に勤務する水産学者のアルフレッド・ジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)が受け取ったそのメールは、イエメンの豪族シャイフ・ムハンマド(アムール・ワケド)の国際的な資産を管理する代理人ハリエット・チェトウォド=タルボット(エミリー・ブラント)からのものだった。いわく、シャイフの要望により、イエメンで鮭釣りが出来るようにしたい。ついては、専門家であるジョーンズ博士の知恵を貸していただきたい、というものだった。

 アルフレッドはあまりにもバカバカしいこの計画に乗るつもりはまったくなかった。他人にはどうでもいい内容でも、彼には他に仕事があり、多忙を極めている。しかし、上司のバーナード・サグデン(コンリース・ヒル)を介してマックスウェルからせっつかれ、何はともあれ、ハリエットと面会することとなった。

 砂漠地帯にあるイエメンでは、鮭が遡上するのに必要な条件を揃えられない、と現実を突きつけるはずが、しかしハリエットは、イエメンの気候が決して不適当ではないこと、鍵を握る水流の問題も、地下水脈を汲み上げるダムが既に完成を間近に控えており、逆に条件が揃い始めていることを告げられた。それでも、金持ちの娯楽、としか思えないこの事業に荷担する気にはなれなかったアルフレッドだが、なおもマックスウェルからの突き上げを食らっている上司から、給金の大幅アップと解雇のどちらを選ぶか、と問われて、契約書にサインせざるを得なくなる。

 それでも未だに、“求められているから仕事をする”という程度のつもりで、理論的には可能だが手間も費用もかかりすぎる方法を提示するアルフレッドだったが、ハリエットはそれをあっさり呑んでしまった。やがてアルフレッドは、この荒唐無稽な計画の立案者であるシャイフと直接対面することとなるが、彼の思いのほか誠実な人柄に触れ、その真意を聞かされたことで、アルフレッドの考えが変わり始める――

[感想]

 まさかの実話、というわけではなく、純然たるフィクションであるが、しかし、妙にあり得そうな雰囲気を終始たたえている。

 砂漠で鮭を釣る、というアイディア、確かに突飛に響くが、しかし冒頭で説かれるとおり、どうやら“理論的には可能”であるらしい。だが、そのためには莫大な予算に正確な知識、そうした能力を持ち、かつお互いに理解し合えるパートナーの協力が必要となる。どれだけ揃っていても、非協力的な人物の存在や、想定外のトラブルに揺さぶられるものだ。

 いま並べたてたことは至極当たり前の話ではあるが、本篇はこれを実に洒脱に、最後までリズム感とユーモアを損なわずに描いている。

 大元の発想は誇大妄想的に聞こえるが、しかしそれを支えるディテールが磨き上げられているのだ。これも早いうちに説明されるとおり、砂漠地帯で鮭を放流する、といってもただ釣らせるためだけの娯楽止まりで定着などしない、と考えてしまうが、実はイエメンであっても、鮭が泳ぎ、遡上するための条件は揃っている。しかもアラブ系国家は莫大な富を持つ者がおり、調査が行き届いていれば、求められる条件を揃えることも出来る。そういう希望があるから、ひとは無謀と指摘することでも挑戦する意義を見出すわけだ。

 と、鮭釣りを焦点としたドラマの勘所をひととおり並べたが、しかし本篇の上手いところは、それを主人公アルフレッドの人生と折り重ねていることだ。

 妻との、不仲ではないが硬直しきり、そして有能な妻の身勝手な振る舞いに翻弄されがちなアルフレッド。恐らく、何事もなければこのまま妻と穏やかな、しかし多分味気ない人生を全うすることになっただろう。しかし、砂漠での鮭釣りという、魅力的な冒険に出逢ったことで、己の願望と妻の求める生活との不和を実感してしまう。鮭釣りを実現するための手順で遭遇する困難とが、妻との関係がこじれていくのとシンクロしていくので、シンプルな展開に巧みなメリハリが形成されている。

 アルフレッドの性格が堅苦しいので、やもすると語り口も固くなってしまいそうだが、それを他の人物との絡みに細かなユーモアをちりばめ、非常にテンポよく描いており、観ていて終始愉しく心地好い。仕事上の相棒となり、のちにキーパーソンとなっていくハリエットや、豪族ならではの気品と風格を猛烈に感じさせるシャイフとの絡みもさることながら、本篇でキキメとなっているのは、英国首相の広報官を務めるマクスウェルの存在だ。アルフレッドと直接の絡みは少ないのだが、彼のもとに届いた“イエメンで鮭釣りを実現させたい”という要望に目をつけ、国の印象改善、首相の好感度アップに利用するため、周りを顧みず邁進するさまが実に可笑しい。原作では男性だったキャラクターを、映画化に際して女性に変更したそうだが、クリスティン・スコット・トーマスの驚異的な嵌まりっぷりを観ると、最善の脚色だったのではないか、と思う。

 結末が少し綺麗に収まりすぎている感もあるが、それもまた本篇の、いい意味での“夢物語”っぽさにはしっくり来る。ある部分では破綻するが、しかし別の意味では理想的に近いこの結末があるから、作品全体を覆う快いムードを壊さずに済んでいるのだ。

 脚本を担当したサイモン・ビューフォイの代表作『スラムドッグ$ミリオネア』にも通じる軽やかさと爽快感に、柔らかなトーンの人間ドラマを多く手懸けているラッセ・ハルストレム監督の演出が噛み合い、ユアン・マクレガーら俳優陣がそのなかで快く踊っている。ほんのりとした苦みもあるからこそ、極上の幸福感が味わえる名品である。

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