『ホワイトハンター ブラックハート』

ホワイトハンター ブラックハート [DVD]

原題:“White Hunter, Black Heart” / 原作:ピーター・ヴィアテル / 監督&製作:クリント・イーストウッド / 脚本:ジェームズ・ブリッジス、バート・ケネディ、ピーター・ヴィアテル / 製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス / 共同製作:スタンリー・ルービン / 撮影監督:ジャック・N・グリーン / プロダクション・デザイナー:ジョン・グレイスマーク / 編集:ジョエル・コックス / 衣装:ジョン・モーロ / キャスティング:メアリー・セルウェイ / 音楽:レニー・ニーハウス / 出演:クリント・イーストウッドジェフ・フェイヒージョージ・ズンザ、アルン・アームストロング、マリサ・ベレンソン、シャーロット・コーンウェル、エドワード・チューダー・ポール、ティモシー・スポール / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video

1990年アメリカ作品 / 上映時間:1時間52分 / 日本語字幕:細川直子

1990年11月9日日本公開

2009年11月18日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2013/03/18)



[粗筋]

 ジョン・ウィルソン(クリント・イーストウッド)は破天荒な男だ。映画監督として名声を上げながら、しかしプロデューサーを喜ばせることはおろか、観客の関心を惹くことにも興味はない。作品はヒットさせているが、しかし奔放な映画作りと生活のために多額の借金を背負い込み、それでも泰然としている。

 プロデューサーのポール・ランダース(ジョージ・ズンザ)と衝突の絶えないやり取りを経て、どうにかウィルソンが新たに資金調達の目処を立てたのは、アフリカを舞台とした冒険とロマンスの物語であった。旧友である脚本家ピート・ヴェリル(ジェフ・フェイヒー)の協力を得て脚本のブラッシュアップを行うという名目で、ロケ隊に先んじてアフリカ入りする。

 だが、このときウィルソンの頭にあるのは撮影のことではなく、趣味である狩猟のことだった。象を狩る、という夢に取り憑かれたウィルソンは、ハリウッドからのランダースの突き上げもどこ吹く風と、地元のコーディネーターや狩りに長けた原住民とのやり取りに熱中する。

 当然のように撮影の準備は捗らず、運に恵まれないウィルソンの狩りも、念願のときはなかなか訪れない。やがて、撮影の本隊がアフリカ大陸に渡ってくるが、この期に及んでなお、ウィルソンは猟のことばかり考えていた……

[感想]

 本篇は、『アフリカの女王』という作品に脚本家として携わり、ロケ地にも同行したピーター・ヴィアテルが、そのときの出来後をベースに執筆した小説を、自らの脚色により映画化した、というものである。

 そのため、“絶対に必要”ではないが、予め『アフリカの女王』を観ておくと少し理解の助けになるし、また楽しみ方が増える。ふんだんではないが、ところどころに登場する船舶やロケーション、村落の佇まいは見事に『アフリカの女王』の当該モチーフの雰囲気を再現しているし、違う名前になっているが、のちに出演俳優として現れる人々は、名前こそ違えど、本家のハンフリー・ボガートキャサリン・ヘプバーンの雰囲気をまとった人物が起用されている。『アフリカの女王』の内容が直接関わってくるものではないので、絶対に観るべきとは言わないが、名前を変更しつつもきちんとそれぞれの要素を正しく盛り込もうとする誠意は窺える。

 しかし、そうしたノンフィクション的性質にも拘わらず、本篇はこの頃までの基本となるイーストウッド作品の例に漏れず、イーストウッドの持つキャラクター性を新たな解釈で描き出した内容となっている。映画監督ではあるが、観客やプロデューサーの歓心を惹くことにさほど意義を見出さず、撮影よりも狩猟を成功させることに夢中になっている男。身勝手ではあるが、自分なりの道徳心、正義感はあって、ユダヤ人を侮辱した女性を例え話で言い負かし、黒人の使用人に対して横柄な態度を取るホテルの支配人に喧嘩を挑む。狩猟の際にも、白人の経験と知識に優れたハンターの意見よりも現地のハンターの直感を信頼するなど、古いタイプの武骨な人物像が強調されている。ノンフィクションに近いスタイルであるが、内容的にはハードボイルドの性質のほうが色濃いのである。

 とは言うものの、中盤ではこれといった事件は起きず、大きな紆余曲折があるわけではないので、正直なところ間延びした感は否めない。前述した、ふたつの諍いのシーンがやや印象に強いくらいで、あとはひたすらアフリカを歩き回り、なかなか映画製作に進まない、ということが淡々と描かれるのみだ。音楽で過剰に華々しさを演出したりしない、というのはイーストウッド監督の一貫した演出スタイルだが、やはり『許されざる者』や2000年以降の円熟期の作品と比べるとまだ充分な効果を上げていないようだ。

 そうして辿り着いた終幕も、カタルシスに欠く。ただ、現実に沿っているらしい、という点を差し引いても、この幕切れは過程からして必然的ではある。徹底して硬骨漢として描かれてきた男の迎えたこの結末は皮肉で、じわじわとのしかかってくるものがある。過程で描かれた映画監督のタフネスは、この頃までのイーストウッド作品でもたびたび採り上げられてきたが、ちょうどこれに先行する作品においては、古臭いものとして唾棄されるような傾向が濃くなっていた。イーストウッド自身、その変化を感じ取っていたのかも知れない。本篇のラストシーンは、何かの始まりであるのと同時に、ひとつの時代が幕を下ろしたような風情がある。

 そこに味わいを汲み取ることが出来れば――そしてこれ以降も幾度か繰り返し登場する似たような主題の、最初の完成型のひとつがここにある、と捉えることが出来れば、本篇は決して無視しづらい。本篇で見出された境地が本当に昇華されるのは、『ルーキー』を挟んで発表される『許されざる者』であったと考えられ、そういう意味ではこれも里程標のひとつとして評価できそうだが、しかし、エンタテインメント作品のような爽快な筋書き、単独でも伝わる明白な決着を望んでいると、満足はしないだろう。

 データがすぐに見つからなかったので、本篇がどの程度まで現実に即しているのか、私には確信が持てない。しかし、本篇の原作者であり、脚色も手懸けたピーター・ヴィアテルの名は、『アフリカの女王』のクレジットには掲載されていないことから、想像を逞しくすることは出来る。或いは、最初の脚本や原作小説にはその後も記されていたのかも知れないが、それを大胆にカットしたのなら、やはりイーストウッドがこの作品に見出した意義は明白、と言えるのだけど。

関連作品:

アフリカの女王

アルカトラズからの脱出

バード

真夜中のサバナ

父親たちの星条旗

硫黄島からの手紙

チェンジリング

インビクタス/負けざる者たち

J・エドガー

許されざる者

ディア・ハンター

マチェーテ

英国王のスピーチ

コメント

タイトルとURLをコピーしました