『オブリビオン』

TOHOシネマズ日劇、外壁の看板。

原題:“Oblivion” / 監督&原作:ジョセフ・コシンスキー / 脚本:カール・ガイダシェク、マイケル・デブリュン / 製作:ピーター・チャーニン、ディラン・クラーク、ダンカン・ヘンダーソンジョセフ・コシンスキー、バリー・レヴィン / 製作総指揮:デイヴ・モリソン、ジェシー・バーガー、ジャスティン・スプリンガー / 撮影監督:クラウディオ・ミランダ,ASC / プロダクション・デザイナー:ダーレン・ギルフォード / 編集:リチャード・フランシス=ブルース,ACE / 衣装:マーリーン・スチュワート / 音楽:M83(アンソニー・ゴンザレス) / 作曲:ジョセフ・トラバニーズ / 出演:トム・クルーズモーガン・フリーマンオルガ・キュリレンコアンドレア・ライズブローニコライ・コスター=ワルドーメリッサ・レオゾーイ・ベル / 配給:東宝東和

2013年アメリカ作品 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2013年5月31日日本公開

公式サイト : http://oblivion-movie.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2013/06/01)



[粗筋]

 私の名はジャック・ハーパー(トム・クルーズ)。現在、チーム・パートナーのヴィクトリア(アンドレア・ライズブロー)とともに、廃墟となった地球に設けられたタワー49を拠点に、監視活動を行っている。

 私が生まれるより以前、地球はスカヴと呼ばれる異星人の侵略を受け、全面戦争に突入した。どうにか勝利を収めたものの、核兵器の影響により地球は荒廃、人類は地球の軌道上に浮かぶ宇宙ステーション“テット”に移り、土星の衛星タイタンに移住するための計画を進めている。私たちの任務は、核エネルギーを動かすために必要な水資源を汲み上げるための施設が無事に運用できるまでメンテナンスを実施し、未だに地球を暗躍し施設や私たちを狙うスカヴの残党を押さえることにあった。

 任務に専念するべく記憶を抹消されて5年、あと2週間で任務が終了する。ヴィクトリアは浮かれているが、私は朽ちたこの星のなかにも心の和むものや場所を見出しており、去りがたく思っていた。

 だがこの頃、スカヴの動きが活発になっている。無人偵察機・ドローンが幾度もダメージを受け、修理に赴いた私もスカヴの襲撃を受けた。奇妙なことに、スカヴは私を殺すのではなく捕獲しようと試みているようだったが、敵方の意図など知るよしもない。

“テット”への帰還を前に相次いだトラブルの最高潮は、宇宙船の飛来だった。“テット”にいるオペレーターのサリー(メリッサ・レオ)はドローンに確認させる、というが、私は複数のポッドを排出し不時着した船体をこの目で確認したかった。“テット”との通信が途切れたのを幸い、私は不時着した座標へとバブルシップを飛ばした。

 墜落現場には大破した宇宙船と共に、デルタ睡眠の状態になった乗員たちを収めたカプセルが転がっていた。そのひとつに閉じ込められていた人物を確認したとき、私は愕然とする――

[感想]

 本篇の監督ジョセフ・コシンスキーが初めて発表した長篇映画は『トロン:レガシー』である――というと、あまりいい印象を受けない人が多いかも知れない。極めて初歩的なCGを用いたことで話題となった『トロン』の20年後の出来事、という設定で描かれているが、既に過去のものとなったモチーフを無理矢理先進の3D技術、CGのクオリティで描こうとしたために、かなり違和感をもたらす出来になってしまった。

 だから、ひとによっては予め色眼鏡で捉える、或いははなから歯牙にもかけないつもりでかかっているかも知れないが、それはちょっと勿体ないかも知れない。前提となる作品があったために受けた束縛に悩まされた感の強い前作よりも、はじめから監督自身のオリジナルとして構想された本篇は、よほどまとまりがあり、SFとしての完成度が高くなっている。

 とはいえ、決して独創的で斬新、というわけでもない。最近のSF映画には珍しい、陽光の降り注ぐなかで繰り広げられる物語、という点や、一部ではなくほぼ全体が廃墟となった地球のヴィジュアルは確かに異彩を放つが、しかし細かな要素はだいたい前例が思いつくようなものだ。とりわけ、核となる幾つかのアイディアは、SF映画の名作でお馴染みのものであり、その点から判断するような人にはさほど面白みはないだろう。

 ただ、旧作の世界観と現代の技術水準との調和がうまく図れなかった前作に比べれば、遥かにバランスは取れており、芯も通っている。人物を最小限にし、無駄なく構成しているので、中盤以降に明らかになる事実、終盤の展開に繋げる伏線などがぴっちりと嵌まっている。内容的には有り体だが、クライマックスの盛り上がり、カタルシスに寄与するような配慮がなされているので、好感が持てる。

 そして、これは前作でも確実に美点となっていた、ヴィジュアルの洗練された美しさは健在だ。ロケとCGとを融合して生み出された崩壊した地球の姿の、絶望的だが頽廃的な美しさを湛えた光景に、如何にもオーソドックスなSF映画の系譜を辿るガジェットの数々が、見事に溶けあっている。球形をベースとしたドローンやバブルシップ、汚染された大地から距離を置くことを念頭にしたタワー状の拠点など、まるっきりの独創ではないが、旧来のSFの血を継承しつつスタイリッシュにデザインされ、これらが織り成す映像の完成度だけで充分に惚れ惚れとする仕上がりだ。予算をかけた大作映画だからこその、大スクリーンで堪能する甲斐のある異世界感が存分に表現されている。

 惜しまれるのは、随所に考証の甘い台詞や描写が見受けられることだ。粗筋の最後のほうで登場する、宇宙船の生き残りの女性ジュリア(オルガ・キュリレンコ)の発言には、この時点の彼女が知るよしもなかったはずの情報が含まれているし、のちに現れジャックに重要な示唆を与えるビーチ(モーガン・フリーマン)のある台詞も、冷静に考えると、彼の持つ情報ではあり得ないものが含まれている――ただこれらは、字幕にバイアスがかかり、間違った解釈で書かれている可能性も否定できない。以前に比べればヒアリングが出来るようになったが、それでも詳しい意味は字幕に頼ってしまう傾向にあるため、原語ではどんなニュアンスで話していたのか記憶していないのが悔やまれる。

 そしてもうひとつ、クライマックスの盛り上がりは言うことなしなのだが、そのあとの締め括りが、ひとによっては受け入れがたい点も気になる。いちおうは一種のサプライズと共に大団円、といった趣向ではあるのだが、あれが本当に幸いなのか、喜んで受け入れられるのか、疑問に感じるひとも少なくないだろう。個人的には、少し大胆な解釈をすれば、疑念を覚えたひとでも受け入れられる結末になりうる、と考えたが、しかし納得するために掘り下げるひとはたぶん多数派ではなく、ここが娯楽映画としては弱点と言えるだろう。

 しかし、粗が“惜しまれる”と言えるのは、それだけ設定に魅力があり、誠実に組み立てていることの証だろう。いい加減に作っている、と感じたなら、“惜しむ”以前に苛立たしくなる。実のところ、世間的にはあまり好意的に受け入れられなかった『トロン:レガシー』でも、黎明期の拙劣なCGだからこそ活きた世界観を現代の技術水準と調和させよう、という努力は感じられたし、想像力と技術力の高さは窺える。本篇は『トロン:レガシー』よりも、監督の持つ手腕が真っ当なかたちで発揮されていると言えるだろう――だから、前作の印象だけで駄作と決めつけてしまうのは、やはり勿体ない。

関連作品:

トロン:レガシー

トロン

猿の惑星:創世記(ジェネシス)

リトル・ミス・サンシャイン

メリダとおそろしの森

アウトロー

センチュリオン

アイ・アム・レジェンド

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