『カッコーの巣の上で』

TOHOシネマズ六本木ヒルズ、エスカレーター手前に飾られた案内ポスター。 カッコーの巣の上で [Blu-ray]

原題:“One Flew Over the Cuckoo’s Nest” / 原作:ケン・キージー / 監督:ミロス・フォアマン / 脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン / 製作:ソウル・ゼインツ、マイケル・ダグラス / 撮影監督:ハスケル・ウェクスラー、ビル・バトラー / プロダクション・デザイナー:ポール・シルバート / 編集:シェルドン・カーン、リンジー・クリングマン / キャスティング:ジェーン・フェインバーグ、マイク・フェントン / 音楽:ジャック・ニッチェ / 出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、マイケル・ベリーマン、ブラッド・ドゥーリフ、ウィル・サンプソン、クリストファー・ロイドダニー・デヴィート、ポール・ベネディクト、スキャットマン・クローザーズ、ネイサン・ジョージ / 配給:日本ユナイテッド・アーティスツ / 映像ソフト発売元:Warner Home Video

1975年アメリカ作品 / 上映時間:2時間13分 / 日本語字幕:太田直子

1976年4月17日日本公開

2010年10月6日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

新・午前十時の映画祭(2013/04/06〜2014/03/21開催)上映作品

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/07/03)



[粗筋]

 ランドール・P・マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)は5度にわたる暴行で検挙され、今度は淫行罪によって告発された。刑務所での強制労働を厭った彼は、自らの言動が精神病であるかのように装い、病院に収容されることで懲役を逃れようとする。

 そうして彼が運び込まれたのは、オレゴン州立精神病院。ここに収容された患者はマクマーフィを入れて18人。うち9人は真っ当な会話も不可能な状態だが、残る9人は決まった時間にディスカッション療法を受けることが定められている。

 だが、気が狂っているように装っているマクマーフィは早いうちに飽きてきた。そこで彼は、ディスカッション療法を監督する看護婦長ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)に、たまには気分を変えよう、と折しも始まったワールドシリーズの鑑賞を提案する。決められたスケジュールを乱すのは治療するうえで好ましくない、と言って当初は撥ねつけようとしたラチェッドだが、しつこいマクマーフィに対し、民主主義の国らしく多数決にしよう、と提案する。まだ参加したばかりのマクマーフィに従う者はなく、挙手したのは彼を含めてたった3人だけだった。

 しかし、マクマーフィはこれで諦めたりはしなかった。ほかの患者たちに対する説得を試み、次のディスカッションまでに参加者を全員懐柔してしまう。だがラチェッドはすげなく言い放った――患者は18人いる、と。卑怯な論理展開に患者たちは憤慨するが、マクマーフィはまだ諦めなかった。前々から熱心に話しかけていた、聾唖のためにほとんどのことに反応を見せないネイティヴ・アメリカンのチーフ(ウィル・サンプソン)に呼びかける。応えるはずがない、と失望するほかの患者たちをよそに、チーフは静かに手を上げた。だがラチェッドは、既にディスカッションの予定時間を過ぎた、と<これを却下してしまう。  マクマーフィの抵抗虚しく、ワールドシリーズの時期は過ぎてしまったが、これで大人しくなるような男ではなかった。時折、一部の患者を乗せてレクリエーションに赴くためのバスが来ていることに目をつけたマクマーフィは、介護人たちが目を離した隙にバスを強奪、驚くほかの患者たちとともに、港町を目指すのだった……

[感想]

 精神病院を舞台にした映画、といってどんなイメージを抱くだろうか。そもそも大したイメージが湧かない、というひとも多そうだが、たとえばミステリ的興趣、ホラーの文脈で描かれるそれは、たいてい陰鬱で、常軌を逸した代物になる。こと治療という部分に特化した内容となれば、現在でもあまり陽気なものにならないだろうが、往年の――現在では非人道的に感じられる治療法が実施されていた時代を背景に描けば、観ていて痛々しいものになることを想像する。

 本篇にはそういう暗さがない。そもそも、主人公となるマクマーフィはいちおう、狂気を装っているだけ、という大前提がある。心に問題があるのでは、と思うほどに衝動が先に立つ性質だが、しかしその振る舞いには享楽主義的な計算があり、イかれているが決して病んでいるわけではない。それでいて、本当の患者たちを下に見ているわけではなく、ある程度は対等に接しようとしているから、患者たちの医師を顧慮することなく徹底的に管理する看護婦や介護人たちと対照的であるが故に、その言動に爽快感がある。

 一見したところ、教訓じみたものは何もない映画だ。中心となるマクマーフィの言動は全般に反社会的と言えるし、そこに強い目的意識、具体的な改革の意図などはまったく窺えない。だが、精神病院における一連の群像は、制度に対して無自覚な個人と、そんな彼らをほとんど感情を交えることなく――そして少し時代を隔たった者の目線で眺めれば、明らかに間違った方法論で管理しようとする病院側の姿勢に、為政者の尊大さを垣間見ることも出来る。

 そう考えていくと、意味深な描写が非常に多い。たとえば、ディスカッションに参加する患者の多くが、強制収容されているわけではなく、その気になればいつでも出ていくことの出来る立場である、つまり自らの意志で入院しているという事実だ。マクマーフィのように奔放な振る舞いが原因で拘束されている者よりも、管理されることを望んでいる、考えようによっては治癒することも望んでいない人間のほうが多い。もっと象徴的な人物がいる――が、それが誰なのかは、情報を得ずに観たときの驚きが削られてしまうので、明言せずに置こう。しかしこの人物の立ち位置、最後に選ぶ行動は、こうした社会との対比、という観点で眺めると意味深長だ。

 登場人物は身なりにも構わない男達が中心、舞台も機能的で殺伐とした精神病院のなかだけ、とおよそ絵になりそうもない状況だが、不思議なほど画面に力があり印象は強い。カメラワークの巧さ、時間経過を反映した変化の多彩さにも因るのだろうが、何より俳優たちの演技の強度が優れていることによるのだろう。それぞれに症状のまるで異なる患者たちの表情、看護婦長ラチェッドの無感動で冷徹な振る舞い、いずれも芯が通っているので意外なくらいに絵になっているが、やはりマクマーフィを演じたジャック・ニコルソンの役者としてのオーラが突出している。序盤、観客でさえも彼が正気なのか狂っているのか判然としない振るまいでさえ魅力的だが、何か思案をしている姿を、恐らく1分以上捉えたカットなど、彼の顔のアップだけだというのに目を惹かれてしまう。色恋などなく、享楽的ではあるが、繊細な感情を決して疎かにしないシナリオと、その奥行きを最大限に再生した演技の豊かさが出色なのだ。

 実のところ、展開自体は陰鬱なものだ。いくら利己的な人物とはいえ、マクマーフィを巡る事態の成り行きには暗澹とするし、ほかの患者たちのその後に想いを馳せると、暗い気持ちになる。だが、にもかかわらず本篇の結末には不思議な爽快感、後味の良さがある。たとえ自分たちの置かれた世界が絶望的でも、生命を謳歌することは出来る、という勇気が湧いてくるような心地がするのだ。

 派手でも華やかでもない題材だが、深く心に根付き何かを花開かせそうな予感がある。日本で“アメリカン・ニューシネマ”と称する枠組の最高傑作に数えられているのも頷ける、型破りだが完成された名品である。

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