『怪談新耳袋殴り込み!劇場版<魔界編>【前編】』初日舞台挨拶つき上映。

 映画館通いも10年を越え、都内の映画館が密集している地区の劇場はあらかた制覇した、ように思えてますが、実はけっこう漏れがある。映画館を制覇するのではなく作品を観るのが目的ですから、比較的よく訪れるTOHOシネマズでかかるものと作品が被りがちな劇場とは自然と縁が薄くなる。それゆえ、本日訪れた渋谷シネパレスは、この界隈では古株であるにも拘らず、ロードショー作品が主体であるせいで今まで来たことがなかったのです。が、旗館であるシアターN渋谷が閉館となり、行き場を失っていた『怪談新耳袋殴り込み!』新作の上映を、同じ渋谷のシネパレスが引き受けてくれたことで、初めて縁が出来た。

 初訪問で、かつコアな人気を誇る作品の上映ゆえ、場所の確認を兼ねて昨日のうちにいちど訪れて、チケットを確保しておりました。そのため、陽も暮れてから、余裕を持って移動。……しかしシアターN渋谷と劇場の毛色が違いすぎてちと戸惑います。別にあっちが汚く下品だ、とは思わないんですが、シネパレスは妙に清潔で品がある。微妙に作品と似合わない。それはそれでいいけども。

 上映前に新耳Gメンたちによる舞台挨拶です。ギンティ小林氏に現場監督市川力夫氏、仕上げ監督の青木勝紀氏に制作会社シャイカーの社長・後藤剛氏、プロデューサーの山口幸彦氏、それから市松人形のはちと藁人形のわらびん、というお馴染みの面子……田野辺キャップの姿がありませんが、この魔界編の撮影に参加されていないので仕方ない。

 毎度ながら、挨拶とは言い条、基本はゆるーいトーンで進む。基本的には地獄編から観なくても大丈夫、とはいえ、今回なんで先の劇場版まで丁稚扱いだった力夫氏がなんでこんなに立場が強いのか、という説明をまず置いて、今回の撮影がどれだけキツかったか、という愚痴の流れに。本篇は地獄編のあとに撮影が行われたわけですが、あちらが終わった時点で精魂尽き果て燃えかすになっていた一同、沖縄ではかなりおかしくなっていたらしい。いつも出先では、いちどはおねーちゃんのお店に行くそうですが、今回は空き時間が出来ると、もう一箇所見ておこうか、という話になって、結局遊びには行かなかった。明らかに尋常ならざる精神状態に陥っていたわけです。

 メンバーが語る今回の見所は、以前の沖縄編では怖すぎて訪れなかった(ほかにも理由はあったそうですが)Kの塔と呼ばれる場所。実際行ってみたら洒落にならなかった、という異様なムードが漂っていたそうですが、これが前編初っぱなに組み込まれているのですから、如何に恐ろしい道行きだったか、推して知るべし。
 色々と話は出ましたが、ぜんぶ書くとごちゃごちゃするのでこのあたりで。そんなわけでいよいよ本篇です。怪談新耳袋殴り込み!劇場版<魔界編>【前編】』(日本出版販売配給)

 ……凄かった。

 まあ撮影の過程はいつも通りで、やってることはバカバカしいし不謹慎だし随所で笑わせてくれますし、相変わらず音は録れても映像の収穫がなかなかない(皆無ではない)のですが、しかし各々のスポットの異様な気配が充分に伝わる。そして何より、2番目に訪れたくだりの緊迫感と一種ドラマチックな、しかしどう考えてもあのひとが極悪すぎる展開が素晴らしい。どこまでわざとやってるんだあのひとわ。映像はともかく、奇妙な音声、現象はかなり収穫していて、その意味でもこれまでで屈指の出来映え。いや面白かった。

 鑑賞後、出演者の皆さんに、<地獄編>後編で私が気づいた点について確認しよう、と思い、その際の当事者である山口プロデューサーにお話ししてみました。が、どうもうまく伝わっていなかった感がある。よくよく考えると、あのとき一連の出来事をいちばん間近で把握していたのはギンティ氏のはずで、そちらにも訊ねてみるべきだったんですが、時ならぬサイン会の列が出来ていてお忙しそうだったこともあり、とりあえず撤退してしまいました。

 やっぱり考えてみると少々腑に落ちないので、以下に私の気づいたことをざっと記してみます。ネタばらしになるため、少し改行しておきますので、未見の方はこのあと飛ばしてくださいませ。

 問題は『怪談新耳袋殴り込み!<地獄編>【後編】』、集合写真を撮ると必ず何かが映る、と言われていた土地での出来事です。

 全員の集合写真ではこれといって収穫がなかったため、一同はその後、各々カメラを構えていましたが、ギンティ氏は自分に向かってシャッターを切る、ということを繰り返していた。やがて、こういうスポットではよくあるケースですが、カメラが不審な挙動を見せ始め、戸惑いながらも山口氏と並んでシャッターを切ると、液晶画面に映った写真には、左側にギンティ氏だけが映り、山口氏が映っているはずの右側は宵闇に覆われている。凄いものが撮れた、とほかのメンバーや視聴者としては歓喜するところですが、当然ながら山口氏は大変ブルーになっておられた。

 しかしこのくだり、実はその場で確認された写真というのは、実はもともとも山口氏が立っていない状況で撮されたものではないか、と私には見えたのです。

 本篇の中では、ギンティ氏がひとりで立つ自分に向かってシャッターを切ったとき、確かにフラッシュは焚かれたのに、このとき電源の異常が起こっている。見たところこのとき、ギンティ氏は液晶画面を確認できていなかったように思える。

 そのあと、電源を入れ直し、ふたたび撮影しようとしたとき、山口氏と並んでシャッターを切った。しかし、もしかしたらこのとき実は、機械に別の異常が起きたか何かで、フラッシュだけが焚かれ、撮影はされていなかったのではないか。シャッターを切ったあと、撮影したものを確認しようとデータを参照したとき、最初に表示されるのは、直後に電源の異常が発生したために確認できなかった、ギンティ氏がひとりで自分に向けてシャッターを切ったときの映像になる。当然、そこに山口氏はいない。

 だからこのとき、怪奇現象によって山口氏が映像から消されたのではなく、そもそも彼はまだ撮られていなかったのに、状況によって錯覚させられたのではないか、というふうに、私には解釈できたのです。整理するとこんな感じ。

  1,ギンティ氏、自分ひとりに向かってシャッターを切る

     写真A(ギンティ氏のみの写真)が撮れる

     ↓

  2,電源の異常が発生。

     モニターが表示されないので、

     写真A確認できない

     ↓

  3,カメラ再起動。

     ↓

  4,ギンティ氏、横に来た山口氏と並んで、自分たちに向かってシャッターを切る。

     本当ならここで写真Bが撮れるはずが、

     まだカメラの異常が続いていて、写真は撮れていない

     ↓

  5,モニターを確認、山口氏が映っていない。

     本人たちは写真Bだと思っているが、

     見ているのは写真Aである。

 もちろん、カメラの電源が急に不安定になった、という点は謎として残る。しかし、たとえばその場にいる人智を超えた何かが、山口氏に何かを伝えようとしてその姿を隠したとか、大掛かりなイタズラを仕掛けたわけではない、ということは言えるのです。……まあ、誤解であっても、自分が消された、という印象を当人に与える、というのは充分にたちの悪い悪戯ではあるんですが。

 この説はあくまで、時系列が作中で描かれた通りであり、過程がほとんど省略されていない、ということが大前提になる。上の流れで言えば3と4とのあいだに、ギンティ氏がモニターで撮影済の画像を確認していたとしたら、この仮説は成り立ちません。だからこそ今日、直接お訊きしたかったところなのですが……でもまあ、前述したとおり、そう思わせるような成り行き自体がある意味ではよく出来ていますし、そういう意志を感じさせている時点で、この解釈は救いにもならなくなるわけで、だとすれば放っておいても一緒か。

 何にせよ、これからご覧になる方、或いは既にソフトが手許にある方は、上の流れを意識して確認していただけると、また別の面白さが味わえるのではないでしょーか。

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