『エリジウム』

TOHOシネマズ六本木ヒルズ、スクリーン6入口に掲示されたチラシ。

原題:“Elysium” / 監督&脚本:ニール・ブロムカンプ / 製作:ビル・ブロック、ニール・ブロムカンプ、サイモン・キンバーグ / 製作総指揮:スー・ベイドン=パウエル / 撮影監督:トレント・オパロック / プロダクション・デザイナー:フィリップ・アイヴィ / 編集:ジュリアン・クラーク,A.C.E.リー・スミス,A.C.E. / 視覚効果スーパーヴァイザー:ピーター・ミュイザーズ / 衣装:エイプリル・フェリー / キャスティング:フランシーヌ・メイスラー / 音楽:ライアン・エイモン / 出演:マット・デイモンジョディ・フォスター、シャルト・コプリー、アリシー・ブラガディエゴ・ルナ、ワグネル・モウラ、ウィリアム・フィクトナーファラン・タヒール / 配給:Sony Pictures Entertainment

2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12

2013年9月20日日本公開

公式サイト : http://www.elysium-movie.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/10/11)



[粗筋]

 22世紀、地球は環境汚染が深刻化し、富裕層はかつての優雅な暮らしを取り戻すべく、衛星軌道上に建設されたスペース・コロニー“エリジウム”に移住した。“理想郷”に暮らせるのは選ばれた人々のみ、金を持たない大多数のひとびとは、荒廃した地球に取り残され、いまや地上はことごとくスラムと化していた。

 かつての大都市、ロサンゼルスも例外ではない。2154年、この地で生まれ育ち、いつか“エリジウム”に渡ることを願っていたマックス(マット・デイモン)も、一時期は車泥棒として稼ぎ、悪党たちから一目置かれる存在になっていたが、それでも夢は遠く叶わず、いまは大企業アーマダインのロボット工場の工員として、薄給で日々ノルマに追われる日々を過ごしていた。

 通勤中、警備ロボットに目をつけられ、格闘となって腕を折られたマックスは、訪れた病院で、看護師となった幼馴染みのフレイ(アリシー・ブラガ)と久しぶりの再会を果たした。幼い日、同じ孤児院で育ち、いつか一緒に“エリジウム”に連れていく、と約束した彼女だが、真っ当に生きていくだけで精一杯のフレイはマックスの誘いにも素っ気なく応じる。

 翌る日、マックスは悲劇に見舞われた。作業用の炉の扉が閉まらず、上司の命令で中に入って調整をしていたときに扉が閉まってしまい、致死量の照射線を浴びてしまう。意識が戻ったとき、彼を見おろしていた医療用ロボットは、間もなく多臓器不全が始まり、5日以内に絶命する、と無慈悲に宣告するのだった。

 まだ、死ぬわけにはいかない。ボロボロの身体を引きずって、マックスはスパイダー(ワグネル・モウラ)という男を訪ねる。厳重な警戒の目をくぐり、エリジウムに侵入する方法を探り続けるこの男に、マックスは貸しがあった。富裕層が暮らすエリジウムには、あらゆる怪我や病気を数秒で完治させる医療用ポッドが各家庭に完備されている――それなら、マックスが助かる可能性が僅かに残されていた。

 スパイダーは死の危機に瀕したマックスの弱みにつけこみ、極めて危険な仕事と引き替えに、片道チケットを提供することを約束する。その仕事とは、エリジウムからしばしば地球に渡ってくる企業の大物を拉致し、その頭脳に残された重要な情報をコピーしてくることだった。この提案に、マックスは即座に、自分を雇用していたアーマダイン社のCEOジョン・カーライル(ウィリアム・フィクトナー)を思い浮かべる。

 マックスは知らなかった――この危険な賭が、地球と“エリジウム”の双方に大きな波乱をもたらすものであったことを……。

[感想]

第9地区』という作品の大きな特徴のひとつは、独創的なSF設定が、そのまま舞台となる南アフリカが孕んでいた問題を巧みに象徴化していた、という点だった。社会的な問題のメタファーを織りこんでメッセージ性や奥行きを持たせた作品は昔から存在したが、それがハリウッドではなく南アフリカで作られた、ということはちょっとした驚きだった。もちろんそればかりでなく、ハリウッドほどの大予算を投じていないにも拘わらず見応えのある視覚効果、世界観やキャラクターの質の高さ、興奮と感動を誘う巧みなプロットと、多くの部分で水準を超えていたからこそ評価されたのだが、出世作の最も顕著な特徴がそうであっただけに、以降も南ア出身監督であるからこその独自の目線を活かしていく、という方向性が考えられただろうし、そういう路線で活躍を拡げていくのでは、と個人的には(ぼんやりと、ではあるが)予想していた。

 しかし、監督のハリウッド進出作となる本篇には、少なくとも“南ア出身”であるが故の独自の視点、という部分は見当たらない。むしろ、ほとんどのモチーフが、既視感のあるものばかりになっている。富裕層と貧困層が分離された世界、完全な医療を提供する機械、人間を監視するためのロボットを下層の人間が低賃金で製造している、というシチュエーション、いずれも映画に限って考えたとしても先例が思い浮かぶ。

 ただ、着想自体には前例があっても、描写に造詣と配慮とが窺える点で、本篇は凡百の作品とは一線を画している。分離されているからこそ下層の人々が上層に対して抱く憧れや、上層の人々が持つ差別意識に実感、リアリティが備わる。上層のひとびとのあいだにもある権力闘争や、完璧に上下の交流が絶たれているわけでなく、定期便らしかものが存在して抜け道になっていることや、地球上にいなくてはこなせない任務を果たすためのエージェントが地上にいる、といった重層的な構造が、物語の大胆な展開ばかりでなく、作品世界の厚みを演出することにも繋がっている。「第9地区』自体、南ア特有の社会的なテーマを踏まえた表現が高く評価された一方で、ごく上質のSFであったが、本篇は間違いなくその美点を踏襲しているのだ。

 ごくオーソドックスでありながら、描写は徹底している。その凄みが窺えるのが、役者の使い方だ。資本がハリウッドに移ったことで、無名の俳優で固められた前作とは打って変わって、主演にマット・デイモン、脇にはジョディ・フォスターというオスカー女優、そこにアリシー・ブラガウィリアム・フィクトナーのような渋めの名優まで配した贅沢ぶりだが、しかしいい意味でこれを無駄に使っているのが快い。この人はこう活躍するだろう、こんなところで姿を消すまい、という思い込みの裏をかき、物語の必要に応じて冷酷に扱うことで、お定まりのガジェットを用いただけのハリウッド作品とは異なる意外性やドライヴ感を巧みに演出しているのだ。

 他方、『第9地区』で主人公に大抜擢されたシャルト・コプリーの弾けっぷりも特筆すべき点だろう。『第9地区』では、思わぬ成り行きから冒険を余儀なくされた凡人を、やや過剰、しかし説得力充分に演じたことで注目され、当然のように俳優としてハリウッドに進出したが、直後の出演作『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』で見せたクレイジーパイロット役で、一気に己の個性を花開かせた感があった。もともと一緒に製作会社を興した盟友である監督も、その資質を活かすべきだ、と考えたのだろうか、あの作品で見せたクレイジーさを更に過激にしたかのような人物像で、物語を牽引する重要な人物を、嬉々として演じている。およそお近づきにはなりたくない人物像だが、スクリーンに目を惹きつける危険な魅力を放っており、『特攻野郎〜』以上の存在感を発揮している。俳優としては現時点での極み、と言っていいのではなかろうか。

 終わってみると、本篇のプロット、クライマックスの展開には決してひねりはない。ラストにしても、序盤の描写で予測できるひとは多いだろう。だが、緻密に周辺を固め、ムードを高めていったうえで辿り着くラストの昂揚感は、予測できたからといって損なわれはしない。この端整な仕上がりは、ニール・ブロムカンプという監督が、南ア出身、というレッテルに関係なく、優れた娯楽映画を生み出し続けていく資質を持っていることを証明しているように思う。監督は現在、『第9地区』の続篇の製作に着手している、という噂だが、恐らくいずれ、もっと違う次元で優れた作品を発表することだろう。

関連作品:

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幸せへのキセキ

おとなのけんか

特攻野郎Aチーム THE MOVIE

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