『キャリー』

TOHOシネマズ西新井、施設外壁に掲示されたポスター。

原題:“Carrie” / 原作:スティーヴン・キング(新潮文庫・刊) / 監督:キンバリー・ピアース / 脚本:ローレンス・D・コーエン、ロベルト・アギーレ=サカサ / 製作:ケヴィン・ミッシャー / 製作総指揮:J・マイルズ・デイル / 撮影監督:スティーヴ・イェドリン / プロダクション・デザイナー:キャロル・スピア / 編集:リー・パーシー、ナンシー・リチャードソン / 衣装:ルイス・セケイラ / 音楽:マルコ・ベルトラミ / 音楽監修:ランドール・ポスター / 出演:クロエ・グレース・モレッツジュリアン・ムーアジュディ・グリアポーシャ・ダブルデイ、アレックス・ラッセル、ガブリエラ・ワイルドアンセル・エルゴートゾーイ・ベルキン、サマンサ・ワインスタイン、カリッサ・ストレイン、ケイティ・ストレイン、バリー・シャバカ・ヘンリー、シンシア・プレストン / ミッシャー・フィルムズ製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment

2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里 / PG12

2013年11月08日日本公開

公式サイト : http://www.carrie-movie.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2013/11/08)



[粗筋]

 キャリー・ホワイト(クロエ・グレース・モレッツ)は孤独だった。信仰の厚いあまりに、俗世のあらゆる行為を穢れと捉え、キャリーを産んだことでさえ不本意だった母マーガレット(ジュリアン・ムーア)によって育てられた彼女は、学校でも変わり者として虐められる立場だった。家にも学校にも、キャリーの居場所はないに等しかった。

 高校も卒業の日が近づき、同級生たちがプロムの話題に活気づき始めた頃、キャリーの身体に変調が訪れる――遅い初潮だった。シャワー室で血を流し始めたことに動揺する彼女に、クリス・ハーゲンセン(ポーシャ・ダブルデイ)をはじめとする同級生たちは備え付けの生理用品を投げつけて嘲笑する。教師のミス・デジャルダン(ジュディ・グリア)が駆けつけたが、生徒たちを黙らせたのは、突如破裂した蛍光灯だった。

 このときを境に、キャリーは自らの感情が昂ると、周囲のものに変化が起きることに気づく。図書室で書籍を漁り、どうやら自分にはいわゆる超能力が身についたのだ、と考えたキャリーは、母の眼を盗んでその力を操る術を修得しようとする。

 一方、学校ではキャリーに対するいじめが問題視され、シャワー室の出来事で彼女に危害を加えた者に罰を与えることとなった。現場でのキャリーの惨めな姿に罪悪感を抱き、彼女を笑っていなかったスー・スネル(ガブリエラ・ワイルド)は、しかしこの罰を大人しく受け入れ、ミス・デジャルダンから「罰を受けなければプロムへの出席を禁じる」と言われたこともあって、他の女子生徒も渋々それに従ったが、しかしクリスは納得しなかった。どうしても自分が悪いことをした、と思えないクリスは父親の手を借りてまで罰を免れようとしたが、キャリーに生理用品を投げつけていた場面を撮影、ネットに流していたことがバレて言い訳が利かなくなり、プロムへの出入りを禁じられてしまう。

 自身は罰を受けプロムに出られるはずだったが、それでもスーの罪悪感は消えなかった。そこで彼女は一計を講じ、自身の恋人トミー・ロス(アンセル・エルゴート)にキャリーを誘わせることにした。男子からも敬遠されているキャリーだが、きっと誘ってくれる人間がいれば、他の生徒たちとも馴染むことが出来るに違いない、と。

 あまりにも思いがけないトミーからの誘いをキャリーは当初拒絶するが、スーの気持ちを察したトミーの熱意にとうとう根負けして、プロムへの参加を決意する。

 それぞれはささやかな悪意であり、善意であり、純粋な信念だった。しかし、それらが縺れあったとき、悲劇が起きたのだ……

[感想]

 いまやホラー小説の代名詞ともいえる存在であり、多くの作品が映画化されているスティーヴン・キングだが、その作品が映画の題材として着目されるようになったきっかけは、ブライアン・デ・パルマ監督による『キャリー』の成功だった。本篇はそれのリメイク、というより再映画化となる。

 新たに製作するにあたって、本篇は舞台を現代に置き換えているが、そうすることで、あの物語が未だに充分すぎるほど説得力を持っていることをまず証明している。

 作中、携帯電話やネットが登場しているが、それによって物語が大きく変更を強いられているわけではない。少女たちの無邪気な悪意の反映される場所として巧く利用されているだけで、時代が変わればまた別のものに差し換えられるだろう、ということが本篇を観ていると察せられる。いじめに荷担する人間の心情や行動原理は、道具が変わったところで大きな違いはないのだ。

 他方で、キャリーとその母の振るまいが、大筋で旧作と変わっていないことも象徴的である。外部の世界がどう変化したところで、キャリーの母マーガレットのような価値観を持つ人間の態度が変化することはない、ということなのだろう。本人にとっては信念故の行動だが、必ずしも同じ価値観を持たない娘にとって、それが不幸に結びつくことがある、という構図も、時代が変われど同じであることを窺わせる。

 斯様に、現代に移し替えたといえど、本篇のプロットはデ・パルマ版とほとんど変えていない。それ故に、果たして再映画化する意義はあったのか? という疑問を抱くひともありそうだ。

 間違いなく言えるのは、旧作が撮られたのは本篇の37年も前のことで、映像技術は長足の進歩を遂げている。扱う超常現象は複雑な特撮を要するものではないが、それでも近年の繊細な映像で作り直す価値はある。何より、この優れた恐怖譚にして惨い青春ドラマを、クロエ・グレース・モレッツという若き名優と、ジュリアン・ムーアという優れたキャリアを持つ女優の組み合わせで撮り直した意義は大きい。

 不気味な雰囲気で苛められている、というキャリーを演じるには容姿に恵まれ、既にスターとしての貫禄も備わったクロエが演じる、という話には率直に言って違和感もあったのだが、姿勢を猫背がちにし、服装を野暮ったくすることで序盤の惨めさをうまく表現する一方、クライマックスでの華やかさから一転して訪れる破滅、という過程に見事なコントラストをもたらしている。若くしてカルト作品からオスカー候補作品にまで幅広く出演する彼女のスペックを、本篇は存分に活かしていると言っていい。それをジュリアン・ムーア演じる母親の圧倒的な“暗さ”がより重厚なものにしている。

 旧作と比較して印象に残るのは、女性の描写がより生々しくなっていることだ。旧作では宗教的な側面や女性の生理とを象徴によって織り込み、妖しいムードを醸していた。本篇においては、象徴の面白さは薄れてしまったが、序盤で母の押しつけがましい宗教観に、自分なりの解釈で反論を試みたり、その母がキャリーの同級生の母親と会話するシーンで密かに自傷する描写を組み入れるなど、具体性がある。『ボーイズ・ドント・クライ』で、性同一性障害により複雑な運命を与えられた人物の姿を描いたキンバリー・ピアース監督は、一見ストレートな本篇でも、“性”というものに翻弄される者の姿を巧みに織りこみ、超能力、という現実離れしたモチーフに実感をうまく採り入れた。

 こういうものにはどうしてもファースト・インパクトの凄味というものが避けられず、恐らく当面は旧作のほうが高い評価を受け続けるだろう。しかし本篇のクオリティは決して旧作に劣るものではなく、旧作に敬意を表しながらも、新しいスタッフの視座によってきちんと完成させている。

 この不幸な少女についての物語は今後、多くのクリエイターによって、映画のみならず様々な媒体で再現される可能性を秘めている。従来は、なまじ最初の映画化の完成度が優れていただけに、パロディというかたちでしか再構築の試みはなされる機会がなかったが、本篇の登場を機に、本格的にスタンダード化していくのではなかろうか。私自身は本篇のクオリティも極めて高い、と評価しているが、それ以上にこの物語のスタンダード化のきっかけをもたらした作品として記憶されていきそうな予感がしている。10年ほど経って、この役を委ねるに値する若き名優が誕生したとき、或いは意欲的なスタッフが現れたとき、またリメイクされるのではなかろうか。

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