『マディソン郡の橋』

丸の内ルーブル、入口前に展示された初公開当時のポスター。 マディソン郡の橋 [Blu-ray]

原題:“The Bridges of Madison County” / 原作:ロバート・ジェームズ・ウォーラー(文春文庫・刊) / 監督:クリント・イーストウッド / 脚本:リチャード・ラグラヴェネーズ / 製作:キャスリーン・ケネディ、クリント・イーストウッド / 撮影監督:ジャック・N・グリーン / 美術:ジャニーヌ・クラウディア・オップウォール / 編集:ジョエル・コックス / 音楽:レニー・ニーハウス / 出演:クリント・イーストウッド、メリル・ストリープ、アニー・コーリー、ヴィクター・スレザック、ジム・ヘイニー / アンブリン・エンタテインメント/マルパソ製作 / 配給:Warner Bros. / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1995年アメリカ作品 / 上映時間:2時間15分 / 日本語字幕:戸田奈津子
1995年9月5日日本公開
午前十時の映画祭11(2021/04/02~2022/03/31開催)上映作品
2018年1月17日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD VideoBlu-ray Disc]
丸の内ルーブルにて初見(2014/07/29) ※丸の内ルーブル閉館記念特別上映
TOHOシネマズ錦糸町オリナスにて再鑑賞(2021/6/1)



[粗筋]

 フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)が亡くなり、彼女が契約していた貸し金庫の中身が、遺されたふたりの子供、マイケル(ヴィクター・スレザック)とキャロリン(アーニー・コリー)の手によって開けられた。

 遺産を期待していたわけではなかったが、出て来たものはそれ以上に子供たちを動揺させ、失望させるものだった。入っていた封書に記されていたのは、ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)という人物からの情熱的な愛の言葉だった。

 良妻賢母であったはずのフランチェスカは長年、このロバートという男への想いを秘めていた。マイケルたちは複雑な想いに駆られながら、フランチェスカの遺した手記に接する。そこにはたった4日間の、美しくも切ない時間が封じ込められていた……

[感想]

 本篇の原作は世界的に大ベストセラーとなった作品である。刊行当時、映画にはまるで興味がなかった私も原作小説のセンセーションは記憶していて、映画化に際しクリント・イーストウッドが監督になった、という話題もはっきりと覚えていた。アクション俳優あがりの監督がこういう作品の演出に向いているのか、という悪口の類もどこかの記事で見かけた覚えが漠然とある。

 これに先んじる『パーフェクト ワールド』の感想でも似たようなことを書いたが、この時点でイーストウッドは監督として充分な経験と技倆とを獲得していた。そのキャリアの上っ面だけを眺めればアクション、西部劇の俳優であり、他のジャンルでの監督は余技のようにも見えるが、実際には初監督から以降、描くものに芯を通しながらもジャンルは決してひとつに囚われていなかった。初監督作品はヒッチコック風のスリラーだったし、そもそも彼は監督3作目にして自身が出演していないロマンス『愛のそよ風』を撮っている――さすがに当時の観客には受け入れられずヒットとはならなかったし、これ以降長いことイーストウッドは自身の出演しない作品を撮らなかったが、イーストウッドの出ていない監督作は『バード』で批評的な成功を果たした。このあとに、良質なシナリオが見つかればロマンスを撮る、ということは実はあり得ることだったのだ。

 既に充分すぎるほど経験を積み、しかもこの頃には撮影のジャック・N・グリーンに編集のジョエル・コックス、音楽のレニー・ニーハウスといった信頼できるスタッフを確保していたイーストウッド監督である。あまり馴染みのないジャンルであろうと、その手捌きにいっさい不安はない。馴染みのスタッフを従えて、堂々たる演出手腕を示している。

 額面だけなら単なるいっときの火遊びの話、に映るが、しかし本篇の語り口は、主人公であるふたりが惹かれ合う成り行きが決して遊びではなく、とても真摯なものであったことを、緻密に伝えてくる。その描写の狙いは序盤から明白だ。善良だが、この生活に慣れきって粗雑なところがあるフランチェスカの夫や息子は、彼女に注意されても大きな音を立てて扉を閉める。別にフランチェスカがそれに対して心底嫌気が差しているわけではないようだが、しかし夫たちが出かけていったあと、やって来たロバートは、音を立てないよう気づかいながら扉を閉めるのだ。ロバートは終始紳士的で、理知的な物云いをし、その物腰もフランチェスカの琴線に触れたのは間違いないだろうが、直後の台詞を含め、彼女がロバートに心惹かれていったのがよく解る、巧みな描き方だ。

 夫たちが出ていったあと、本篇はほとんどイーストウッドとストリープのふたり芝居に近い様相を呈する。未来の立ち位置から物語を見届ける子供たちや、周辺のひとびとの反応、といった描写はあるが、物語はほぼふたりのやり取りだけで膨らんでいく。それ故に、オスカー受賞者のメリル・ストリープはもちろん、クリント・イーストウッドの俳優としての巧さ、色気が存分に堪能できるのも特筆すべき点だろう。自分の俳優としてのキャラクター性を熟知して、敢えてその枠から逸脱しない役柄を選んできた感のあるイーストウッドだが、本篇はその枠からちょっとはみ出している。仕事のために各地を転々としてきたインテリであり、アウトローの気質はあるが振る舞いは徹底して紳士的だ。従来よりもダンディで柔らかな魅力をたたえた人物像は、あまりに堂に入っているので違和感を覚えないが、そのくらいきちんと演じているが故だろう。メリル・ストリープも、平凡な農家の妻という顔が、思わぬ出逢いで女の顔を取り戻しながら、妻として母として家族を思いやる理性との狭間で揺れる様を表現し、この物語を決して絵空事に感じさせない。

 もともとイタリア出身であるというフランチェスカの立ち位置や価値観、世界中を巡ってきたロバートの経験や思慮は決して凡庸ではない。しかし彼らのロマンスの前に立ち塞がる障害は、とても現実的だ。感情の赴くまま安易に流されることが出来るならどれほど楽だろう、しかしそうできないところに、彼らの分別があり懊悩がある。ふたりの結論にどうしても頷けないようなひとは、ある意味でまだ無邪気なのだろう。理性では制御出来ない感情に、それでも理性で対峙したから、本篇の切なさや静かな感動が形作られている。

 未だ原作をちゃんと読んでいないので、どの程度本篇が原作を踏襲しているのかは解らないが、少なくとも映画の内容にのみついて言えば、これは間違いなく“大人のロマンス”だ。ただ洒落ているとか、遊び心や割り切った言動、といった上っ面で語られるものではなく、立場も分別もある大人が恋に落ちる、というのがどういうことなのか、を誠実に描いている。

 その語り口も秀逸だが、しかし何より素晴らしいのは、こうした出来事を踏まえた終盤の、情緒豊かな表現の数々である。ロバートが去っていったあと、家族が帰ってきた際のフランチェスカの細やかな表情の変化。少し時が経って、ふたりがただいちど交錯した瞬間の、胸が苦しくなるようなやり取り。輻輳する感情を映像で表現する、ということを充分に理解した、熟練の技に魅せられる。

 本篇よりあと、2014年になる現在まで、イーストウッド監督はロマンスを撮っていない。脚本家についてはヴェテランも新人も平等に判断しているらしい彼のこと、恐らく“撮りたい”と思わせる脚本にたまたまロマンス中心のものがなかった、というだけかも知れないが、或いは本篇で充分にやり尽くした、と感じているから、と捉えることも出来そうだ。それくらい、本篇の完成度は高い。

関連作品:

愛のそよ風』/『ブロンコ・ビリー』/『バード』/『パーフェクト ワールド

マンマ・ミーア!』/『8月の家族たち』/『理由』/『ライトスタッフ

ローマの休日』/『麗しのサブリナ』/『追憶』/『男と女』/『プリティ・ウーマン』/『トスカーナの贋作』/『ビフォア・ミッドナイト』/『とらわれて夏』/『ジゴロ・イン・ニューヨーク

TOHOシネマズ錦糸町オリナス、ロビー前の廊下壁に掲示された午前十時の映画祭11『マディソン郡の橋』上映時の案内ポスター。
TOHOシネマズ錦糸町オリナス、ロビー前の廊下壁に掲示された午前十時の映画祭11『マディソン郡の橋』上映時の案内ポスター。

コメント

  1. […]  しかし悩ましいのは、観る作品が多すぎること……解ってはいたが、東京大阪などに緊急事態宣言が出ているあいだも封切りはされていたので、まだ観てない作品ばかりになってしまった。 […]

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