『ハドソン川の奇跡(IMAX)』

TOHOシネマズ新宿の入っている東宝ビル壁面に設置された、デジタルサイネージに表示されたキーヴィジュアル。

原題:“Sully” / 原作:チェスリー・“サリー”・サレンバーガー&ジェフリー・ザスロー / 監督&テーマ作曲:クリント・イーストウッド / 脚本:トッド・コマーキニ / 製作:クリント・イーストウッドフランク・マーシャル、アリン・スチュワート、ティム・ムーア / 製作総指揮:キップ・ネルソン、ブルース・バーマン / 共同製作:ジェシカ・メイヤー、クリスティーナ・リヴェラ / 撮影監督:トム・スターン / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・J・ムラカミ / 編集:ブルー・マーレイ / 衣装:デボラ・ホッパー / 音楽:クリスチャン・ジェイコブ&ザ・ティアニー・サットン・バンド / 出演:トム・ハンクスアーロン・エッカートローラ・リニーヴァレリー・マハフェイ、デルフィー・ハリントン、マイク・オマリー、ジェミー・シェリダン、アンナ・ガン、ホルト・マッカラニー、アーメッド・ラカン / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros.

2016年アメリカ作品 / 上映時間:1時間36分 / 日本語字幕:松浦美奈

2016年9月24日日本公開

公式サイト : http://www.hudson-kiseki.jp/

TOHOシネマズ新宿にて初見(2016/10/3)



[粗筋]

 2009年1月、ニューヨークは未曾有の出来事に騒然としていた。

 その朝、空港を発ったUSエアライン・カクタス1549便は、離陸直後に鳥の群れと衝突、左右両エンジンが推進力を失う事態に陥った。管制官は最寄りの空港への着陸を指示したが、機長のチェズニー・“サリー”・サレンバーガー(トム・ハンクス)は間に合わないと判断、人工密集地のニューヨークで充分な広さがあり、障害物も少ない唯一の場所、ハドソン川への不時着水を決めた。

 サリーの巧みな操縦により機は無事着水、付近にいたフェリーや沿岸警備隊の迅速な救助活動によって、乗員乗客155人全員が無事に陸地に帰された。

 ニューヨークのみならず世界中がこの“奇跡”に沸くなか、しかし時の人となったサリーは家に帰ることを許されず、ホテルに軟禁されることとなる。事故調査委員会が、彼と副機長のジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)に帰宅を認めなかったのだ。

 調査委員会はサリーを安易に英雄と認めることはなかった。彼らはむしろ、別の可能性を提示した。実は、カクタス1549便には、近隣の空港に無事着陸するだけの推進力が残されていたのではないか。サリーの判断は、乗員乗客を救ったのではなく、むしろ不要な危険に晒したのではないか……?

 己の40年にわたるパイロットとしての経験から下した決断であったが、時間が経つほどにサリーは懊悩する。果たして、飛行機にはまだ飛ぶ力は残されていたのだろうか?

 国民たちの賞賛を浴びるなか、サリーと副機長ジェフを招いての公聴会が開かれようとしていた……。

[感想]

 海を隔てた日本においても、当時大きな話題を呼んだ“奇跡”を題材としたドラマである……が、単なる再現ドラマに終わっていないのは、ハリウッドでは現役最高齢となった名匠クリント・イーストウッド監督と、ほぼ面子の変わらないスタッフたちの手腕があってこそだろう。

 本篇の着眼点の優れているのは、まず人的被害をほぼゼロに留めたその奇跡の不時着水を再現するところからではなく、既に“事件”が起こり、航空業界においてはその原因を探っている段階に入ったところから物語を切り出していることだ。

 都市を流れる河川への“不時着水”、という前代未聞の決断について、事故調査委員会は果たしてその必然性があったのか、機長が乗客をいたずらに危険に晒しただけではなかったか、という疑いを抱いている。実際に同席した副機長は判断を信じているが、一方で機長のサリーは時間が経つほどに、自らのキャリアへの自負と、一瞬の判断の狂いを疑うようになっていく。そうした状況で、一連の出来事を断片的に再現していく。あの当時も多くの人々が抱いたであろう疑問を“謎”としたミステリ・ドラマめいた趣で物語を展開しているのだ。そのために、離陸から不時着水までわずか数分、沿岸警備隊や民間のフェリーなどによる救出が完了するまででもほんの30分程度しかなかった出来事を、安易な再現ドラマにせず、スリリングな物語として膨らませることに成功している。

 事故調査委員会、という議論の場が設けられ、しかもそれが最後には公聴会というスタイルを取っているために、本篇はいっそ法廷ものめいた佇まいさえ感じさせる。そういう観点からすると、最後にあまりにも鮮やかな逆転が待っているのも出色だ。言われてみれば確かにその通り、という着眼なのだが、状況の流れをシミュレートする、という方法論からはしばしばこういう観点が損なわれ、人々を誤った結論に導きかねない、という示唆をも含んでいる、と解釈すると、鮮やかでありながら重みのある決着だ。

 そのうえで、ここに至るまでの描写のなかに、意図せずして世間から“英雄”として祭りあげられた人物の苦悩と、彼が“奇跡”を生み出し得た本当の理由もまた、細やかに織り込まれている。事故調から疑惑の目を向けられる一方で、彼にじかに接する人々の、まるで崇拝するかのような振る舞いに、サリーは困惑する。そこには、事故調の調査を経て次第に芽生えていく自らの判断に対する疑いと共に、自らの行動が決して英雄的な意志や思考によっていたのではなく、乗客の安全と周囲への影響を最小限に留めたい、という純然たるプロ意識に支えられていた、という感覚があるのだ。そして、間違いなくサリーひとりでは、あの奇跡の救出劇は成功しなかったことを、誰よりもサリー自身が知っている。

 とは言い条、他の飛行士がこの事故に遭遇していたとしたら、恐らく乗員乗客の犠牲は避けられなかっただろう。それどころか、世界に冠たる大都市に飛行機が墜落する、という最悪の事態に至った可能性さえある――序盤でサリーが悪夢で見たような出来事が、実際に起きていたかも知れないのだ。それを回避したのが、ハドソン川への不時着水、といういままで誰も試みたことのない策に思い至り、実行に移したサレンバーガー機長の経験と決断力が発端となったことは疑うべくもない。

 サリーは英雄視されることを望んではいないだろうし、私も安易に祀りあげるべきではない、と考える。しかし、図らずもそういう立ち位置に置かれてしまった彼の目線を中心に描き、奇跡の本質を問うた本篇の原題に、彼の名が掲げられるのは当然であるし、せめてもの賞賛であろう。

 近年のイーストウッド監督作としてはかなり珍しい短めの尺ながら、心配りの豊かな脚本で一連の出来事を綺麗にまとめ、映像的な質にもエンタテインメントとしてのリズム感も疎かにしない、彼とそのスタッフの良さが凝縮したような仕上がりになっている。名職人たちが優れた職業人と善意の人々に捧げた、端正な賛歌、とでも言おうか。

関連作品:

ホワイトハンター ブラックハート』/『バード』/『J・エドガー』/『ジャージー・ボーイズ』/『アメリカン・スナイパー

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』/『クラウド アトラス』/『ウォルト・ディズニーの約束』/『世界侵略:ロサンゼルス決戦』/『ラム・ダイアリー』/『目撃』/『イカとクジラ

ユナイテッド93』/『フライト』/『キャプテン・フィリップス

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