『ラビング 愛という名前のふたり』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁に掲示されたヴィジュアル。

原題:“Loving” / 監督&脚本:ジェフ・ニコルズ / 製作:ゲド・ドハティ、コリン・ファース、サラ・グリーン、ナンシー・ピュアスキー、マーク・タートルトーブ、ピーター・サラフ / 製作総指揮:ブライアン・カヴァナー=ジョーンズ / 撮影監督:アダム・ストーン / プロダクション・デザイナー:チャド・キース / 編集:ジュリー・モンロー / 衣装:エリン・ベナッチ / キャスティング:フランシーヌ・メイズラー / 音楽:デヴィッド・ウィンゴ / 出演:ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ、マートン・ソーカス、ニック・クロール、テリー・アブニー、アラーノ・ミラー、ジョン・ベース、マイケル・シャノン / レインドッグ。フィルムズ/ビッグ・ビーチ製作 / 配給:GAGA

2016年アメリカ作品 / 上映時間:2時間3分 / 日本語字幕:牧野琴子

第89回アカデミー賞主演女優部門候補作品

2017年3月3日日本公開

公式サイト : http://gaga.ne.jp/loving/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2017/3/6)



[粗筋]

 妊娠したことを打ち明けたミルドレッド・ジーター(ルース・ネッガ)に、リチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)は不器用な態度で喜びを表した。数日後、リチャードはふたりにとって馴染み深い土地を1エーカー買い取った、というと、その場でミルドレッドに求婚する。

 結婚式はヴァージニア州から遠く離れたワシントンD.C.で行った。立会人はミルドレッドの父親ひとり、指輪の交換と宣誓のみの簡単な式であったが、ふたりは晴れて夫婦となる。

 リチャードがミルドレッドの実家で暮らし始めて間もなく、彼らの寝室にブルックス保安官(マートン・ソーカス)らが押しかけ、ふたりを逮捕した。容疑は、異人種間婚姻禁止法違反――白人と黒人とで結婚したことが罪に問われたのである。

 弁護士の助言もあって罪を認めたふたりは即時収監こそ免れたが、判決は懲役1年に対し執行猶予は25年、しかもその間、夫婦ふたりでヴァージニア州にいるところが見つかれば即座に収監される、という厳しいものだった。

 こうしてラビング夫妻は故郷を離れ、結婚を届け出たワシントンD.C.にて、ミルドレッドの従姉夫婦の家に厄介になることになった。

 それから5年間、長男の出産のときを除いて、ふたりは揃ってヴァージニア州の地を踏むことなく過ごしたふたりの運命を変えたきっかけは、この頃盛んとなった公民権運動の報道であった――

[感想]

 英語圏に属するスタッフやキャストでさえ知らなかった、というラビング夫妻の功績について知っている日本人はたぶんかなり少ないのではなかろうか。かく言う私も、この映画の情報から初めて彼らのことを知った。主人公のひとりのモデルである実在のミルドレッド・ラビングが亡くなる直前に受けた数少ない取材と、往年の記録に基づいて製作されたドキュメンタリー『The Loving Story』にも接していないので、本篇で描かれた夫婦像がどの程度事実に近いのかは判断できない。

 しかし、本篇における夫婦の、困難への向き合い方には、具体性があり、誠実さがある。実情を考えても、彼らがこういうかたちで裁判に臨んだのではなかろうか、と思えるリアリティを付与することに成功しているのだ。

 基本的にラビング夫婦は多くのものを望んだわけではない。子供を授かったことがきっかけでリチャードが結婚を申し出たとき、それが当時のヴァージニア州では違法であることは知っていたと思われる。だが、アメリカ合衆国憲法が認める当然の権利として、異人種間の婚姻が認められるワシントンD.C.で届け出をした。恐らくこのとき、誰かが密告したのでない限り、彼らは裁判になど関わることもなかっただろう。

 罪を科せられた当初もそれに反発はせず、大人しく州外に退去した。ミルドレッドの希望を叶えるためにいちどだけ州境を超えるが、これもまた偏見と戦う、とか法に抗う、などという大層な目的があったわけではなく、「悟られなければこのくらいは許されてもいい」という想いからだったと思われる。劇中でもこの夫婦は多くを語らないが、そういう意識ははっきりと伝わってくる。

 いざ彼らの訴えを知って手を差し伸べる者が現れても、自分が前に出ることは望まなかった。妻のミルドレッド自身は必要に応じて答えていた父子はあるが、夫のリチャードは無愛想で、裁判を控えての取材にも言葉は少ない。

 やもすると無口な頑固者に思えるリチャードだが、本篇での描写は、そんな彼が本質的にかなりの不器用であり、何より純粋に妻を愛していた優しい男だった、というのがはっきりと窺える。危険な状況でも、助産婦をしているリチャードの母のもとで子を産みたかった、というミルドレッドの訴えに対して、すぐに行動に出ているし、新たな弁護士に面会に訪れる際も、妻から唐突に提案されたのに拒絶していない。どんな場面でも声を荒らげることはなく、異変があったときはすぐに反応し安全を図ろうとする姿は、ひたすらに妻や家族への気遣いを優先していたことが窺える。

 リチャードに比べるとミルドレッドは果敢な面を覗かせる。駄目でも試しに、と司法長官に手紙を送ったこともそうだが、取材に対して求められれば受け答えをしていたあたりは、その効果をある程度評価していたからだろう。しかしそれでも彼女は夫の意志を尊重し、必要以上に露出はしていない。

 そこには、訴えそのものの正当性、社会に対する呼びかけ以上に、求めているのはもっとシンプルなことだ、という意識が強く感じられる。何よりも象徴的なのは終盤、最高裁で扱われることが決まり、弁護士に「名誉なこと」として傍聴を勧められても拒絶したリチャードが、弁護士から裁判官に伝えて欲しいことは、と問われたときに選んだひと言だ。このひと言を、ただ当たり前に口に出来ること、それだけが望みなのだ、というのが好く伝わる。

 裁判のシーンを緻密に描き、決着を華々しく描いていたとしたら、その純粋なメッセージがこうもしみじみと沁みてくるような物語にはならなかっただろう。本篇がそういう描き方を選んだのは、恐らくモデルとなった夫婦の実像に敬意を払ったがゆえ、と言えそうだ。

 監督は本篇を“純粋なラブストーリー”と捉えていたという。実際、その通りなのかも知れない。華やかなシチュエーションも気取った台詞回しもないが、本篇にはラビング夫妻がお互いに向けた、飾り気とは無縁の純粋な思いやり、慈しみに満ちている。

 だから、本篇はどうしても全般に地味な印象を与える仕上がりになってしまっている。また、その後の制度に影響を大きく与える出来事をベースとしたドラマにしては、センセーショナルな要素がないことを物足りなく思う向きもあるかも知れない。

 しかし、ごく当たり前に出来て然るべきことを、当たり前に主張したひとびと自身が主役である物語に、派手さも華やかさも必要ない。そのスタンスを保っているから本篇はとても身近で、自然な出来事として受け入れられる作品になっている。そしてそのことが、この“当たり前”が守られている幸せを実感させる、という意味では、変にセンセーショナルに飾り立てた作品などよりも遙かに説得力を備えている、と言えそうだ。

関連作品:

ゼロ・ダーク・サーティ』/『エクソダス:神と王』/『ノア 約束の舟』/『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』/『マン・オブ・スティール

アラバマ物語』/『夜の大捜査線』/『エデンより彼方に』/『ミルク』/『それでも夜は明ける

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