『7月22日』

『7月22日』本篇映像より引用。
『7月22日』本篇映像より引用。

原題:“22 July” / 原作:アスネ・セイエルスタッド / 監督&脚本:ポール・グリーングラス / 製作:スコット・ルーディン、イーライ・ブッシュ、グレゴリー・グッドマン、ポール・グリーングラス / 製作総指揮:クリス・カレーラス / 撮影監督:ポール・ウルヴィック・ロクセット / 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ / 音楽:スーネ・マーチン / 出演:アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ヨン・オイガーデン、ソルビョルン・ハール、ジョナス・ストランド・グラヴリ、オラ・G・フールセス、ウルリッケ・ハンセン・ドヴィゲン、イサク・パクリ・アグレン、マリア・ボック、セダ・ウィット / 配給:Netflix
2018年ノルウェー、アイスランド、アメリカ合作 / 上映時間:2時間24分 / 日本語字幕:?
2018年10月10日全世界同時配信
NETFLIX作品ページ : https://www.netflix.com/watch/80210932
Netflixにて初見(2020/05/07)


[粗筋]
 2011年7月21日、ビリヤル(ジョナス・ストランド・グラヴリ)と弟のトリエ(イサク・パクリ・アグレン)はノルウェー労働党青年部のキャンプに参加、首都オスロの近郊にあるウトヤ島に滞在した。スピーチやキャンプファイアーを行い、国の将来を担う意思のある若者同士の交流を深めた。
 翌日、オスロの政府庁舎で爆発が発生する。入口付近に駐められたバンに仕掛けられた爆弾が爆発、その衝撃により庁舎の正面広場は割れたガラスが散乱、一部では火災が発生し、混乱を来す。
 その報道が一気に駆け巡ったころ、ウトヤ島に向かう船着き場に警官を名乗るひとりの男が現れた。子供たちの警護を命じられた、という男を、係員は疑うこともなく島へと送り届けた。
 男は、子供たちを集めておくように指示して島に上陸する。そして子供たちが集まったことを確認すると、係員と出迎えた女性に向けて発砲、驚く子供たちにライフルを向け、次々と撃った。
 銃声は対岸にも届き、ほどなく本物の警察が島へと駆けつける。男は警官に発見されるとあっさり投降し、襲撃は終わった。
 男の名はアンネシュ・ベーリング・ブレイビク(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)。自らを“テンプル騎士団”という組織の指揮官と語り、多文化主義を打倒するためにテロを決行した、と言う。彼は国内にまだ仲間たちがおり、攻撃はこれからも続くだろう、とうそぶいた。
 襲撃当時、ビリヤルはトリエや友人たちとともに崖の陰に身を潜めていたが、ブレイビクに発見され銃撃される。かろうじてトリエは逃がしたが、親友ふたりは絶命、ビリヤル自身も5発もの銃弾を浴び昏睡状態に陥る。大手術を経て一命を取り留めたが、しかしそれは新たな戦いの始まりでしかなかった――


[感想]
 ポール・グリーングラス監督は実際に起きた事件、それも社会的問題に発展したケースを題材にすることが多い。知名度を一気に高めた『ブラディ・サンデー』、いち早く911を採り上げた『ユナイテッド93』、海賊に拿捕された貨物船の物語『キャプテン・フィリップス』。本篇もまた、2011年にノルウェーで発生した実際のテロ事件を扱っている。
 しかし、事件そのものの描写は冒頭20分ほどで呆気なく終了する。本篇の尺の大半はその後、犯人と被害者、そしてノルウェーの社会にもたらした影響を描くことに割かれている。
 恐らくはこの事件において実際に確認された事実に基づいて描かれていると思われるが、本篇での描写には普遍性を感じずにいられない。
 もっとも明白なのは、5発も銃弾を浴びながら一命を取り留めたビリヤルだろう。自身は生き延びることが出来たが、親友をはじめ、多くの仲間たちが無惨に殺される姿を目の当たりにしてしまった心の傷は深い。右目の視力を失い、銃弾の破片が脳幹近くに残ったままの身体はいつふたたび危機に陥るかも解らない。母は地元の市長選に当選したものの父と共にビリヤルにかかりきりで、無傷で助かったはずの弟トリエを精神的に追い込む結果を招いてしまう。あの1日を境にビリヤルの人生は文字通りに破壊されたのだ。そこからどのように立ち上がっていくのか、というプロセスは、多くの犯罪被害者が戦わねばならない現実を集約したかのような趣がある。
 もうひとり注目すべきは、犯人ブレイビクに指名されて着任する弁護士ゲイル・リッペスタッド(ヨン・オイガーデン)だ。かつて思想絡みの事件を手懸けその名を報じられたことのある弁護士であり、犯人に勝手に見込まれて指名された彼は、この容易ならざる案件をあっさりと引き受ける。彼は決してブレイビクの主張に共感しているわけではなく、“すべての人間に弁護される権利がある”という認識のもとに任を果たしていることは、その言動の端々から窺えるのだが、世間にはそれを理解しないひともいる。自宅には早々と脅迫電話がかかり事件の様相からすれば複数犯の可能性ははじめ、子供は学校側から転校を促されるなど、理不尽な批判に晒されるが、弁護士は決してその事実に強く抵抗しようとしない。法曹としての誠実な振る舞いは、いっそ凜々しくさえ映る。辛抱を重ねたあと、理性を保ちながらも最後に放った言葉は実に鮮やかだ。
 この作品のユニークなところは、決して独創的とは言いがたい犯人の言動によって、多くの人間が傷つけられ、振り回されてしまうところにもある。あまりに規模が大きく、多数の犠牲者が出てしまったが故に、社会は彼の単独犯行である、という結論を容易に出せない。様々な事実を考慮すれば協力者がいる可能性は乏しいのだが、当人の大言壮語を正面切って否定することも出来ない。それ故に、政府は犯人の発言を慎重に検証しなければならず、対応は遅くなる。すべてが明らかになってみれば、この事件はまさにひとりの男の危険な妄想でのみ成立していたのだが、それだけでも状況次第では多くの被害をもたらす社会的な事件になり得てしまうことを痛感する――日本でも、振り返ってみれば同様の展開が幾度か起きたことを思えば、まったく他人事ではないのだ。
 ポール・グリーングラス監督は揺るぐことのないドキュメンタリータッチで、客観性を保ちつつも巧みにビリヤルの苦悩を浮き彫りにし、周囲の人々や社会の反応を点綴していく。その光景はあまりにも理不尽で無慈悲で、しかしそれゆえに人の尊厳をつよく浮き彫りにしていく。
 911以降、世界はテロというものへの過敏さを増した。国際便のセキュリティは厳重になり、以前よりも脅威は低くなった印象もあるが、それでも本篇で描かれたような悲劇がしばしば起きている。そのたびに、従来の安全保障への疑問が提示され、新たな規制が設けられたりする。
 本篇においても、準備段階でその兆候を察知することは可能だった、という評価が為されている。堅実としてそこまでの規制が可能なのか、それで本当に一部の人間が妄想を募らせた挙句の惨劇を防ぐことが出来るか、は解らない。しかし、本篇の中で描かれる、方に携わるひとびとの良心と、それに接したときにひとびとが見せる寛容さは間違いなく希望だ。
 ポール・グリーングラス監督のお家芸とも言える、事実をもとにしたドキュメンタリーだが、そこには一貫して、社会に偏在する無慈悲な暴力と、屈することのない勇気への期待織り込まれている。本篇は特に、そうした監督の信条を色濃く描ききった力作である、と思う――Netflix限定の配信ではもったいないように思えるのだけど。


関連作品:
ブラディ・サンデー』/『ユナイテッド93』/『キャプテン・フィリップス』/『ボーン・スプレマシー』/『ボーン・アルティメイタム』/『グリーン・ゾーン
ブラック・サンデー』/『85ミニッツ PVC-1 余命85分
ボウリング・フォー・コロンバイン』/『エレファント』/『リチャード・ジュエル

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