『ソフィーの選択』

TOHOシネマズ日本橋、通路に掲示された案内ポスター。(※『午前十時の映画祭9』当時) ソフィーの選択 [Blu-ray]

原題:“Sophie’s Choice” / 原作:ウィリアム・スタイロン / 監督&脚本:アラン・J・パクラ / 製作:アラン・J・パクラ、キース・パリッシュ / 製作総指揮:マーティン・スターガー / 撮影監督:ネストール・アルメンドロス / 美術監督:ジョン・ジェイ・ムーア / 衣裳:アルバート・ウォルスキー / 編集:エヴァン・A・ロットマン / キャスティング:アリックス・ゴーディン / 音楽:マーヴィン・ハムリッシュ / 出演:メリル・ストリープケヴィン・クラインピーター・マクニコル、リタ・カリン、スティーヴン・D・ニューマン、グレタ・ターケン、ジョシュ・モステル、ロビン・バートレット、ギュンター・マリア・ハルマー、ジョセフ・ソマー / 初公開時配給:ユニヴァーサル=CIC / 映像ソフト発売元:NBC Unicersal Entertainment Japan

1982年イギリス、アメリカ合作 / 上映時間:2時間33分 / 日本語字幕:戸田奈津子

1983年10月15日日本公開

午前十時の映画祭9(2018/04/13~2019/03/28開催)上映作品

2016年8月24日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2018/11/6)



[粗筋]

 1947年。南部出身の青年スティンゴ(ピーター・マクニコル)は、作家になる、という志を抱いてニューヨークへと移住した。未だ書き上げた作品はなく、金もないスティンゴは、家主が払い下げのペンキを大量に購入してピンク色に塗りたくった“ピンクの宮殿”を自らの城とする。

 スティンゴの上の階には、ネイサン(ケヴィン・クライン)とソフィー(メリル・ストリープ)というカップルが暮らしていた。生物学者だというネイサンはやたら感情の起伏が激しく、初対面でふたりの修羅場を目撃したスティンゴを口汚く罵りながら、翌朝にはけろりとした顔で、「友達になろう」と提案してきた。

 そんな恋人に献身的な態度を取るソフィーは、もともとポーランド人であり、あのアウシュビッツ収容所で辛くも生き残ることが出来たひとりだった。解放されたのち、アメリカに新天地を求め、懸命に英語を学んでいたとき、ネイサンに出会った。兄が医師であるというネイサンは、ソフィーが鉄分不足で貧血に伴う症状を発していることを見抜き、家に連れ帰って介護した。以来、ソフィーにとってネイサンはなくてはならない存在になっていた。

 スティンゴはネイサンの紹介で、レスリー(グレタ・ターケン)という女性と交際を始める。卑猥な言葉を盛んに口にし、開放的な性を仄めかしていたレスリーだったが、いざというときになって、未だ実際の行為に抵抗があることを打ち明ける。スティンゴが悄然としてデートから帰宅すると、ネイサンと勘違いしたソフィーが出迎えた。

 ネイサンの帰りが遅いことに不安を募らせるソフィーのために、スティンゴは1杯付き合うことにした。ソフィーは、父親が大学教授であり、その助手であった当時の夫ともどもナチスに連行され銃殺されたことや、自身がアウシュビッツに収容された際の経緯を語る。そんなソフィーの過去を知ったネイサンは、取り憑かれたようにナチスの残虐行為について調べ始めており、彼の書斎はナチス関連の資料が大量に並んでいた。

 そこへネイサンが帰ってくる。ソフィーとスティンゴが酒を酌み交わしていたことを勘繰り、突如として激昂したネイサンだったが、ふたりの必死の弁解で、どうにか理性を取り戻し、事なきを得る。

 それからもネイサンとソフィー、スティンゴの奇妙な関係は続いた――どこかに不穏な気配を宿しながら……。

[感想]

 こんなにも動かしがたいタイトル、というのも珍しい。本篇はほぼすべて、ソフィという女性の“選択”だけで出来ている。

 物語のきっかけにしてもそうだ。地方からニューヨークへ移ってきたスティンゴと会話するきっかけを作ったのは、間違いなくソフィのほうだ。そこから始まる様々な出来事は、きっかけ自体は他の者だったとしても、展開を促す選択はほとんどソフィに委ねられている。

 だが、決してソフィ自身が望んで選んでいるわけではない。多くの場合、ソフィは否応なしに選ばされている。そして、選ばされた結果、あまりにも幸薄い生き方をせざるを得なくなった。

 本篇の題材となっている“ホロコースト”という事件は、人間を選別しようとした者の傲慢と、彼らによって無慈悲に扱われたユダヤ人の悲劇という側面は多く採りあげられ、フィクションにおいても繰り返し描かれてきた。

 しかし、本篇を観終わったあとで、そうした作品と並べたとき、恐らく一線を画した印象を受けるはずだ。その理由は、ごく大まかにふたつ挙げられる。

 ひとつに、この物語の時点で戦争は終わり、“ホロコースト”を蛮行として捉える世論が醸成されている。虐殺されたひと、家族や郷里を失ったひとびとには同情が寄せられる一方、少しでもドイツの為政者側として蛮行に関わった者は、内外からの断罪の声によって苛まれ続ける。やむを得なかった、そういう時代だった、と弁解して、堂々と暮らしていくことが出来た者は恐らく稀で、多くは周囲の眼を意識して生きていたはずだ。戦争後とはいえまだ当事者が世界各地に存在しており、その空気はより濃密だっただろう。戦争中の出来事を中心として語る作品と、本篇はそういう点でまず異なる。

 そしてもうひとつは――しかしこちらについては詳述を避けたい。本篇は青春ドラマ、繊細なロマンスのような筆致で描きながら、その語り口はミステリーに近い。もうひとつの要素は、この語り口を支えているもので、とりあえず初見では過剰に詳細を知ることなく鑑賞したほうが、観終わってより重く染みわたってくるはずだ。とりあえず、このもうひとつの点こそ、本篇の勘所であり、本篇が一般の“ホロコースト”やユダヤ人迫害を扱った作品と異なる最大の特色だと思う。

 このテーマを扱ううえで、全体を当事者であるソフィーではなく、第三者だったスティンゴの視点から描き出していることがまた絶妙だ。

 ソフィー視点で描けば、極めてショッキングで重厚なドラマにはなっただろうが、本篇のように、ソフィーの人間性を客観的に描くことは出来なかっただろう。スティンゴの立ち位置を挟むことで、ソフィーの体験における“本質”をより浮き彫りにしている、と言える。

 それでいて、スティンゴはこの物語において、まったくの第三者ではない。初対面の時点でスティンゴはソフィーに対して憧れを抱いており、その恋人であるネイサンには複雑な感情を抱いていることが窺える。倫理観と、初対面の際にネイサンが見せた凶暴性への配慮もあって、スティンゴは節度を保ちつつもこのふたりと関係を深めていく。青春ドラマめいた甘酸っぱさを加味しつつも、まるで薄氷の上を歩くような、サスペンスに似た剣呑さも醸成し、物語に更なる奥行きをもたらしている。

 何より、スティンゴの存在こそが、ソフィーに改めて大きな選択を突きつけているのである。彼がいなければ、たぶんソフィーは物語を着地させる“選択”をすることはなかった。いずれ辿るべき道だったかも知れないが、もっとあとになっていただろう。

 恐らく、あまり深く考えずに鑑賞した場合、題名にある“ソフィーの選択”はひとつしか気づかないだろう(実際、公開当時の宣伝文句などもそれを仄めかしている)。だが実のところ、それだけではない。前述したように、様々な“選択”を行い、或いは強制され、ソフィーはこの物語に辿り着いている。

 そうしたひとつひとつの“選択”を思い起こしたとき、この物語は、その正しさ、理不尽さに想いを馳せずにいられない。他に道はなかっただろうか。あまりに運命は、ソフィーに対して苛烈すぎはしなかったか、と。

 ソフィーを演じた本篇で、メリル・ストリープアカデミー賞に輝いている。やや角張った顔立ち故に理性や意志の強さをたたえた人物が似つかわしいイメージだが、本篇ではやもすると風に吹き飛ばされてしまいそうな儚さを醸しつつ、しかしあまりに重い過去を背負うが故の“芯”をも感じさせる。タイトルロールであり、物語の重荷のいっさいを引き受けた人物をここまで堂々と演じきっているのだから、オスカー獲得はむしろ妥当だとさえ思う。

 それにしても、スティンゴは、自分が結果的にソフィに対して最後の選択を強いたことに気づいていたのだろうか。理解していると捉えるか、そうでなかったと捉えるか、で本篇はまた意味合いも味わいも異なってくる。

 つくづく、凄まじい傑作である。

関連作品:

アラバマ物語

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