『アイズ』

『アイズ』

原題:“The Eye” / 監督:ダヴィド・モロー、ザヴィエ・パリュ / 脚本:セバスチャン・グティエレス / 原案:オキサイド・パン&ダニー・パン監督作品『the EYE』 / 製作:ポーラ・ワグナー、ドン・グレンジャー / 製作総指揮:ミシェル・マニング、マイク・エリオット、ピーター・チャン、ロイ・リー、ダグ・デイヴィソン、マイケル・パセオネック、トム・オーテンバーグ、ダレン・ミラー / 撮影監督:ジェフリー・ジャー,ASC / 美術:ジェームズ・スペンサー / 編集:パトリック・ルシエ / 衣装:マイケル・デニソン / 特殊メイク:マシューW・ムングル / 音楽:マルコ・ベルトラミ / 出演:ジェシカ・アルバアレッサンドロ・ニヴォラ、パーカー・ポージーラデ・シェルベッジア、フェルナンダ・ロメロ、レイチェル・ティコティン、オッバ・ババタンデ、クロエ・グレース・モレッツ / 配給:MOVIE-EYE

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:岡田壮平

2008年11月01日日本公開

公式サイト : http://www.eyes-movie.jp/

谷東急にて初見(2008/11/01)



[粗筋]

 シドニー・ウェルズ(ジェシカ・アルバ)は5歳の時の事故で角膜を損傷して視力を失って以来、光のない世界で暮らしている。事故の責任を未だに感じている姉ヘレン(パーカー・ポージー)の支えもあって、今ではオーケストラのヴァイオリニストとして、ある程度は独り立ちに成功していた。

 しかし、ヘレンの熱心な薦めと、適合するドナーが現れたことにより、シドニーは二度目の角膜移植に挑戦する。手術は無事成功、彼女は久しぶりに光のある世界を体験した。

 移植した角膜から齎される視界に慣れるには時間が要り、そのあいだシドニーの視野は暈けたままだったが、それでも長年にわたって目の見えなかったシドニーには戸惑うことが多い。

 そんななか、シドニーは次第に、自分が異様なものを見ていることを感じはじめた。同室だった重病の女性が深夜、何者かによって連れ去られるのを目撃し、翌朝彼女が死んだことを知る。初めて我が目で見た自分のアパートでは、大火災に遭うどこかの映像が折り重なって映る。その時間は、決まって深夜1時6分。

 視力のある生活に慣れていないシドニーの心のケアを担当していた精神科医のポール・フォークナー(アレッサンドロ・ニヴォラ)は混乱から生じる幻覚だ、と取り合わないが、シドニーは少しずつ、自分が“死者”やそれを連れ去る者、そして何らかの意味のある映像を目撃している、と確信を強めていった。それが決定的となるきっかけは、シドニーが病院で親しくなった脳腫瘍の少女アリシア(クロエ・グレース・モレッツ)の死であった……

[感想]

 本篇は2001年にタイと香港の資本で製作され、2003年に日本で公開された映画『the EYE』に基づいている。この作品の公開・ヒットを契機にアジア産のホラー映画が陸続と日本で封切られるようになったため、印象に残っている人も多いだろう。

 かつてはこうしたリメイクは、概ねオリジナルの良さを壊して駄目にする、という理解がなされていたが、近年はそうした反省を踏まえてか、舞台を別の土地に移しても話の流れや精神を壊さないように工夫した作品が多くなった。今年に入って日本にて上映された『ワン・ミス・コール』や『シャッター』、『ハロウィン』などがそのいい例である。

 本篇の場合はメインの舞台を香港からアメリカ・ロサンゼルスに変更、併せて重要なもうひとつの舞台をタイからメキシコへ変更しているが、それ以外の基本的な流れ、主立った怪奇現象はことごとくオリジナルに準拠している。場所の移し替えも合理的なら、怪奇現象を移植する際の配慮も丁寧で、オリジナルに愛着のある目から見て違和感は少ない。

 むしろ全体としては、オリジナルに足りない伏線や描写を補強して、主題を徹底しているように感じた。オリジナル自体未見の方のために詳述は避けるが、オリジナルにおいていささか唐突の感のあったクライマックスが、本篇においては伏線を補ったり、それ以前に象徴的な出来事を配置することで、納得しやすい話の流れを構築している。クライマックスの展開にも微妙な差違があるが、むしろあまりに達観しすぎて不自然であったオリジナルよりもドラマティックになっており、脚色として正しい方向性だろう。

 ただ、そうしてオリジナルを尊重するあまり、幽霊の概念やその特徴など、オリジナルがアジア圏にて製作されたが故の仏教的な価値観が痕跡として残ってしまい、それがやや不自然な印象を齎す箇所もあることも否めない。意識してそうした東洋的な要素を外して、アメリカの風土に馴染むよう工夫しているのは間違いないのだが、たとえば病院における“寒さ”をしきりに訴える霊や、死に至る行動を反復する霊など、従来のハリウッド産心霊スリラーには馴染まない――まるっきり存在しなかった訳ではないが、決して浸透していない――表現が残っている。一方で、オリジナルでは意識してそういう部分を反復して、こういう価値観に馴染みのない層にも多少は配慮していたのに対し、本篇は尺や力点を置く主題の違いからか、同じ要素を繰り返すことを避けているので、そのあたりが解りづらくなっているように感じられた。

 かと思うと、独自に採り入れた描写でも、やや説明不足に思えたところが幾つかある。視力を回復したシドニーを祝うパーティーの席、複数の人間が入り乱れて、まだ“見る”という行為に慣れていない彼女の混乱と動揺を描く意図と同時に、恐らくは初めて“死者”を見た、というニュアンスを感じさせる描写があるのに、そこには言及していない。それはまあ私の穿ちすぎとしても、シドニーがやがて辿り着く過去の悲惨な出来事に、クライマックスにおける行動を保証するための根拠が欠けているのも事実なのだ。クライマックスでシドニーの行動を裏打ちするためには、もう一つ、ある能力について描く必要があっただろう。なまじその周囲が整っていただけに、そこがもったいない。全体的に、残したところと付け足したところ、その取捨選択に混乱が生じているのが問題と見えた。

 だが、全体として原作にとても敬意を表して作りあげた作品になっているのは確かだ。怪奇現象の演出にやや緊迫感、恐怖感が足りないのは引っ掛かるものの、人物像やその境遇に説得力が増しているし、全体の映像、伏線の組み立ては確実に洗練されている。またシドニーの目が見えないときの暮らしぶりと、異常なものを目にし続けて動揺している際に、目ではなく点字を利用して電話をかけたりパソコンの文章読み上げソフトを利用したりといった描写、そして彼女の曖昧模糊とした視覚を再現した映像など、ディテールをより精細に仕上げている点にも注目していただきたい。舞台を移しつつ、本来の美点を極力留めることに腐心した、いいリメイクである。

 むしろ、これだけ丁寧に作れるのなら、オリジナルになかった部分をもう少し膨らますとか、オリジナルにあった意味のない怪奇映像を更に増やすといったもう一工夫が欲しかったように思う。それでも水準をクリアした、手触りのいいホラー映画であることは間違いない。

 オリジナルの製作が2001年であるから、日本に届いた2003年には既にハリウッド・リメイクの話は浮上していたようだ。それから約5年を費やしているあたりから想像がつく通り、ずいぶ紆余曲折を経ている。

 もともと本篇はトム・クルーズがリメイク権を取得した、と謳っていたが、届いた本篇にはトム・クルーズの名前はクレジットされていない。それは5年のあいだに、長年トム・クルーズの製作パートナーであったポーラ・ワグナーが彼と袂を分かっており、恐らく本篇のリメイクについてはワグナーが動いていたために、トムの名前はスタッフから外れたのだと推測される。

 しかしそれよりも個人的に惜しまれるのは、かなり早い段階で本篇のスタッフとして名前が挙がっていたのが日本の中田秀夫監督であり、主演にはレニー・ゼルウィガーの名前が取り沙汰されていたことだ。準備に時間が費やされたこと、スタジオ側との意見の食い違いなどで、監督や主演が入れ替わることなどハリウッドではざらにあることだ、と承知していても、この組み合わせによるリメイクは観てみたかった、と惜しまれる。こと中田監督は、自身の作品をリメイクしたものの続篇、という奇妙な位置づけの作品しかハリウッド資本ではリリースしていないので、たとえ他の監督のリメイクでも、違ったスタンスでの作品を観てみたい、という想いが強いだけ、なおさらに。

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