針の誘い [新装版]/土屋隆夫コレクション

針の誘い [新装版]/土屋隆夫コレクション 『針の誘い [新装版]/土屋隆夫コレクション』

土屋隆夫

判型:文庫判

レーベル:光文社文庫

版元:光文社

発行:2002年7月20日

isbn:4334733441

本体価格:667円

商品ページ:[bk1amazon]

 2002年から2003年にかけて刊行された、土屋隆夫の代表長篇に同時期発表された短篇及びエッセイを併録して再編集した『土屋隆夫コレクション』の第四回配本。著者唯一の長篇シリーズ・千草泰輔検事シリーズの第三作である表題作のほか、『淫らな証人』をはじめとする三本の短篇、三本のエッセイを収める。

 路原製菓の社長・由人の二歳に満たない長女・ミチルが誘拐された。偶然の成り行きから通報以前に関係者と千草泰輔検事が遭遇したことから、早い段階に警察が事態に介入するが、犯人からの意表を衝いた接触に翻弄された挙句、運搬役に指名された由人の妻・里子が取引の現場で殺害されるという最悪の展開になってしまう。そのうえ、警察やたまたま現場に居合わせた目撃者がいたにも拘わらず、犯人がいったい何処から里子を狙ったのか、また何故金を奪わずに逃走したのか、その意図が判然としない。ふたたびの犯人からの連絡に、全面的に従うことを由人が決め、警察がその対応に苦慮するなか、千草検事の疑惑はあるひとりの人物に注がれていった……(表題作)

 シリーズ第三作目にして、本格推理を志すものならいちどは手を出してみたくなる誘拐ものの登場である。千草検事の立場からするとこういう事件には本来発生時点から関わることがなく、事後に証言や記録から状況を俯瞰するような格好になりがちだが、偶然の契機から通報直前に事件の発生を知るような状況を作ることで、自然と関係者の中に組み込んでしまっているのが巧い。こうすることで、誘拐事件を本来の動的な姿のまま活写することに成功している。

 しかし、状況設定に凝らす趣向については人後に落ちない著者だけあって、その展開も有り体の誘拐もの通りにはなっていない。取引の現場で殺人が発生し、しかも衆人環視のなかで見えない手によって殺害されたような、いわゆる密室犯罪の様相を導入し、事態を複雑化させている。金を奪おうと思えば奪えた状況で何故、犯人は殺しだけ犯して消えてしまったのか? 誘拐犯からの要求がふたたび連絡されるなか、千草検事は犯人の正体とともにその動機や犯行方法についても頭を悩まされる。単なる状況説明と推理、そして解決という決まった流れに押し込まれがちな本格推理の型から逸脱した、動的な面白さが横溢している。

 但し、あまりにアイディアを詰め込みすぎたせいか、終盤にかけてバタバタした印象があるのが惜しい。それまで明確にされなかった謎が終章において急激にクローズアップされ、順繰りに解決されていく様は、驚きよりも呆気に取られることが多く、またいざ終わってみても、本当にこれで終わりなのか? という曖昧な感想を残す。また、状況こそ込み入っているが、仕掛けそれぞれはシンプルであるため、あっさり見抜けてしまうものが多いのも少々気に掛かる。

 それでも全篇に漲る知的な緊迫感と丹念な追い込み、その結果として流れる無情な余韻はこの著者ならではのものであり、読み応えは充分にある。代表作と呼ぶにはやや完成度に欠くが、相変わらず水準を超えた作品であると思う。

 同時収録された短篇もまた一筋縄で行かないものばかりである。少女の暴行殺人事件を発端に相次ぐ死の連鎖を情感たっぷりに、しかし冷酷なまでに活写した『淫らな証人』、自殺として処理された出来事の意外な真実を一風変わった切り口から描いた『加えて、消した』の二話は、普通の本格推理やサスペンスではおよそ考え難い事件の推移を描き、『わがままな死体』は犯人当て小説を志向しながら、著者自身の体験を擬して描くという凝りようである。『淫らな証人』はいちばん肝心の謎が解かれておらず、『わがままな死体』は即物的なトリックと軽妙な語り口とがやや調和しきれずに終わっているのが欠点だが、いずれもあまりよそではお目にかかれないタイプの描き方をしているため、読む手を止められなくなる。

赤の組曲』同様、発表から時間が経っているがゆえに古臭さが滲むことから免れてはいないけれど、その創作流儀の一端を覗かせたエッセイまで含めて、読み応えのある一冊である。

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