『騎士の盃』
カーター・ディクスン/島田三蔵[訳] Carter Dickson“The Cavalier’s Cup”/translated by Sanzo Shimada 判型:文庫判 レーベル:ハヤカワ文庫HM 発行:1982年12月31日(2004年3月15日付2刷) isbn:4150704104 本体価格:800円 |
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ヘンリー・メリヴェール卿がサセックス州グレート・ユーバラに近いクランリ・コートに転居したときは、さすがの御大も隠棲したか、と内心胸を撫で下ろしていたハンフリー・マスターズ主任警部だったが、ヴァージニア・ブレイスから奇妙な謎解きを持ちかけられて、久々に卿のもとを訪ねざるを得なくなる。ヴァージニアの嫁いだテルフォード館は現当主トムで九代目にあたる由緒正しい家柄に受け継がれており、多数の歴史的遺物があるなかで、とりわけ金銭的な価値の備わったものに、十七世紀の戦争にちなんだ“騎士の盃”がある。展示会のために貸し出していたこの盃が一時的に戻ってきたため、やはり由緒正しい一室であるオークの間でトムが寝ずの番をしていたところ、眠っていた隙に何者かが侵入し、仕舞っていた金庫から盃を取りだし別の場所に置いて去っていったのだ。扉も窓も閂をかけた密室状態の部屋にわざわざ侵入しながら、犯人はいったい何をしたのか……? 当初トムに夢遊病の疑いをかけたマスターズ主任警部は、話の成り行きで事件当夜、トムがしたのと同じように、オークの間で寝ずの番をする羽目になる……事件そっちのけでいかがわしい歌の練習にかまけるHM卿は、如何にしてこの謎を解く?
カーといえばカー名義、ディクスン名義を問わず、奇矯な登場人物たちが右往左往して起こるスラップスティックな味わいを主体にした作品が多いことでも知られる。『盲目の理髪師』や『爬虫類館の殺人』がその主たるものだが、本編はそのなかでもある点で抜きん出ていると思う――登場人物が、ことごとくアホだ。必要以上にお国柄に拘ってみせて、要らぬ諍いを繰り返してどんどん状況を混乱させていく。マスターズ主任警部は会いたくもないメリヴェール卿をわざわざ訪ねた挙句に寝ずの番はさせられ、この後更に酷い目に遭わされるし、探偵役たるメリヴェール卿は事件そっちのけで歌曲もどきの練習に夢中になっている、ように見える。 序盤はなかなか進まない物語に苛立つが、しかし明らかになっていく各人の個性が絡みあって余計ぐちゃぐちゃしていく中段になると苦笑混じりの可笑しさが滲み出てくる。相変わらず話はぜんぜん進んでいないし、事件が解けてみるとこのくだりは本当に必要だったか、と首を傾げたくなるが、このハチャメチャな成り行きこそ本書の魅力だろう。 そして、さすがは生涯を謎解きに捧げた書き手だけあって、解決編に至るとその伏線の量に感嘆させられる。提示の仕方は、あとになるといささか強引すぎると感じられるものが多々あるが、それらをあの大混乱のなかできちんと盛り込み、筋の通った推理に結びつけているのは見事だ。 カーのもうひとつの特徴である密室トリックのほうは――かなり乱暴であると思う。えー、本当にそれは気づかないか? と大いに疑問に思うところだが、しかしそれ以外の犯人を特定する論理過程はなかなか筋が通っているし、動機の設定も見事なのでカタルシスは成り立っている。 これがメリヴェール卿最後の事件だと思うと、事件の迫力に物足りなさを禁じ得ないが、しかし事件の成り行きと幕引きは実に彼らしくもある。名作ではないが、ファンにとっては充分に楽しめる一冊であろう。 |
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