『太陽の Ray Bradbury“The Golden Apples in the Sun”/translated by Toyoki Ogasawara 判型:文庫判 レーベル:ハヤカワ文庫NV 発行:1976年12月31日(1999年7月31日付17刷) isbn:4150401098 本体価格:640円 |
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デビューから半世紀以上経った今なお健筆を振るうSFの吟遊詩人レイ・ブラッドベリが、SFの枠に縛られない創作意欲と筆力とを初めて世に知らしめた、4冊目の著書の邦訳。海に生きるモノの悲哀を描く秀作『霧笛』、為政者と技術との関係を簡潔にしかし説得力充分に剔出する『空飛ぶ器械』、近日映画版が日本でも公開される短篇SFの傑作『雷のような音』、映画という箱庭世界への愛を綴る『草地』など、全22篇を収録する。
SFの枠に縛られない、と書いたが、購入した時点では私もSF作品集と誤解していたが、読み進めていくうちにすぐ認識は変わった。『霧笛』『散歩者』『荒野』など確かにSFの基部があってこそ成立する話も多数収録されているが、尺の短さも手伝って理解に努力の必要な基本設定はなく、いずれも手触りは非常に柔らかい。その感触は、痛切な切なさを伴ったファンタジー『四月の魔女』や『目に見えぬ少年』、超科学的なモチーフとも幻想的なシチュエーションとも隔たって強烈な詩情を奏でる『黒白対抗戦』『山のあなたに』と並べてもまったく違和感を齎さない。どんなモチーフを扱おうと、その文章や創作姿勢にある人間観察の鋭さと優れた創造性には差を設けていないからだ。 詩的な作品が連なる中で、また随所に毒を孕んでいるのも作品に厚みを与えている。特に、仕掛けに淫するミステリを皮肉ったような『鉢の底の果物』、愛情の滑稽さを親しみの籠もった筆致で描く『夜の出来事』、立ち位置による価値観の転倒を驚異的な力強さで剔出する『日と影』などにその毒素は顕著だが、そういう作品が叙情性の高い物語と一緒に置かれていても浮いてしまわないのは、筆力が高いレベルで安定している何よりの証明だろう。作品の配列も巧妙で、とりわけ『日と影』で生活を書き割りの一部にされることを激しく拒む人物を描いた直後に、書き割りの世界に平和共存の理想を見出す老人を主人公とする『草地』を持ってくるあたりが実に憎い――尤も、この作品の配置がレイ・ブラッドベリ自身の発案によるものなのか、あちらの編集部が行ったものか、或いは日本で訳出された際にこうなっただけなのかは解らないので、配置をそのまま著者の評価に繋げていいのかは謎なのだけど。 いずれにせよ、SFや幻想性の高い作品を主体にしつつ、様々なスタイルで世界を切り取ってみせた本書は、ジャンルに対する拘りの強い読者にもそうでない読者にも訴えかける力の強い名著であることは確かだろう。SF文庫ではなくNV文庫に収録されているのも頷ける。 それにしても――本書を読んでいると、しばしば時の流れに思いを馳せずにいられなくなる。作中、ロケットにて移民の始まる“未来”として選ばれた西暦は2003年である。新しいエネルギー源として太陽の一部を摘んでくるロマンティックな表題作は、だがしかし、太陽に接近するための技術に費やす資金と動力とを考えるとまったく割に合わない。しかしその古めかしさ、牧歌的なSF描写もまた、いま読むとまた味わい深いのである。 ちなみに上で触れた『雷のような音』映画版、というのは、日本では今年(2006)3月に公開が予定されている『サウンド・オブ・サンダー』のことである。粒揃いの本書に収録された作品群のなかでも特に際立った名品だが、映画のほうの出来は……正直、微妙らしい。本国では派手にコケたらしいし、日本でもかなり前に公開が予定されていたにも拘わらず、いちど公式サイトが閉鎖され、2005年末になってようやく再度告知が行われた、という不穏な動きを見せている。 まあ、映画の出来によって原作の素晴らしさが左右されるわけではないし、もとより年季を積んだ本読みや映画ファンほど原作つきの映画には期待しないものなのだけど……それでも、もし映画と原作双方に目を通すつもりでいた方には、変なイメージのつく危険を冒す前に、とりあえず原作を読むことをお薦めする。本書はネット書店などではやや入手困難な状態のようだが大きな書店にはまだ並んでいるところが多いし、2月頃には東京創元社から『雷のような音』を含む『ウは宇宙船のウ』の新版も刊行されるはずなので*1、そちらを待つのも一手だろう。 |
*1:こちらの邦題は『雷のとどろくような声』となっている。
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