りら荘事件

りら荘事件 『りら荘事件』

鮎川哲也

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫

版元:東京創元社

発行:2006年5月31日

isbn:448840314X

本体価格:800円

商品ページ:[bk1amazon]

 戦後のデビュー以来最晩年まで推理文壇に貢献しつづけた本格ミステリの驍将・鮎川哲也が1958年に発表した、『黒いトランク』と並び立つ最高傑作。

 夏期休暇を惜しむように、日本芸術大学の学生達が秩父山中にある大学所有の寮“りら荘”を訪れた。それぞれがいっぱしの芸術家であるだけに個性も著しく、愛憎入り乱れてはじめから波乱含みであった。到着した早々、近在の炭焼き男が転落死し、傍には学生のコートとスペードのAのトランプが置かれていた、という事件が出来する。身内の出来事ではないから、と最初のうちは楽観視していた一同だが、松平紗絽女が毒殺され、遅れてその婚約者であった橘秋夫が川岸で屍体となって発見されるに至り、緊張が高まっていく。現場に詰める捜査陣を嘲笑うかのように殺人は繰り返され、窮した警察は東京在住の天才的な素人探偵・星影龍三の出動を要請する。際限ない死の連鎖に、星影がはじき出した答とは……?

 先行する講談社文庫版で読んでいたが、創元推理文庫収録に合わせて久々に目を通してみた。ちょうど講談社文庫版刊行当時に本格ミステリの魅力に開眼し、その頃はまだ名前ぐらいしか知らず、市場で入手しやすい作品も限られていた鮎川哲也の作品であることもあって、勉強のつもりで手に取ったが、その急速な展開と衝撃的なロジックの力にノックダウンを喫した覚えがある。こうして纏めて読み通すのは何年かぶりだが、傑作であるという印象は変わらなかった。

 歴史的な背景を抜きにしてもその描写には古臭さがつきまとう。昨今は視点を必要以上に動かさないのが主流となっているが、本編において視線は極めて自在に動き回っている。序盤は学生達のあいだを行き来し、警察が本格的に動きはじめてからは捜査に携わる人々に近い位置からに絞られてくるものの、明確な視点人物は最後まで設定されず、感情移入する対象がないことに、最近のミステリしか知らない読者は戸惑いを覚えるのではなかろうか。

 だが、どこまで叙述を辿ってもなかなか犯人が解らない、最終的に明白な容疑者が残りふたりになってしまっても依然として真相が見えない、だというのに異論のほとんど入り込む余地のない論理で鮮やかに犯人を指し示す終幕のインパクトは並大抵ではない。古いミステリにありがちな衒学趣味や晦渋な描写も少なく、いったん文章の流れに乗ることが出来れば読むのに手間取ることもない。読みやすさとは裏腹な複雑さ、密度の高さも驚異的である。

 恐らく昨今、“本格ミステリ”という言葉に魅せられるようになった読者が求めているものとは、雰囲気も読後感も異なっているに違いない。しかし、たとえば綾辻行人法月綸太郎など、いわゆる“新本格”の旗手たちがそもそも志していた“本格ミステリ”の理想型のひとつはここに存在する。

 初心に立ち戻りたい、最初の頂の姿を窺い知りたいと望む向きは、この機会に手にとってみることをお薦めしたい。

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