原題:“Things We Lost in the Fire” / 監督:スサンネ・ビア / 脚本:アラン・ローブ / 製作:サム・メンデス、サム・マーサー / 製作総指揮:ピッパ・ハリス、アラン・ローブ / 撮影監督:トム・スターン / プロダクション・デザイナー:リチャード・シャーマン / 編集:ペニッラ・ベック・クリステンセン、ブルース・キャノン,A.C.E. / 衣装:カレン・マシューズ / テーマ曲・ギター演奏:グスターボ・サンタオラヤ / 音楽:ヨハン・セーデルクヴィスト / 音楽スーパーヴァイザー:スーザン・ジェイコブス / 出演:ハル・ベリー、ベニチオ・デル・トロ、デヴィッド・ドゥカヴニー、アリソン・ローマン、オマー・ベンソン・ミラー、ジョン・キャロル・リンチ / ニール・ストリート製作 / 配給:角川映画
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間59分 / 日本語字幕:古田由紀子
2008年03月29日日本公開
公式サイト : http://kanashimi.jp/
シネカノン有楽町1丁目にて初見(2008/03/29)
[粗筋]
バーク家は人柄が善く、事業にも成功して順風満帆の夫ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)を中心に、平穏な日々を送っていた。妻オードリー(ハル・ベリー)にとって唯一の気懸かりはブライアンの幼なじみであり、かつては腕利き弁護士として鳴らしながら、麻薬に溺れ、現在はうらぶれた街で孤独に暮らしているジェリー・サンボーン(ベニチオ・デル・トロ)という男のことである。世間が見放した彼を、ブライアンはただひとり庇い、誕生日には直接訪ねてふたりきりで祝ったりもしていた。いつか厄介な出来事に巻き込まれないかと不安を覚えながら、オードリーはブライアンを見送り、彼の帰りを待つ日々が繰り返された。
だが、不運はオードリーのまったく予想しない場所とタイミングでブライアンを襲った。夜、子供に頼まれたアイスクリームを買った帰りに、道端で夫に殴られている女性を見つけ、助けようとしたところ、とち狂った夫が放った銃弾を浴びて、呆気なくこの世を去ってしまったのである。
動揺のさなか、催された葬儀の席に、オードリーはジェリーを招いた。あくまで夫が最後まで親しみを抱いていた男を無碍にしたくない、という想いからだったが、哀しみに憔悴するブライアンの子供達の趣味や行動を熟知し、優しく接して、この状況で少しでも笑わせた彼に、オードリーは初めて親近感を覚える。
葬儀を終えて訪れた、夫のいない日々。子供達の無神経な振る舞いに苛立ち、孤閨に怯え不眠症に陥ったオードリーは、ある出来事を契機に、かつてならば考えもしなかった行動に出る。ブライアンの死後、狭いアパートを出て、保養施設で働きながら世話になっているジェリーを訪ねると、こんな提案を試みた。
ブライアンの生前、焼けてしまったガレージの修繕がまだ済んでいない。もし完成させてくれたら、部屋を提供する……
[感想]
現在のハリウッドで、最も“役者”としての色気がある俳優はベニチオ・デル・トロと信じて疑わない。優れた俳優や存在感を備えた役者は多々存在するが、その佇まいから“役者”としての色気を放つ俳優はそう多くない。『トラフィック』でのアカデミー賞助演男優賞受賞以降は出演作品を厳選し絞り込んでいるようで露出がめっきりと減っていたのが、そうして評価している身としては寂しい限りだったが、本編ではその渇を存分に癒してくれるくらい充分な露出と、相変わらずの傑出した演技力を披露してくれた。
作品の主題は粗筋だけだと一見メロドラマ風だが、しかしその実、局所的なアップやBGMとしての音楽を極力抑制した個性的かつ静かな演出と、巧みに計算を施して巧緻に構成された、玄人をも唸らせる映画に仕上がっている。冒頭、のちに亡くなるブライアンとその子供との会話からして非常に意味深だが、序盤において描写されたことの幾つかが絶妙のタイミングで反復され、その趣向に奥行きを齎しているのが実に巧い。すべての契機となるブライアンという男の人柄がいささか善人すぎるように最初は感じられるのだが、だからこそ突然の死が理不尽に思え、そして残された妻や親友の哀しみが深まり、その言動が重みを備える。
そうして繊細かつ重量のある描写が無数にある一方で、すべての出来事に合理的な説明をつけているわけではなく、随所に放り出された部分があるのだが、それが却って物語にリアリティを与えている点も指摘しておきたい。特に、どうしてオードリーが、夫の生前は敬遠していたジェリーを家に迎え入れたのか、動機を明瞭にしていないのがポイントだ。きっかけ自体は提示されているものの、それはあくまでジェリーに対する誤解を解くのみの事実であり、イコール彼を家に呼び寄せる、という具合にはならない。しかし人間は極端な感情に駆られたとき必ずしも説明のつく行動をしないものであり、その不安定さを描く上で、余分な説明をしないことが物語に実感的なものを齎している。とりわけクライマックスでジェリーがブライアンの娘ハーパーに手渡した手紙の内容に触れなかったのは絶妙だ――それまでの描写を検討し、かつラストでのジェリーの独白を重ねれば、おおよそ検討はつくのだが、明示していないからこそ想像の余地があり、深みが増している。
解釈に幅を許しながら、しかし本編において製作者達が描こうとした主題が明瞭であるのもいい。邦題はいささかストレートかつ情緒的なのが引っ掛かるが、原題はその点実に良くできている。“Things We Lost in the Fire”というこの題名、作中ではなかなかそれらしいものが登場しないのだが、細かな会話に鏤められたものがクライマックスで結実し、ふ、とこのフレーズが姿を現したときの衝撃が凄まじい。恐ろしく傑出した題名である――がそのまま邦訳できなかったのも道理で、そこが悩ましいところではあるが。
本編最大の美点は、登場人物の誰ひとりとして安易に感情的な行動に走ることなく、節度を保っていることだ。だからこそ、オードリーとジェリーの距離感に説得力が備わり、重みと暖かみとを確かに感じさせる物語に仕上がっている。
単純に感動的な話だろう、と高を括って鑑賞しても充分に要望に応えてくれるだろうし、その表現の奥行きを繰り返し味わうことのできる、玄人好みの側面もきちんと備えた、秀逸なドラマであった。ラストシーンにおけるジェリーの語りと、そこに重なるオードリーの表情がいつまでも胸の中で反復され、きっと観た者の記憶に長いこと留まるだろう。
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