写真提供:シネトレ (C) 2007 SAKATA Masako |
英題:“Agent Orange -a personal requiem-” / 監督・製作・撮影・編集:坂田雅子 / 共同製作:ビル・メガロス、山上徹二郎 / 撮影協力:フィリップ・ジョーンズ=グリフィス(MAGNUM PHOTOS) / 編集協力:エドワード・エンゲル / リサーチャー:ジャン・ユンカーマン / 翻訳:ブー・ゴック・アン、ブー・クーン / ベトナム語監修:川口健一 / 音楽:難波正司 / 出演:グレッグ・デイビス、フィリップ・ジョーンズ=グリフィス、グエン・ティ・ゴック・フォン博士 / 製作・配給・宣伝:SIGLO
2007年日本作品 / 上映時間:1時間11分 / 日本語字幕:赤松立太(Passo Photo)
2008年6月14日(土)〜7月4日(金)岩波ホールにて3週間限定特別上映/全国順次公開
公式サイト : http://www.cine.co.jp/hana-doko/
広尾・佑浩寺にて初見(2008/06/08) ※特別試写会
[粗筋]
2003年、坂田雅子の夫グレッグ・デイビスは肝臓癌を患い、54歳の若さで亡くなった。失意にくれる坂田は、夫の旧友の話から、その早すぎる死の原因が枯葉剤にあるのでは、と考え、その実態を追うドキュメンタリーの製作を決意する。
グレッグが派兵されたのはベトナム南部。補給線が存在するために特に重点的に枯葉剤の散布された地域であった。帰国後、ベトナムからの帰還兵に対して冷たく、若さ故に耳を貸そうとしない民衆の姿に失望してアメリカを離れ、のちに戦地を中心に取材するフォトジャーナリストとなった。坂田とは大学紛争の時代に知り合ったが、結婚を決意した段階から彼は「子供は作れない」と言っていた。心に深い傷を残したベトナムでの出来事について触れることのなかった彼の口から枯葉剤などという単語が出ることもなく、坂田にとってもそれは秘められた領域だったのである。
グレッグが僅かに保管していた、ベトナム戦争従軍中の3枚の写真を手懸かりに、坂田はベトナムへと渡る。そして、今なお現地の人々を苦しめる、枯葉剤の現実を知るのだった……
[感想]
ベトナム戦争の傷跡のなかでも最もかの地に深く刻まれ、今なお人々を苦しめている枯葉剤について抉っていったドキュメント、のはずなのだが、どうもそんな印象を受けない。
上のクレジットにも記したように本篇の英題は“Agent Orange -a personal requiem-”であり、冒頭は監督である坂田雅子が夫グレッグ・デイビスが亡くなった話から、彼がベトナム戦争に従軍していた事実に触れ、そこから枯葉剤に注目していくという流れを取っており、もともとはプライベートな視点から探っていく意向があったのか、或いは出来上がったものをそうした作品と捉えていると見なせる。
だが実際に出来上がったものは、客観的にそういう印象はない。かといって、ベトナムの都市部にも地方にも確認できるという枯葉剤の影響と思しい障害児たちについてのデータに基づき、より大きな視座から語っているわけでもない。とりあえずベトナムに取材に赴き、特に考えもせず取材に訪れた先で出逢った障害者とその家族との交流と絆を、ざっと表面的に描き、ごく限られた知人たちから取ったインタビューで補強して小綺麗にまとめただけ、という趣で、奥行きもなく掘り下げも極めて浅い。
もし夫の死に関連して枯葉剤というものの害を描きたかったのなら、彼がベトナムのどのあたりにいたのかを明白にし、その土地と周辺の現状と当時についての証言を比較して変化と地元の人々の捉え方とを描いていくことで、主題を掘り下げていくことは出来ただろう。きっかけは夫の死であっても、そこからより大規模に、ベトナムという国家に齎した影響自体を考証したいのなら、もっと各地に取材の足を伸ばすべきだったし、専門家の証言や詳細なデータを蓄積するべきだ。
そうした上で取捨選択を行い、主題に向かって絞り込んでいくならまだしも、さして素材が集まっていない状態で、特に信念もなくまとめているから、実に雑然とした状態になり、全体で訴えたいことというのが曖昧になってしまった。
まったく発見がなかったわけではない。現地で障害のある子供を持った家族が、世話に忙殺されながらも、敵対国であったアメリカを恨んでいる様子があまりない、というのは意外だった。行為自体は戦争だったから仕方ない、と呟き、そのことに繰り言を述べるよりも、具体的な保障そのものを求めている。子供を散歩させるための車椅子であり、手術するための費用など、だ。政府は保障をしたがらず、アメリカは責任を認めないが故に、一般市民、特に農村などの人々が切々と口にするそうした訴え自体は重い。
だが、その発見を更に裏打ちしようという工夫を本篇で行うこともなく、ただざっと表面を撫でてしまっているために、やはり折角の証言も力を損なっている。監督は本篇を取るためにわざわざドキュメンタリー作りを学んだ、とのことだが、率直に言ってまさに学んだ人間だからこその教科書レベルの作り方しかしておらず、そういう観点からしても決して上質とは言い難い。編集自体は下手ではないが絶望的に素材が少なく、それを補うのが恐らくは監督自身による聞き取りづらいナレーションのみ、というのも辛い。そのナレーションも、本篇の説得力の乏しさを助長するように、配慮の行き届いていない使い方をしているのだから尚更だ。
きついことを言うようだが、これは劇場公開に耐えるレベルではない。観客に対して強く訴えかけられるほどの説得力をほとんど備えていない。描こうとしているテーマや問題提起は否定しないし、現実に生活を脅かされている人々を貶める気はないが、そういうものを描くためにはまるで力不足であることを露呈しただけの作品だった。
[付記]
今回の試写会はかなり風変わりな場所で行われた。当サイトも公認ブログとして登録して戴いている、映画情報サイト『シネトレ』で行っている“お寺で試写会”という企画の第2回であり、戦争と平和にまつわる映画をお寺で鑑賞する、という趣旨である。
――というわりには、風格を備えた堂宇などでの上映でなく、近代的なビルに入ったお寺を使ったのは少々残念だったが、まあそこは許容するとしても、正直会場のセッティングの仕方には問題があった。
利用したのは講演などに使われていると思しい規模の一室で、天井の高さは一般的な建物と変わりない。そういうところへ、一般家庭でも使える高機能のホームシアター・システムを持ち込んでの上映だったのだが、当然ながらスクリーンの位置は低くなってしまう。それ自体は仕方ないとしても、この状況でパイプ椅子を並べて座席にしたのはあまり望ましくなかった。どうやっても前に座る人の頭などが視界に入ってしまい、スクリーンの全体が見えなくなる。上映開始直後に席を離れて壁際で鑑賞していた人もいたし、私がお誘いした某氏も、スクリーン右側に表示される字幕があらかた読めなかった、という話だった。
会場にお寺を用意した時点で、申し込む側は映画を観るのに最適でない環境を覚悟しているだろうが、だからこそパイプ椅子ではなく、座布団などを並べる形にして欲しかったと思う。そうすればどこでも多少見上げる角度となるため、前に座る人が視界を妨げる危険も減る。事前に上映機材のチェックもしたのだろうから、そういう点も点検して判断して欲しかった。
なお前述の通り、今回の上映では、一般家庭でも導入可能な価格に設定されているホームシアター・システムが採用された。プロジェクターは三洋電機のシアター用フルHD液晶プロジェクター「LP-Z2000」、スクリーンはキクチ科学研究所の簡単にセッティングが可能なスタンフル・モバイルスクリーン、音響はONKYOのホームシアターHTSシリーズ(スピーカー)/ INTEGRAシリーズ(AVアンプ)という組み合わせだが、上記のように決して良好ではない環境にて、かなり距離を置いての鑑賞だったが、それでも細部が鮮明な映像と、くっきりした音が楽しめた。会議室としても使用できそうな部屋でこの感想なので、一般家庭に導入すればかなり理想的な映像試聴環境が構築できるかも知れない。
……と、『シネトレ』の方から、使用機材についてのレビューも併記して欲しい、という要望がありましたので書き留めた次第。映画自体への評価が辛かったからフォロー、というつもりではありません。実際、本当に機材はいいと思いました。映画自体がビデオ撮影で、決していい音響を必要とする作品ではなかったのが惜しまれるくらいに、音の聴こえ方は良かったですし、映像は鮮明でした。
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