原題:“Scoop” / 監督・脚本・出演:ウディ・アレン / 製作:レッティ・アロンソン、ギャレス・ワイリー / 製作総指揮:スティーヴン・テネンバウム / 撮影監督:レミ・アデファラシン / 美術:マリア・ジャーコヴィク / 編集:アリサ・レプセルター / 衣装:ジル・テイラー / 出演:スカーレット・ヨハンソン、ヒュー・ジャックマン、イアン・マクシェーン、チャールズ・ダンス、ロモーラ・ガライ、フェネラ・ウールガー、ジュリアン・グローヴァー、ヴィクトリア・ハミルトン / 配給:WISEPOLISY
2006年イギリス・アメリカ合作 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:古田由紀子
2007年10月27日日本公開
公式サイト : http://www.wisepolicy.com/scoop/
ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2008/10/28) ※ユナイテッド・シネマ豊洲オープン2周年記念特別上映
[粗筋]
ブルックリン出身の女子大生サンドラ・プランスキー(スカーレット・ヨハンソン)は記者になることを夢見て、大学新聞の編集に携わっている。ロンドン在住の友人ヴィヴィアン(ロモーラ・ガライ)を頼って、現地に滞在する映画監督の突撃取材を試みたが、うっかり“寝て”しまって取材にならなかった。
落ちこむ彼女をヴィヴィアンが連れて行ったのは、奇術ショー。スプレンディーニ(ウディ・アレン)と名乗る奇術師は、人間消失の仕掛けを披露する際、客席から協力者を募り、サンドラが選ばれた。促されるまま箱の中に入ったサンドラだが、その目の前に、妙な男が現れた。ジョー・ストロンベル(イアン・マクシェーン)と名乗ったその男は、先日死んだ記者だと語り、あの世に行く途中で手にした特ダネについて探るようサンドラに懇願する。それは昨今、イギリスを騒がせている通称“タロットカード殺人”の犯人が解った、というものであった。
半信半疑であったサンドラだが、事件もジョー・ストロンベルという記者の死もすべて事実であったことを確認すると、舞台を済ませたスプレンディーニのもとを訪ねる。本名をシドニー・ウォーターマンというこの奇術師、当然ながら最初は信じていなかったが、請われるままにサンドラを箱に閉じ込めてみると、本当に幽霊が現れ、サンドラに情報を提供し始めたのを目の当たりにして、さすがに愕然とし、成り行きでサンドラに協力する羽目になってしまった。
ストロンベルが挙げた犯人の名は、ピーター・ライマン(ヒュー・ジャックマン)。貴族の御曹司であった。いずれもアメリカ出身のサンドラとシドニーにコネなどあるはずもなく、どうやって接触するのか悩んでいると、ヴィヴィアンが気を利かせて、ピーターの頻繁に出入りしている会員制プールにゲストとして招いてくれた。
サンドラはピーターの前で溺れたフリをして首尾良く接触に成功する。そればかりかピーターは彼女をパーティーに招待してくれた。シドニーとは親子という設定のもとパーティーに参加したサンドラだったが、ここで思わぬ事態に遭遇する。ピーターは、貴族社会では接することのないタイプのサンドラに品のあるアプローチを繰り返し、対するサンドラも、そんな彼の誠実そうな様に、急速に惹かれてしまったのだ……
[感想]
長年に亘ってハリウッドを舞台に、しかし皮肉の効いた作品を撮り続けてきたウディ・アレン監督だが、これに先行する『マッチポイント』で初めてロンドンに拠点を移した。続く本作でも、舞台はロンドンに設定している。
もともと洒脱な作風で知られるウディ・アレンにはロンドンの風土が肌に合っていたのかも知れないが、本篇でもその持ち味は損なわれていない。基調としていたユーモアが抑え加減となっていた前作に対して、本篇は意識してコメディ・タッチで描写している分、完全にロンドンに拠点を移した、という印象が色濃い。
題材が殺人事件となっているだけに、ミステリ愛好家としては謎解きに期待してしまうのだが、しかし本篇はその意味では少々食い足りない。それは本篇の狙いが真っ当な謎解きよりも、事件を追う人々の不慣れな捜査の滑稽さや、いまいち実態の鮮明とならない容疑者の言動に主人公たちが困惑し右往左往する様を描くことにあるからだろう。もともとがっちりとした謎解き、推理の過程を見せることに重きを置いていないのだ。
そうして眺めたとき、どうやっても核心に迫れないヒロインたちの行動に抱く歯痒さこそ本篇のユーモアの主軸と言えるわけだ。このあたりの身構えを間違えると、本篇は終始乗れなくなってしまう。
観点をそう切り替えることが出来れば、本篇は人物造型からして絶妙だと気づくはずだ。場の勢いであっさりベッドを共にしてしまう娘に、やたら人が善く巻き込まれたというのに一所懸命娘に協力しようとするマジシャン、そして誠実さと軽薄さがない混ざって実像の判然としない貴族の御曹司、この組み合わせだからこそ成立する、ユーモア感覚に満ちたサスペンスが醸成されている。この三者の配役も巧く、実生活でも奔放な振る舞いで知られるスカーレット・ヨハンソンと、ヒーローも悪漢も貴族もアウトローも演じた経験のあるヒュー・ジャックマン、そして両者のフォローをする立ち位置に監督でもあるウディ・アレンというこの配置は完璧と言っていい。
しかし、それを大前提としても、やはりせっかく殺人事件にまつわる謎を用意しているわりにはツメが緩いのが気に懸かる。特にクライマックスでの出来事は、一連の捜査の中で発見されたこと、描かれたことをうまく踏まえてさすが練達の脚本、と言いたいところだが、あまりに登場人物の言動に油断が多すぎて、本当にそういう終わり方でいいのか? という気分になってしまう。最後のどんでん返しはある誤解によって生じるものだが、そこに至る過程で、察知しようと思えば出来たはずであり、そこに緩さを感じてしまう。
ただ、もともとウディ・アレンはそこまで理詰めで決着させたかったわけではないのだろう。そもそも疑惑を齎したのが幽霊である、という出だしから人を食っているし、誤解や明らかに計算ではコントロール出来ない成り行きから導き出された結末は、翻って謎解きにそこまで誠実であろうとする観客にシニカルな笑みを向けているようにも感じられる。そしてそういう味付けこそが、ウディ・アレンのウディ・アレンたる所以に違いない。
コメディとしてもやや緩みがある分、ウディ・アレンの作品として完成度は決して高くはないのだが、しかし洒脱さとバランス感覚の確かさを示した、観ていて心地よい映画である。邦題から想像されるようなガチガチの謎解きものを期待すると駄目だろうが、あくまでウディ・アレンによるサスペンス・タッチのコメディとして観れば、充分に期待に応えてくれるはずだ。
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