『バビロン A.D.』

『バビロン A.D.』

原題:“Babylon A.D.” / 原作:モーリス・G・ダンテック『バビロン・ベイビーズ』(太田出版・刊) / 監督:マチュー・カソヴィッツ / 脚本:マチュー・カソヴィッツ、エリック・ベナール / 製作:イーラン・ゴールドマン / 製作総指揮:アヴラム・ブッチ・カプラン、デヴィッド・ヴァルデス / 撮影監督:ティエリー・アルボガスト / プロダクション・デザイナー:ソーニャ・クラウス、ポール・クロス / 編集:ベンジャミン・ウェイル / 楽曲:RZA&シャヴォ・オダジアン / 音楽:アトリ・オーヴァーソン / 出演:ヴィン・ディーゼルミシェル・ヨーメラニー・ティエリー、ジェラール・ドパルデューシャーロット・ランプリングマーク・ストロングランベール・ウィルソンジェロム・レ・バンナ / 配給:20世紀フォックス

2008年アメリカ・フランス合作 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:林完治

2009年5月9日日本公開

公式サイト : http://www.babylon-ad.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/05/11)



[粗筋]

 各地が放射能汚染され、貧困の蔓延した近未来。

 かつてセルビアと呼ばれた土地に潜伏していた傭兵トーロップ(ヴィン・ディーゼル)のもとに、国際的マフィア・ゴルスキー(ジェラール・ドパルデュー)の使者が現れた。とある少女を、アメリカのニューヨークまで護送してもらいたい。テロリストとしてアメリカを放逐された過去のあるトーロップのために、生体パスポートをかいくぐるためのアンプルまでご丁寧に用意されていた。きな臭いものを感じながらも、祖国に戻り新しい人生を送ることが出来る、という期待から、その依頼を引き受ける。

 最初の移送用の車と共にトーロップが運ばれたのは、モンゴル奥地にある、ノーライト派と呼ばれる新興宗教修道院であった。“荷物”である少女オーロラ(メラニー・ティエリー)の保護者として同行するシスター・レベッカ(ミシェル・ヨー)は粗雑な物言いをするトーロップを警戒し、オーロラを出来る限り俗世間に触れさせないよう注文するが、トーロップは意に介することなく、車を走らせる。

 なるべく足跡を辿られないよう、ロシアとカザフスタンの国境間際でトーロップは車を捨て、電車でベーリング海峡まで移動する手配をした。しかし、国境の駅そばにある市場で、突如オーロラは恐慌状態に陥る。踵を返し、駅から逃げ出したオーロラは、トーロップ立ちに「爆発する」と狂ったように訴えた。トーロップがその意味を理解するより先に、駅から爆風が迸る――混乱する人々のあいだをすり抜け、トーロップは女ふたりを電車に押しこみその場を離れた。

 爆破を“予知”したオーロラとはいったい何者なのか、彼女を狙っているのは誰なのか――トーロップは不審を抱きながら、次なる関門、ベーリング海峡を目指す……

[感想]

 原作は、モーリス・G・ダンテックというミステリ・SF作家の長篇第3作である。フランスでは評価が高く、デビュー作『レッド・サイレン』の映画版は小規模ながら日本でも公開されているのだが、生憎小説は訳出されていなかった。本篇の原作『バビロン・ベイビーズ』は日本公開に合わせて刊行となったが、京極夏彦の妖怪小説を彷彿とさせる厚みがあるため、私はまだ読み終えていない。

 だが、ごく僅かにつまんだだけでも、この映画版が原作の設定やストーリーをかなりいじっていることは想像がつく。そもそもあの尺を僅か90分に詰め込むことが不可能なのは無論、恐らく原作から採り上げたと思しい興味を惹く要素、仄めかした謎が充分機能せず、回収もスマートに出来ていないのだ。

 たとえば、粗筋のあと海を越えての移動の途中で、ある人物がウイルスの存在を仄めかすが、その影響力については一切説明されていない。どんな健康被害があるのか、それについて主人公トーロップたちがどのようなイメージを持っているのか、不明瞭なままになっている。そのため、このウイルスが原因と思われる終盤の出来事について、登場人物と同じ印象や感覚を観客が持ちにくくなっている。

 また終盤で少女の身に起きる出来事の“意義”についても具体的に仄めかしていないので、唐突な印象を与えるのも気になる。そうした描写が最後に辿り着く結論も、一つ一つの要素を掘り下げて可能性を考慮していけば納得はいくのだが、支えている理屈がほとんど示されていないので収まりが悪い。個々のアイディアは一時期持て囃されたものの延長上にあって有り体でも、背景をきちんと観客に伝わるように描いていれば、物語としての膨らみを増したように思えるだけに、もったいない。

 ただし、個々の描写を検証しても破綻しないだけの背景はきちんと築かれているので、荒廃した世界を舞台としたSFならではの退廃的な雰囲気、閉塞感などは濃密に描き出されている。

 きちんと個性が確立した舞台でのアクションはユニークで、見応えも充分だ。廃工場を土台にしたと思しい難民キャンプでは、トーロップたちがバルクール(=身体能力のみで屋根から屋根へ乗り移ったり壁伝いに移動したり、といったパフォーマンスを披露するスポーツ。『007/カジノ・ロワイヤル』やフランス映画『アルティメット』などで見られる)を操る面々に追われる様を縦横無尽のカメラワークで辿り、雪原ではスノーモービル無人戦闘機との壮絶な争いをスピーディに描く。クライマックスではトーロップたちと彼らを追う複数の組織が大都市を舞台に混戦を繰り広げる。いずれもCGはほとんど補助的にしか用いておらず、極力実物で撮影しており、重みがある。

 久々にヴィン・ディーゼルの肉体派にして知性派、というユニークな魅力が遺憾なく発揮されている点にも注目したい。表社会から逐われる立場にありながらも己の倫理を貫く傭兵、という役柄は彼の持つ個性にぴったりと嵌っている。護送する少女に「誰も信用するな」と説きながら、自分自身は札びらをちらつかされても決して靡かない、純粋とも言える側面と、少女達との旅を経て新たな目的を見出し変化していく姿は、彼の知性と本来演技派として注目されたその才能を久々に実感させてくれる。

 美点も多くありながら、それを充分に活かしきれず、90分という尺同様こぢんまりと纏まってしまった感があるのが残念だが、世界観の明瞭で、ハリウッド産の大作SFにありがちな作り物感が薄い、地に足の着いた作りが好もしい好篇である。傑作とは呼べないが、エンタテインメントとして水準はクリアしている。

関連作品:

トリプルX

レッド・サイレン

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