監督・編集:亀井亨 / 原案・脚本:永森裕二 / プロデューサー:森角威之 / 製作:永森裕二、間宮俊二、関佳史、松本宏、青柳洋治、波多美由紀、細井俊介、江副純夫、小川貴史、伊藤明博、曽我勉、岡田修紀 / 撮影監督:中尾正人 / 照明:白石宏明,L.S.C. / 美術:西村徹 / 衣装:永井伸子 / ヘアメイク:河野顕子 / 録音:甲斐田哲也 / 音楽:野中“まさ”雄一 / 主題歌:高橋直純『あの丘へ』 / 出演:佐藤二朗、安達祐実、渡辺哲、高橋洋、志賀廣太郎、角替和枝、渋谷琴乃、佐藤仁美、西田幸治、高橋直純、古館寛治、市野世龍、立花彩野、水野倫太郎、菅田俊、石野真子、笹野高史、藤田弓子 / 配給:AMGエンタテインメント
2009年日本作品 / 上映時間:1時間46分
2009年6月13日日本公開
公式サイト : http://mame-shiba.info/
渋谷シアターTSUTAYAにて初見(2009/07/29)
[粗筋]
芝二郎(佐藤二朗)35歳、職業――ニート。小さい頃から父・良男(笹野高史)の薫陶を受けて、いつしか半径3km程度の世界で生きるようになってしまっていた。主食は“うまい棒”、日がな一日ブログの更新に明け暮れて、ろくに部屋から出て来ない。その日が父親の四十九日であろうと、直前に母・鞠子(藤田弓子)が家出してしまって、親戚だけで法事を切り盛りしている状況であっても、だ。
当の鞠子はどうも壮大な“かくれんぼ”をしているつもりのようで、毎日のように「もういいよ。」というひと言と、ヒントらしき絵を描いた葉書を二郎宛てに送ってくるが、二郎の方はまったく相手にする気がない。
身辺が激変しても一向に腰を上げなかった二郎だったが、しかしそんな彼を叩き起こす、厄介な敵が、ある日突然襲来した。
主食である“うまい棒”を買いに行った帰り、二郎は一匹の豆柴と遭遇する。何故か“うまい棒”に関心を示しまとわりつく犬から逃げた二郎だったが、その犬は何と芝家の軒先にまで現れ、親戚で幼馴染みの財部陽介(高橋洋)が家の中に上げてしまった。ことここに至って、どうやらこの豆柴は母が繰り返し送りつけてきた葉書に記した、彼女を捜す手懸かりのひとつらしいと気づく。葉書によれば、名前は一郎。
母を捜すことどころか、犬を飼うことさえ思いもよらない二郎は、ペットショップに引き取らせようと、意を決して初めての遠出をする。二郎に対応した店員(高橋直純)は、引き取ることは出来ないが、代わりにと、一風変わった合コンを紹介した。何らかの理由があって愛犬を手放さなければいけない飼い主と、どうしても犬が飼いたい人とが顔合わせをするというものだった。
かくして、何年かぶりの遠出ののち、生まれて初めての合コンに臨むことになった二郎だが、この奇縁は彼をどんどん未知の領域へと誘い出していく……
[感想]
本篇は、tvkなど地上波各局で放送された連続ドラマと同題、登場人物も大枠も一致しているようだが、私の観た印象ではドラマ版の中身を無理に知ろうとする必要はない。私自身、ドラマ版の存在を知ったのは映画を観に行くことを決めてからあとのことで、粗筋さえ調べずに劇場に足を運んだが、何の問題もなかった。
むしろ、単純に豆柴という犬種(正式に種類として認められていないようだが、便宜上こう記す)の可愛らしさを堪能したい、と思って観に行くと、意外の念に囚われるだろう。この作品の魅力の核をなしているのは、むしろ主人公の35歳ニートに扮した佐藤二朗の怪演ぶりだ。
佐藤二朗という名前に心当たりはなくとも、その佇まいと表情が印象に残っているという人は多いはずである。『ケータイ刑事』シリーズや『33分探偵』といったテレビドラマにて、実にユニークなキャラクターを体現して、短い時間で視聴者にインパクトを齎すタイプの俳優だ。言ってみれば薬味のような形で存在感を発揮する役者なので、これが初めての主演作品となる。
脇役で登場してもしばしば主役を食うほど肉付けの“濃い”役者なので、考えようによっては扱いづらい人なのだが、本篇の35歳ニート、やたら口が達者でひねくれた性格、しかも仕草や言葉遣いに飛び抜けた特徴のあるキャラクターはやもすると非現実的になってしまいがちだが、これを佐藤が演じると、どこか浮世離れした雰囲気を留めながら「あ、もしかしたらいるかも」という手触りを感じさせる。要所要所で見せるマメシバの可愛さも強烈だが、本篇の魅力は佐藤二朗が演じる“芝二郎”というキャラクターがそれに並ぶことで成立しているのだ。
家の周囲、半径3km程度の世界で生きてきたニートが、親という庇護者を失ったあと、母親と子犬の導きで遠出をするようになり、やがて少しずつ世の中と折り合いをつけていく――というのが本篇の骨子なのだが、正直なところ全般に話が都合よく進みすぎているきらいはある。作中で生後2ヶ月ぐらい、と指摘されている小さな犬が、ああも周囲の思惑通りに動いていることが変だし、それ以前に主人公自身が、粗筋のあとで知り合う可蓮(安達祐実)という女性の手助けがなければ、恐らくは郷里から出かけるだけでこの倍ぐらいの時間を費やしかねなかった。
だが、それがなんとなく、こうなっても不思議ではないかな、と受け入れてもいいような気分にさせられるのは、突出した主人公のキャラクターを軸に築きあげられたユーモアに、はみ出した人々への優しい眼差しや、停滞した状態から少しでも脱却しようとする前向きさが滲んでいるからだろう。それが最も如実に浮き彫りとなるのは、初対面から間もなく主人公の理解者となる可蓮が、自らの過去と後悔、何故二郎に同調したのかを告白する場面であるが、コミカルな会話や表情のやり取りにも、そこに至る伏線が丁寧に張り巡らせてあるから、いささか御都合主義に思えても、物語の流れに違和感を抱かせない。登場人物の優しさ、暖かさがそのまま物語の説得力に繋がっているのである。最終的に、個性を残したまま彼なりの成長を遂げた二郎が、ちょっと格好良く映ってしまうのだから、ただ事ではない。
主人公・二郎の被害妄想の描き方やカメラアングルの工夫など、表現の部分で凝らされた趣向も多く、映画好きのツボを巧みにくすぐってくる。仮にマメシバ目当てで劇場に足を運んだ人も、佐藤二朗という俳優の主演作という部分に注目した奇特な人も、決して大きな不満を抱くことはないだろう。正直に言って、とても意外な良作であった。
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