監督・脚本・企画:長江俊和 / プロデューサー:春名剛生(フジテレビ)、角井英之 / 撮影監督:平尾徹 / VE:名取征 / 編集:山下直哉 / 音響効果:尾形香 / 出演:和田秀樹 / ナレーター:鈴木ゆうこ / 制作:フジテレビ、イースト / DVD発売元:Pony Canyon
2006年日本作品 / 上映時間:46分
2006年10月15日フジテレビ系列にて放映
2008年8月20日DVD最新盤発売 [bk1/amazon]
DVDにて初見(2009/08/03)
[粗筋]
2004年10月から約1ヶ月半のあいだ、スタッフは長野県の山奥にある、“しじんの村”というコミュニティを取材していた。ここは“しじん”の号で詩を著す主催者・久根仁が中心となり、自殺志願者や、社会に適応できなくなった人々が集まり、その社会復帰を促すために共同生活を送る場所であるという。
多くの人の社会復帰を実現してきた“しじんの村”であるが、それでも生きる意欲を取り戻すことが出来ず、自殺する人、失踪する人は少なからずいるという。取材中にも、緊迫するひと幕が繰り広げられた。住人のひとり、通称“ハニコ”が首吊り自殺を図ったのである。
“ハニコ”は母が早逝したのち、父の暴力に苦しめられていた。長年、姉と共に耐え続けていた“ハニコ”であったが、父の死後、“ハニコ”の姉は自殺未遂を繰り返すようになり、1年前にこの“しじんの村”に入居した。しかし半年後、姉は自殺を遂げ、苦しんだ挙句に“ハニコ”は同じ場所で死ぬことを望んだのである。
大事には至らなかったが、“ハニコ”は以後もふさぎ込み、人前に姿を現さなくなった。住人たちはそんな彼女を救おうと手を差し伸べる。やがて彼女の心に光明を齎したのは、“ハニコ”の姉のこともよく知っている、あるひとりの住人であった……
[感想]
最近半ば躍起になって追いかけているこのシリーズ、テレビの深夜帯に突発的に放送されている作品としては異例なほど――いや、そういうイレギュラーな時間帯に仕掛けているからこそ、かも知れないが――凝った作りが評判を呼び、都合6作に劇場版2作が製作されるほどのヒットに繋がったのだが、私は本篇の選択したフェイク・ドキュメンタリーという方式と、作中にあからさまなヒントを鏤めて不穏な“真相”を仄めかすゲーム性とがうまく調和しきれず、後者が前者のリアリティを損ねていることを勿体なく思っていた。
だが、本篇はシリーズの持つゲーム性が、これまでに較べると幾分かリアリティを保つことに成功しており、その意味で私が観た作品の中ではいちばん納得のいく仕上がりだった。あくまで比較問題であり、手懸かりの組み込み方が不自然な印象は拭えないのだが、不遜に思えるほどあからさまにヒントを提示しているため、却って気づきにくく、ラストで真相が仄めかされた瞬間の違和感、そして真実に気づいたときの驚きをうまく膨らませ、印象的なものにしている。
先行作では、そもそもドキュメンタリーという形でカメラが入っていることが不自然と思われる状況が多かったが、本篇はその欠点もある程度克服しているのも好感触である。取材が入っていたからこそああした奇妙な場面が記録した、と思われるので、仄めかされたヒントがドキュメンタリー映像という趣向と矛盾していない。
しかし、惜しまれるのは、視聴者に真相が仄めかされるくだりの表現そのものが、折角ギリギリで保っていたリアリティを損なっていることである。終盤の映像については途中で伏線が張られていたが、あの表現からすると、本来スタッフが発見できた可能性は低いはずなのだ。この部分にだけは、もう少しだけ工夫が欲しかったように思う。
途中で提示されるヒントだけではなかなか真相を見抜きにくく、かつエピローグ部分であらかた説明してしまっている作りは、2作目のように、多少リアリティを犠牲にしても、解き明かす楽しみを味わえるほうがいい、という向きには恐らく不満であろう。しかし、立て続けに観てきた私が覚えていた不満をある程度解消しており、シリーズを継続していくうえで少しずつ研鑽を重ねてきたことを窺わせる、私にとっては好感の持てる1篇であった。――その真相は陰鬱なものだが。
関連作品:
『放送禁止』
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