原題:“Cannibal Holocaust” / 監督:ルッジェロ・デオダート / 脚本:ジャンフランコ・クレリチ / 製作:ジョヴァンニ・マッシーニ / 撮影監督:セルジオ・ドフィッツィ / プロダクション・デザイナー:マッシモ・アントネーロ・ジェレング / 編集:ヴィンチェンツォ・トマッシ / 特殊効果:アルド・ジャスパーリ / 音楽:リズ・オルトラーニ / 出演:フランチェスカ・チアルディ、ルカ・バルバレスキー、ロバート・カーマン、ペリー・ピルカネン、サルヴァトーレ・ベイジル、リカルド・フュエンテス、ガブリエル・ヨーク、パオロ・パオローニ、ピオ・ディ・サヴォイア、ルイジアナ・ロッシ / 配給:20世紀フォックス / リヴァイヴァル公開配給&映像ソフト発売:JVD Entertainment
1981年イタリア作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:?
1983年1月日本公開
2008年9月13日日本リヴァイヴァル公開
2009年5月15日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
DVDにて初見(2009/10/25)
[粗筋]
“緑の地獄”と呼ばれる地域には、人肉食を習慣とする複数の部族が暮らしている。その実態を取材するべく、若いスタッフで構成された撮影班が現地に赴いた。ドキュメンタリー作家のアラン・イェーツ(ガブリエル・ヨーク)を頭に、スクリプト担当のフェイ・ダニエルズ(フランチェスカ・チアルディ)、そしてカメラマンであるジャック・アンダーソン(ペリー・ピルカネン)、マーク・トマソ(ルカ・バルバレスキー)の4名である。
フェリーペ(リカルド・フュエンテス)というガイドを伴っての勇ましい旅立ちから2ヶ月、しかし彼らはそれ以来、消息を断っていた。大学とテレビ局が共同出資して捜索隊を派遣することを決定、原始文化の専門家であるハロルド・モンロー教授(ロバート・カーマン)を送り出した。
折しも現地の軍が食人族の一部と接触、捕らえた男がライターを身に着けているのを発見した。案内を請うために基地を訪ねたモンロー教授は、そのライターがフェイの持ち物であることを確認して慄然とする。
軍に紹介されたガイド、チャコ(サルヴァトーレ・ベイジル)と共に“緑の地獄”へと分け入っていったモンロー教授はやがて、4人の若者の死と、彼らが残したテープの存在を確認する。その結果、世界はあまりにもおぞましい現実を目の当たりにすることとなる……
[感想]
私の記憶違いかも知れないが、大ヒット作『ブレアウィッチ・プロジェクト』が製作されるより以前に日本で『邪願霊』を発表した小中千昭は、更に早くこのアイディアに先鞭をつけた作品として、本篇を挙げていた。但し、純粋にドキュメンタリーの形式を貫いていたわけではないが、と言い添えた上で。
実際、登場するキャラクターが自ら構えたカメラで撮影した映像を作品に用いる、という趣向を、1981年の時点で盛り込んでいた本篇はかなり画期的な代物だっただろう。その方法と可能性に気づいたクリエイターの努力が、近年になって陸続とフェイク・ドキュメンタリー方式での映画が製作される端緒となっていたのは間違いないように思う。まだ手法が確立されていない段階とは信じがたい、禍々しいまでのリアリティが本篇には漲っている。
しかし、本篇はその先進性を評価出来る一方で、ある意味昔の映画らしい純粋さと過剰さがどうしようもなく鼻につく出来ともなっている。
先に本篇のリアリティを評価したが、この作品でリアルと感じられるのは終盤、死んだ若者たちが撮影した映像ぐらいのもので、過程はあまり真に迫った感じはない。如何にも古い映画らしい芝居臭さ、やり取りやカメラワークのわざとらしさが随所に目につく。密林に潜入する捜索隊たちよりも先に奥に入っているカメラや、カメラの横に向かって発砲する姿などは、どう贔屓目に見ても古い秘境探検映画の域を出ない。若者たちの死を確かめ、フィルムを回収したのち、若者たちの周囲の人々にインタビューを試みる場面や、少しずつ修復、現像されるフィルムの中身を確かめて顔を顰める場面なども、あとの展開のために無駄にはならないのだが、間の取り方やカメラ位置の不自然さがどうしても気になってしまう。
また、あちこちで言われていることだが、どうも全般に行きすぎた趣向が多いのも引っ掛かる。言ってみれば“やり過ぎ”ということ自体が作品のテーマになっている本篇だが、それを表現するための手法自体に過剰のきらいがあるのは、さすがに悪趣味のそしりを免れまい。
そうした表現的な節度の乏しさ、グロテスクな色遣い、扇情的な描写の数々のせいで解りにくくなっているが、実は構成自体は非常に巧みだ。序盤のわざとらしい、有り体の秘境探検ドラマめいたパートが、終盤のドキュメンタリー的な作りにリアリティを付与していることもそうだし、最初に撮影班の行方を探す教授たちの目撃したものや、原住民と対峙したときの彼らの行動が、ドキュメンタリー部分で描かれる出来事の布石となり、或いは観客が抱く激しい不快感の源泉となっていることに注意していただきたい。恐らくあの部分がなければ、ただ悪趣味、というだけで、それが不快感や、“あまりに過剰すぎる”という印象に連携していくことはなかっただろう。少なくとも本篇は、意図した通りの感情を観客が抱くように仕向け、間違いなく成功しているのだ。手法としての先進性もそうだが、狙った表現がきっちり正鵠を射ていることはやはり評価すべきだろう。
だが、如何せん動物を本当に殺しているかのような映像は現代の価値観からすると受容しがたいし、古い作品だという大前提があっても、もう少し控えるべきだった、という批判は免れまい。これでは、作品自体が諷刺しているものを、何よりも象徴的に具体化しているのは、他でもないこの作品自体である――というややこしい状態になってしまっている。そのせいで、ごく限られた好事家にしか受け入れられにくい仕上がりになったことは、製作者の大きなミステイクだろう。
30年近い時を経たいまでも観るべきところはある、と思うのだが、観る側の不快感に釣り合うほどの感興を得られるか、というと「ん〜」と首を傾げるほかない。何とも悩ましい作品である。結局のところ、ある意味で“趣味が悪い”人にしかお薦めしづらい作品だ。
関連作品:
『サンゲリア』
『邪願霊』
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