『インビクタス/負けざる者たち』

『インビクタス/負けざる者たち』

原題:“Invictus” / 原作:ジョン・カーリン / 監督:クリント・イーストウッド / 脚本:アンソニー・ペッカム / 製作:ロリー・マクレアリー、ロバート・ロレンツ、メイス・ニューフェルド、クリント・イーストウッド / 製作総指揮:モーガン・フリーマン、ティム・ムーア / 撮影監督:トム・スターン / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・J・ムラカミ / 編集:ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ / 衣装:デボラ・ホッパー / 音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス / 出演:モーガン・フリーマンマット・デイモン、トニー・キゴロギ、パトリック・モフォケン、マット・スターン、ジュリアン・ルイスジョーンズ、アッジョア・アンドー、マルグリット・ウィートリー、レレティ・クマロ、パトリック・リスター、ペニー・ダウニー / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros.

2009年アメリカ作品 / 上映時間:2時間14分 / 日本語字幕:松浦美奈

2010年2月5日日本公開

公式サイト : http://www.invictus.jp/

東京厚生年金会館にて初見(2010/01/28) ※試写会



[粗筋]

 1990年に、27年という長い投獄生活から解放された南アフリカの反アパルトヘイト活動家ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、1994年の選挙によって黒人として初めて南アフリカ共和国大統領に就任した。

 黒人たちは晴れてアパルトヘイトの軛から脱したが、しかし少数の白人社会による彼らへの弾圧は、深い溝を残している。マンデラ大統領はその溝を埋めることこそ、指導者として自らに課せられた使命と捉え、啓蒙と意識改革のための策を講じた。

 大統領府の職員は、どうしても一緒に働くことが出来ない、という者を除いて留任を要請した。かつての黒人支持者によって構成されたSPから人員不足の相談を受けると、マンデラ大統領は公安から補充を行う――つまり、白人を起用した。自らの周囲に黒人と白人を揃えることで、融和の姿勢を強調しようとしたのだ。

 だが、見た目に配慮し、身辺の雇用でバランスを保つだけでは、国民たちのあいだに深く開いたままの溝を埋めることは出来ない。そこでマンデラ大統領は、スポーツに着目した。

 南アフリカ共和国には“スプリングボクス”の愛称で呼ばれるラグビー・チームが存在する。アパルトヘイト政策への制裁として長年国際試合を禁じられていた南アフリカでは、マンデラの大統領就任翌年にワールドカップが開催されることが決定されていたが、白人だけが応援し、黒人は相手チームを応援する、という風潮が未だ国内に蔓延していた。

 すべて黒人で占められたスポーツ協会の会員たちからはチーム名、ユニフォームの変更が提言されたが、マンデラ大統領は会議の場に駆けつけ、説き伏せて撤回させる。彼は、かつて憎悪の対象であったスポーツを介して、国民の中に一体感を生み出すことを目論んでいたのだ。いささかの不満は禁じ得なかったが、協会はマンデラ大統領の説得に応じ、チーム名、ユニフォームの変更を取り止める。

 ついでマンデラ大統領は、スプリングボクスのキャプテンであるフランソワ・ピナール(マット・デイモン)をお茶に招いた。スポーツ協会の時のようにマンデラ大統領は彼に信念を説き、来たるワールドカップでの優勝を請う。

 専門家は、せいぜい準々決勝止まりだ、と語る。だが、マンデラ大統領は信じていた――信念が、奇跡を起こすこともあり得る、と。

[感想]

 ここ数年、クリント・イーストウッド監督の作る映画にはハズレがない。本篇もまた、驚くほどの質の高さを示している。

 実話に取材したこの作品は、だが実のところ、決して派手でもなければ、ドラマとしての密度もあまり高くない。こうした“奇跡”や“感動”を予感させるドラマにありがちな、大いなる障害が立ちはだかることもないし、過剰に落涙を煽るような場面も設けていない。

 だが、それにも拘わらず、気づけば惹きつけられ、最後には静かな感動に打ち震えてしまう。それは、映画という手法を熟知した、落ち着きのある画面作りと、登場人物の表情を繊細に押さえていく演出に起因している。

 観客の意識がどこに行くか、ということを考慮した上で組み立てられたカメラワークは、ナレーションやテロップの助けを借りることなく、充分な情報を観る側に齎し、説明は少ないのに理解がしやすい。この巧さが何よりも奏功しているのは、名前も出て来ない人々を用いて描き出された、黒人と白人とが距離を狭めていく過程の部分である。当初はアパルトヘイト時代の遺恨を引きずって白人への憎悪を剥き出しにする黒人たちに対し、かつての差別意識と現在の卑屈な感情の狭間で険悪な態度を取る白人たち、という図式が根強く残っていたものが、マンデラ大統領や、フランソワ・ピナールを中心とするラグビー・チームの活躍により、少しずつ融和していく。その過程を描く筆捌きが実に見事だ。

 それぞれのモチーフはオーソドックスだが、配置が絶妙なのである。一方の主人公であるフランソワの父親はアパルトヘイト時代の偏見を引きずる白人だが、家でずっと雇っている黒人の家政婦に対する言動の変化が、彼らの意識の変化を明瞭なものにしている。クライマックス、試合の行われている競技場の外で繰り広げられるひと幕は、感動に快い笑いを添えることにも成功している。

 だが何より出色なのは、作中でいちばん最初に手がつけられる、マンデラ大統領のSPたちである。初めて顔を合わせたときの双方剥き出しにした敵意の鋭さが、以降のぎこちないやり取りで少しずつ緩み、いつしかはっきりとした仲間意識を見せていく姿は、定番だがまったくそつがなく、主題を効果的に剔出している。会話の内容や、大統領の移動をカヴァーしている車の中での様子など、注目するとその意識の変化が克明に伝わるのだ。本篇のテーマを誰よりも具現化しているのはこのSPたちだ、と言っても過言ではないと思う。

 無論、彼らに影響を与え、動かしていくメインふたりの存在感も素晴らしい。実際のマンデラ大統領より大柄で、特徴的な容貌ゆえにイメージの大いに異なるモーガン・フリーマンだが、そういう差違をいつの間にかまったく意識させないほど、“優れた指導者”になりきっているのはさすがである。フランソワ・ピナールという人物は、父親がかなりの差別主義者として極端に描かれているのに較べると、格別な主義主張もなく、スポーツの才能以外に突出したものは見受けられないが、いちどお茶に招かれ話をしただけのマンデラ大統領に感化され、チームとしての成長と意識改革に貢献する。重要だがフックがないためにやもすると空気になりかねない人物像に、誠実な演技と存在感が光るマット・デイモンが説得力をもたらしている。本篇において、知名度の高い俳優といえばこのふたりだけだが、彼らがきっちりと軸となることで、多くの無名の俳優、人物たちが活きているのは間違いない。

 ドラマ的な派手さがないにも拘わらず高い牽引力を維持し、クライマックスには静かだが深く、快い感動を与える。映画を知り尽くした監督とスタッフだからこそ成し得た、まさに珠玉の1篇である。今後、クリント・イーストウッド監督の撮る映画にハズレはない、と断言してもいいかも知れない。

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