原題:“Boogeyman 3” / 監督:ゲイリー・ジョーンズ / 脚本:ブライアン・シーヴ / 製作:ジェフリー・ビーチ、アンドリュー・フェッファー / 製作総指揮:ジョセフ・ドレイク、スティーヴ・ヘイン、ロバート・G・タパート / 撮影監督:ロレンツォ・セナトーレ / プロダクション・デザイナー:ボビー・ミカイロフスキ / 編集:ジョン・クイン / 音楽:ジョセフ・ロドゥカ / 出演:エリン・ケイヒル、チャック・ヒッティンガー、ミミ・マイケルズ、マット・リッピー、ジェイン・ワイズナー、ケイト・メイバリー、トッド・ジェンセン、ニッキ・サンダーソン / 映像ソフト発売元:GENEON UNIVERSAL ENTERTAINMENT
2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:?
2009年10月2日DVD日本盤発売 [amazon]
DVDにて初見(2010/04/03)
[粗筋]
ヒルリッジ・クリニックで発生した凄惨な殺人事件で死亡したアレン医師の娘オードリー(ニッキ・サンダーソン)は、自宅で父の日誌を発見した。そこには、彼が患者たちの語る都市伝説上の化物“ブギーマン”について、ある大胆な仮説を抱いていたことが示唆されていた。そしてその夜、自宅でひとり休んでいたオードリーは、謎の影の襲撃を受ける。
ウルフブリッジ大学で臨床精神医学科の学部長であるケーン医師(マット・リッピー)と共に学内ラジオ局でパーソナリティを務めているサラ(エリン・ケイヒル)のもとを、深夜オードリーが訪ねてきた。すっかり怯えきった彼女は、“ブギーマン”が父を殺し、次に自分を狙っている、と訴える。サラは恐怖のあまりの妄想に過ぎない、と諭すが、オードリーの恐怖は拭いされない。
自身が担当するラジオ番組のため、大学寮の自室にオードリーを残して放送局に向かったサラだが、相談希望のリスナーとして電話をかけてきたオードリーの異様な口振りに不安を催し、番組をケーン医師に任せて寮に舞い戻る。そこで目撃したのは――異様な化物に首を絞められ悶絶する友人の姿であった。
しかし、サラの悲鳴を聞きつけてやって来た人々の目の前にあったのは、首を吊って息絶えたオードリーの死骸。サラの見た“何者か”の姿は掻き消えていた。自分が目撃したものはいったい何なのか――サラがその疑念を突き詰めているあいだに、大学寮では異様な出来事が陸続と発生する……
[感想]
アメリカでは定番の化物、“ブギーマン”を題材としたシリーズの第3作――だが、このシリーズはどうも歪だ。
第1作からして、“ブギーマン”という化物の特性をあまりに大きく解釈しすぎたうえ、ルールの設定も曖昧にしてしまい、怖さのツボも驚きのタイミングも外してしまった感があった。第2作ではそれを反省したのか、同じ“ブギーマン”と言いながら恐怖の組み立て方も驚きの仕掛け方も大幅に変更している。ただ、切り替えたはいいが、演出の仕方や伏線の組み立てが不自然で、けっきょく失敗作になってしまったきらいは否めない。
それらを踏まえて登場した第3作では、恐らく両者の好評を博した部分を拾い、結合することを試みたのだろう。第2作ではわざと曖昧にしていた超自然的な要素をかなり克明に描く一方で、第2作の美点であったストーリー的なひねりを加えている。
そういう意味で、発展的な思考は評価したいのだが、生憎それらを活かすための練り込みが浅く、作品そのものの評価を高めるに至っていない。
超自然的な怪異が何故起きるのか、を推測し、それに基づきクライマックスで繰り出される“どんでん返し”とも言えるアイディアそのものはなかなか悪くない。ただ、それを登場人物に実感させるような根拠がきっちりと提示されていないので、効果を上げていない。こういう仕掛けならば、もっと多く伏線を織りこんでおくべきだっただろう。
しかし本篇の場合、そのうえクライマックスでのそうした推論を否定するような出来事が描かれてしまっているのがさらに問題だ。もしかしたら製作者の側では何らかの解釈を用意しているのかも知れないが、こういうサプライズを主体にしたホラーで、観る側の気分に棘を残すような仕掛けや描写をしてしまうのは明らかなマイナスだろう。
各個の出来事のあいだに明確な脈絡が見いだせないのも、観る側としては否定的な印象を抱く原因となってしまっているが、怪奇現象ひとつひとつの趣向や表現力は優れている。特にコインランドリーでのひと幕は、なぜあの状況で、あんな形で、という疑問はあるものの、映像としてのインパクトはなかなか凄まじい。
アイディアも意欲も悪くない、技術力自体にも光るものを見いだせる。それだけに、練り込みの浅さ故の粗ばかりが目立っているのがやたらと惜しまれる作品である。これを愉しむためには、よほどの寛容さか、大らかさが必要になるように思う。
関連作品:
『ブギーマン』
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