『ターンレフト ターンライト』

ターンレフト・ターンライト 特別版 [DVD]

原題:“向左走、向右走” / 原作:ジミー・リャオ『Separate Ways 君のいる場所』(小学館・刊) / 監督&製作総指揮:ジョニー・トー、ワイ・カーファイ / 脚本:ワイ・カーファイ、ヤウ・ナイホイ、オウ・キンイー、イップ・ティンシン / 製作総指揮:キャサリン・チャン / 製作:ダニエル・ユン / 撮影監督:チェン・チュウキン / 美術:エレイン・チュー / 編集:ロウ・ウィンチョン / 衣装:スティーヴン・サン、ステファニー・ウォン / 音楽:ベン・チャン、チュン・チーウィン / 出演:金城武、ジジ・リョン、エドマンド・チャン、テリー・クワン / 銀河映像(香港)有限公司製作 / 配給:Warner Bros.

2002年香港・シンガポール合作 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里

2004年10月30日日本公開

2005年3月4日DVD日本盤発売

2009年7月22日DVD日本最新盤発売 [amazon]

DVDにて初見(2010/04/12)



[粗筋]

 ジョン(金城武)は駆け出しの音楽家。ヴァイオリンの腕は決して悪くないが、不器用さが災いして、レコーディングのサポートや、レストランでの演奏で糊口をしのいでいる。

 イヴ(ジジ・リョン)はやはり駆け出しのドイツ語翻訳者。出版社からの依頼で娯楽小説の翻訳を手懸けているが、本当にやりたいのは詩の翻訳である。だが、生来のおっちょこちょいが災いしてミスを重ね、伸び悩んでいる。

 当人たちは未だ気づいていないが、このふたりは運命が結びつけていた。ある日、公園の噴水にイヴが原稿を散らかしてしまい、近くにいたジョンが拾うのを手伝う。原稿が乾くのを待つあいだ、楽しいひとときを過ごし意気投合したふたりは、学生時代の淡い想い出を語り合う。

 それは修学旅行のときの話。ジョンはやはり、池に原稿を落としてしまった少女を見つけ、拾うのを手伝った。ジョンは彼女に一目惚れしたが、まだまだずっとウブだった彼は話しかけることが出来ずにいた。帰りの電車、もうここで降りる、というところで少女のほうから電話番号を訪ねてきて、彼はかかってくることを楽しみにしていたが、それっきり音沙汰はなかった――

 その話を聞いてすぐに、イヴはある数字を口にする。それは学生時代、ジョンの制服の胸許に刺繍されていた学籍番号だった。つまり、あのときの少女はイヴだったのである。彼女もまたジョンに一目惚れをしていて、何とかお礼を言おうと話しかけるタイミングを窺ううちに、降車駅が近づいてしまった。慌ててどうにか番号だけ聞き出したものの、当時からおっちょこちょいだったイヴは、番号のメモを仕舞った鞄ごと電車に忘れてしまったのである。

 この再会は運命だった、とふたりが確信した直後、思わぬ大雨と、逢いたくない人々との遭遇で、ふたりは慌ただしく電話番号だけ交換して別れる。

 しかし、運命はふたりに対してかなり意地悪だった。メモは濡れてしまい、番号はもはや読み取れないほど滲んでいた。この日からふたりは、お互いを捜し求めて、様々な手段を講じはじめる。

 ……壁1枚挟んだ隣に暮らしているなどとは、つゆほども思わずに。

[感想]

 虚構が絵空事で何が悪いのか、と思うことがたまにある。作中の描写が矛盾を来す、という意味合いのリアリティの欠如(整合性の欠如、というべきだが)が批判されるのは当然だと思う――ごく稀に、そういう破綻に面白さを感じることの出来る作品もあるだろうが、特例なのでこの場ではひとまず考慮しない。だが、作中で整合性を保った範囲で描き出される非現実的な出来事、まさに絵空事としか呼びようのないシチュエーションは、むしろ虚構として一番楽しい要素ではないか。

 本篇はそういう意味で、まさに虚構らしい虚構である。ここまであり得ない、現実に起きるとは考えにくい物語も滅多にない。

 出逢ったときと同じような状況で再会する、というような偶然ならたまにはあるだろう。近くに住んでいて、生活圏が一致していながらろくに顔を合わせない、という状況は、咄嗟に納得しがたく思えるが、案外普通の話である。しかし、このふたつのあわせ技となると、さすがに冗談だろ、という印象を抱く。

 だが、それを大前提に、さまざまなシチュエーションやエピソードを組み立てていく、となれば話は別だ。当時者たちは自分達の、非常識なまでにドラマティックな関係になかなか気づかないが、眺める側としては、どうしてここですれ違う、と笑わせ、何で気づかないんだ、とやきもきさせられる。こういう感覚は、虚構だからこそ楽しめるものだ。本篇はそういう面白さを限界まで追及している。

 とはいえ、ちょっと行き過ぎではないか、と思う部分もある。最も顕著なのは、中心となる男女に横恋慕するふたりの人物像だ。確かに物語の進行上、この横恋慕するふたりの存在は重要なのだが、キャラクターが過剰に鬱陶しい。普通に行動のひとつひとつに苛立たされるし、一部の行為はどー考えても犯罪の領域に踏み込んでいる。恋は盲目、という言葉を体現した人物像、とも言えるが、このふたりの場合、自己愛の延長上で恋をしている、と思える描写が多いこともあいまって、メインふたりが相手に寄せる切ない想いと呼応せず、妙な不協和音を奏でてしまっている。

 ただ、脇役があまりに共感や同情を招くような恋模様を描いてしまうと、偶然や過剰な運命で演出された主人公たちの恋愛に、不公平なものを強烈に感じさせる弊害をもたらす。加えて、この脇役ふたりのキャラクターは、香港映画ならではのユーモアを、この強烈にファンタジックな物語に添える役割を果たしている。鼻につくほど鬱陶しいが、彼等もまた、この物語の本質的な面白さを、観客に堪能させるための重要なパーツと言えるのだ。

 あり得ないほどの悲運の果てに、遂に邂逅する場面など、そんなんありか、と開いた口が塞がらないほどの非現実的な代物だ。だが、ここまで盛大なすれ違いを続けたふたりの“再会”は、あのくらい劇的なほうが相応しい。

 とことんフィクションであることに淫し、ファンタジーであることさえも許容してしまった、ある意味では究極の1本である。私がこう力説したところで、あまりの非現実的な成り行きに拒否反応を示す人は少なからずあるだろうし、そう感じてしまうことを否定はしないが――どうせならこのくらい盛大なホラ話をとことん楽しんでしまった方が、人生は幸せだと思う。

関連作品:

エレクション〜黒社会〜

ウォーロード/男たちの誓い

レッドクリフ PartI

レッドクリフ Part II―未来への最終決戦―

K−20 怪人二十面相・伝

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