原題:“London” / 監督・脚本:ハンター・リチャーズ / 製作:アッシュ・R・シャー、ボニー・ティマーマン / 製作総指揮:デヴィッド・ヒラリー、ティモシー・ウェイン・ピーターネル / 撮影監督:ジョー・ウィレムズ / プロダクション・デザイナー:エリン・K・スミス / 編集:トレイシー・ワドモア=スミス / 衣装:ローナ・メイヤーズ / キャスティング:スティーヴン・ヴィンセント / 音楽監修:グレッグ・ダニーライシン、ジェリー・キュアラー / 音楽:ザ・クリスタル・メソッド / 出演:ジェシカ・ビール、クリス・エヴァンス、ジェイソン・ステイサム、ジョイ・ブライアント、アイラ・フィッシャー、デイン・クック、カット・デニングス、ネッド・ベラミー、ケリ・ガーナー、ジェフ・ウルフ、ジュリエット・マーキス、リーリー・ソビエスキー、ポーラ・パットン、ソフィー・モンク / 配給:Sony Pictures Entertainment
2005年アメリカ、イギリス合作 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:篠原有子
2006年4月26日DVD日本盤発売
2009年12月2日DVD日本最新盤発売 [amazon]
DVDにて初見(2010/05/15)
[粗筋]
その話を知らされたとき、シド(クリス・エヴァンス)は荒れた。ロンドン(ジェシカ・ビール)がこの街を出て行く、というのだ。彼女がシドの部屋を去ってから半年、既に電話は解約されており、話を聞いたその夜、送別会を開くという。
パーティに潜りこまなければ、と思っても、わだかまりを多く残したまま別れたロンドンのもとをひとりで訪ねる勇気が湧かない。シドはちょうどその夜、ドラッグを譲ってもらうために会ったベイトマン(ジェイソン・ステイサム)という男を誘い、送別会の開かれるレベッカ(アイラ・フィッシャー)の部屋に赴いた。
だが、それでもなお、人々の前に顔を出す気になれないシドは、アパートの大きな洗面所でベイトマンの所持していたドラッグを広げ、別のパーティを開催する。本業は為替ディーラー、と語るベイトマンの饒舌さに触発されるように、シドは自分とロンドンの日々を告白するのだった……
[感想]
邦題を見ると、何やらエロティックな話のように思える。劇場未公開となった作品だが、実際にDVDはエロティック・サスベンスのような扱いで売られている。
だが、本篇にはあまりそんな描写はない。一部、性行為を描いてはいるがごく軽く、これで興奮できるのははっきり言って十代の男ぐらいだと思う。それどころか、話の大半はゴージャスなトイレで、主に男二人がドラッグをキメ、語り合っているだけだ。題名や売り文句で妙な期待を抱いてしまった人は相当に肩透かしを食うだろうし、内容的にも失望を禁じ得ないと思われる。
本篇はエロティックさや背徳感を描いたものではない。むしろ長く関係を続けてきた男女が、想いを振り切るまでを描いた、ある意味では純粋な恋愛ドラマだ。登場人物のほとんどが特に罪悪感もなくドラッグを用い、性や恋愛観について得々と語っている、という部分は正統派の恋愛物と一線を画しているものの、他人の言葉や語るエピソードに触発されてシドがロンドンとの想い出を振り返り、他人との議論でシドが決心を固める、という経緯は、解体してみるとごくストレートだ。本篇はそれを、細かな配慮によって組み立てられた会話と、テンポよく現在と過去とを行き来する編集で幾分複雑に、凝ったふうに見せている。
表面上は無意識に無自覚にドラッグを扱っていることや、やたらセンスよく見せかけているように映ることが苛立たしく感じられる可能性は高いが、しかしそれもこれも、一つの文化や価値観を敢えて批判することなく捉えているに過ぎない。男ふたりがいるところで平然と小用を足してしまう女性の姿や、ベイトマンが語る特殊な嗜好の人々を対象にした性風俗の体験談のほうが、考えようによってはドラッグよりも衝撃的だ。
そうして解釈してみると、本篇はやはり快楽自体が主題ではなく、ある恋人同士がすっかりもつれてしまった関係を解き、新しい生活に向かうまでを、彼らが身を浸す文化と共に描いた、恋愛ドラマであり、少し遅い青春ドラマなのである。その発想や組み立てはむしろ文芸的なのだが、日本における売り方を差し引いても、映像のセンスや扱う文化などに軽薄さが色濃く滲んでしまっているのが問題なのだろう。
……まあ、仮に高尚さを装ったとしても、決して奥深い内容ではない。とはいえ、批判するのではなく、ある文化を素直に描き、そこで繰り広げられる男女の恋愛の機微を描いた作品として決して悪い出来ではないので、色眼鏡で見ない――というよりは、妙な夾雑物に惑わされないよう、別の色眼鏡をかけた上で観るべきかも知れない。
関連作品:
『セルラー』
『ステルス』
『バンク・ジョブ』
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