『十三人の刺客』

『十三人の刺客』

原作:池宮彰一郎 / 監督:三池崇史 / 脚本:天願大介 / 撮影監督:北信康 / 照明:渡部嘉 / 美術:林田裕至 / 装飾:坂本朗、窪田治 / CGIプロデューサー:坂美佐子 / 編集:山下健治 / 衣装:澤田石和寛 / スタントコーディネート:辻井啓伺 / 人物デザイン:柘植伊佐夫 / 録音:中村淳 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:遠藤浩二 / 出演:役所広司山田孝之伊勢谷友介沢村一樹古田新太高岡蒼甫、六角精児、浪岡一喜、石垣佑磨近藤公園窪田正孝伊原剛志松方弘樹吹石一恵谷村美月斎藤工阿部進之介内野聖陽光石研岸部一徳平幹二朗松本幸四郎稲垣吾郎市村正親 / 制作:セディックインターナショナル / 配給:東宝

2010年日本作品 / 上映時間:2時間21分 / PG12

2010年9月25日日本公開

公式サイト : http://13assassins.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2010/09/25)



[粗筋]

 江戸時代末期、江戸幕府老中・土井大炊頭利位(平幹二朗)耶識の前で、明石藩家老・間宮図書(内野聖陽)が一通の訴状を前に切腹して果てた。間宮が求めたのは、現明石藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)の処罰である。

 現将軍の腹違いの兄弟であり、養子となって明石藩を継いだ斉韶は、極めて残忍な性分の持ち主であった。先の参勤交代で尾張藩木曽上松陣屋を通った際には、松平家を遇した牧野靭負(松本幸四郎)の息子・采女(斎藤工)の妻・千世(谷村美月)を戯れに弄び、千世の目の前で采女を殺害した。江戸屋敷の屋敷には、両手両足を切り落とし舌を抜いた女を囲い、飽きると路傍に打ち棄てた。斯様な悪逆非道を繰り返しながら、将軍は一年後、斉韶を老中に引き立てることを決めてしまう。

 斉韶が政に関われば国が危うくなる、そんな危機感を抱える者は大勢いたが、大義の前に如何ともし難く、土井も表立って異を唱えることは出来なかった。そこで彼が屋敷に呼び寄せたのが、御目付・島田新左衛門(役所広司)である。土井は島田に斉韶の凶状を伝えると、島田の役目を解き、斉韶の暗殺を命じた――土井の面子もさることながら、土井自身が斉韶を政道に携わらせる危険をひしひしと感じていたのだ。

 斉韶の非道ぶりに奮い立った島田は役目を引き受けるが、しかしその使命の難しさも自覚していた。斉韶の御用人・鬼頭半兵衛(市村正親)はかつて島田と同じ道場に通い、腕を競い合った仲である。お互いの手腕は重々承知しており、双方が相手方にいるとなれば、警戒を怠るわけにはいかなかった。

 間もなく、次の参勤交代が行われる。そのときに狙いを定め、島田は暗殺計画の準備を始めた……

[感想]

 しばらく数を減らしていた印象のある、娯楽性の高い時代劇だが、近年になって幾分増えてきた印象がある。山田洋次監督による藤沢周平の小説を映画化した3部作が国際的に認められたあたりがきっかけであったせいか、市井の人々の生き様を捉えることや、侍が戦いに臨むまでの推移などを丹念に、静かに描き、そしてクライマックスの決戦であらゆる想いを炸裂させる、という構成を取るものが多い。

 そうしたものと並べると、本篇は序盤から激しく刺激的だ。立ち回りこそないが、冒頭にいきなり暗殺計画の端緒となる間宮図書の割腹の場面が置かれ、ついで島田新左衛門に対して証言を聞かせる、という形で松平斉韶の非道ぶりが描かれる。島田ならずとも怒りに身震いするような慄然たる凶行の数々は、昨今の時代劇には珍しいほどの荒々しさだ。とりわけ、女性に対する狼藉は、耐性のない人なら目を覆いたくなるほどだろう。娯楽性の高い、過激な作品を多く発表してきた三池崇史監督の本領発揮と言えるかも知れない。

 任を帯びた島田が共に暗殺計画に携わる仲間を見つけ、策を練り、訓練に励むくだりこそ、目立って大きな立ち回りはないが、その分だけ静かに、しかし滾る闘志を感じさせる描写が多く、温度は高い。特に、島田が老中土井の命を帯びて動いていることを悟った鬼頭が島田の屋敷を訪ねる場面など、穏やかに過去を懐かしみ、そして秘めた想いを語っているだけなのに、ヒリヒリするような緊張感がある。終盤約50分がすべて落合宿での決戦に充てられているだけに、ほとんどが熱気を伴う描写で占められているも同然なのだ。

 普通これほど緊迫した場面が続くと観ているほうも疲弊するが、さほどそうは感じないのは、点々と軽く盛り込まれたユーモアのお陰だろう。この部分で貢献が大きいのは、木賀小弥太というキャラクターと、それを演じた伊勢谷友介の存在だ。刺客の中で唯一侍ではない、山に暮らす野人という設定だが、それ故に侍を縛る精神論と無縁であり、奔放な振る舞いはクライマックスの決戦のただ中にあってもしばしば弛緩を齎す。しかもそれと同時に、侍たちが意固地に守り続ける価値観の滑稽さと哀しさとを浮き彫りにしていくのだから、実に巧みだ。

(決戦直前、岸部一徳演じる宿場の大物とのやり取りは少々行きすぎで下品すぎるが、あれは同じ三池崇史監督と伊勢谷友介出演による『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』にも似たような趣向があり、三池監督の手癖に近いものだろう。人によっては抵抗を覚えるだろうが、流れとしては『〜ジャンゴ』よりも自然なので、個人的には笑いつつ感心したひと幕でもあった)

 しかし、出色は物語の中心にある松平斉韶という人物像である。具体的には描かれていないが、どちらかというと昼行灯のような雰囲気を漂わせる島田新左衛門を奮い立たせ、仕える鬼頭半兵衛に複雑な想いを抱かせるこの斉韶という男、だが面白いことに、随所で吐く台詞は正鵠を射ている。侍とは如何なるものか、生きるとはどういうことか、まるで戯れのように吐き捨てるその言葉は、傍若無人な振る舞いに重ねると、建前を逆手に取った自己弁護に過ぎないが、だが小弥太を除く他の誰よりも本音を口にしているとも考えられる。クライマックス、窮まった挙句に漏らす述懐はそれを証明しており、物語全体に虚ろな余韻を添える。そして、乱世に生を受けていれば或いは英雄となり得たかも知れないこの男の姿に、憐れみさえ感じさせるのだ。これほど衝撃的に、“斬られるべき人間”として見事に描き出されたキャラクターは珍しい。テレビ番組でも一種超然とした振る舞いの目立つ稲垣吾郎も素晴らしく嵌っており、忘れがたい。

 クライマックスがあまりに混沌とした乱戦に絞られ、剣の達人が混ざっているわりには華麗な殺陣がない、また主要登場人物たちの死にざまがわりと呆気なく描かれていることに不満を抱くかも知れないが、しかしそこで無理に檜舞台を与えていないことが、本篇の迫力と生々しさに繋がっている。代わりに導入された、刃こぼれや獲物を失ったときに備えて、あちこちに刀を突き立てておく細工や、一騎打ちの間際に刃の血糊を拭う所作、更には木の棒や石塊、しまいには拳を用いてでも最期の瞬間まで敵を打ち倒そうとする姿といった、表現上の工夫が記憶に残る。

 前述の通り、壮絶な戦いの果てに、敵方の大将はある人物、そして観客に虚しい想いを抱かせる。にもかかわらず、底に奇妙な清々しさがあるのは、ある意味で本篇の登場人物はひとり残らず、最期の瞬間まで輝きを放ち続けたからだろう。信義や侍という価値観の無意味さ、命のありようを問いながらも、だが誰もが己の役割を果たしたこの物語の結末は、壮絶かつ汚穢にまみれながらも美しい。

 昨今の、凛々しくもしかし何処かお行儀のいい時代劇に飽き足らなかった人にお薦めしたい、重量級の時代活劇である。

関連作品:

着信アリ

妖怪大戦争

スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

ヤッターマン

座頭市 THE LAST

必死剣鳥刺し

コメント

  1. umineko01 より:

    いい意味でやんちゃ坊主が好き勝手やってるような映画で大変面白かったです。ジャンゴは食わず嫌いで未見だったのですが記事を読んで興味がわきました。一度見てみます

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