原題:“SAW 3D” / 監督:ケヴィン・グルタート / 脚本:パトリック・メルトン、マーカス・ダンスタン / 製作:マーク・バーグ、オーレン・クルーズ / 製作総指揮:ダニエル・ジェイソン・ヘフナー、ピーター・ブロック、ジェームズ・ワン、リー・ワネル、ステイシー・テストロ、ジェイソン・コンスタンティン / 共同製作:トロイ・ベグノート / 撮影監督:ブライアン・ゲッジ / プロダクション・デザイナー:トニー・イアーニ / 編集:アンドリュー・クーツ / 衣装:アレックス・カヴァナー / キャスティング:ステファニー・ゴリン,C.S.A.,C.D.C. / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:トビン・ベル、ケアリー・エルウェズ、コスタス・マンディラー、ベッツィ・ラッセル、ショーン・パトリック・フラナリー、ジナ・ホールデン、レベッカ・マーシャル、チャド・ドネッラ、ローレンス・アンソニー、ディーン・アームストロング、ナオミ・スニッカス、ジェームズ・ヴァン・パタン / ツイステッド・ピクチャーズ製作 / 配給:Asmik Ace
2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間30分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+
2010年10月30日日本公開
公式サイト : http://saw3d.asmik-ace.co.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2010/10/30)
注:本作はシリーズ旧作『SAW』『SAW2』『SAW3』『SAW4』『SAW5』『SAW6』の内容を踏まえております。なるべくネタバレはしないように心懸けていますが、どうしても抵触せざるを得ない部分、推測する材料を齎してしまう表現が含まれる恐れがあります。今後鑑賞するつもりのある方は、シリーズをすべてチェックした上で御覧になるか、ネタバレが含まれることを覚悟のうえでご覧ください。
[粗筋]
ジョン・クレイマー(トビン・ベル)が元妻ジル・タック(ベッツィ・ラッセル)に託した“罠”を、ホフマン刑事(コスタス・マンディラー)は生き延びた。ホフマン刑事からの逆襲を恐れたジルは、警察内務調査課のマット・ギブソン刑事(チャド・ドネッラ)を訪ね、すべての事実を語ることと引き替えに保護を求める。そのことを察知しながら、ホフマンは新たなゲームに着手する。
同じ頃、世間では“ジグソウ”の犯行をネタに、着実に名声を高めつつある男がいた。その男、ボビー・デイゲン(ショーン・パトリック・フラナリー)は“ジグソウ”のゲームを生き残ったと称し、その経験を著してベストセラーにすると、テレビ出演や講演で着実に収入を上げていた。
彼は自分以外の、“ジグソウ”のゲームから生還した人々を集めた“生還者の会”を主催、自らのプロモーションのために、その会合の様子を撮影する。生き延びたことの価値を説く参会者がいる一方で、腕を切り落としたお陰で障害者用のパスを入手したことぐらいしかメリットはなかった、と吐き捨てる者もいる中、デイゲンは熱弁を振るう。
だが講演の帰途、デイゲンは何者かによって拉致され、目醒めたときには、鉄製の樽状の檻に閉じ込められていた。間近に用意されたモニターに映るのは、鎖によって繋がれたデイゲンの妻ジョイス(ジナ・ホールデン)。やがて映像が切り替わると、あのビリー人形がデイゲンに向って語りかけた――
他方、ジルを保護していたギブソン刑事の元に、ホフマンから映像によるメッセージが届いた。ジルを引き渡さなければ、多くのものを犠牲にすることになる――そう脅されても、ギブソン刑事に応えるつもりはなかった。
ジョン・クレイマー亡き後、様々な思惑が絡みあい複雑化していく“ジグソウ”の犯行。この混沌に、“GAME OVER”を告げる者はいるのだろうか……?
[感想]
衝撃的な第1作から7年、ギネスにまで刻まれたシチュエーション・スリラー・シリーズの、完結篇である――少なくとも製作者はそう語っている。従来は新作発表時にはだいたい次の作品の準備が始まったことを匂わせていたが、今回はほぼ全否定、現時点ではサイド・ストーリーも前日譚も本格的に着手している気配はないので、少なくとも一区切りをつけよう、という意志は製作者の態度にも、何より作品自体にもはっきりと感じられる。
率直に言えばこのシリーズは、作を追うごとに脱線が著しくなってきた。特に、最初のジグソウ=ジョン・クレイマーの死が確認され、第2の後継者ホフマン刑事の存在が明らかにされた第4作以降は、命を賭したゲーム、というよりは犠牲者がもがく様を見て愉しむかのような凄惨な“拷問”としか呼びようのない仕掛けが主流となり、どんでん返しや伏線を駆使した驚きは演出されているものの、第1作にあったビリビリとした葛藤、天地がひっくり返されるような強烈なインパクト、第3作までで執拗に訴えていた、何かを犠牲にすることで生の実感を得る、という“ジグソウ”の独善的だが極めて深甚な“哲学”の魅力はどんどん薄れていった。いずれ何処かで幕を引かねばならないなら、そろそろ頃合いであったことは間違いないだろう。
はじめから“最終章”であることを明言し、満を持して公開された本篇は、だがこんな風に第1作に魅せられてシリーズを追ってきたファンの期待に十全に答えたものとは言い難い。
色々と指摘したいところは多いのだが、最も不満に思われるのは、登場する数々のゲームが、最後に明かされる仕掛けとあまりリンクしていないことだ。観終わったあとで考察してみると、実はその内包する主題が重なり合っており、まるっきり違うものを束ねて映画1本分の尺を埋めた、などという姑息な意図で成り立っているわけではない、と解るのだが、如何せんそれがうまく呼応していないので、観終わったあとできちんと考察するような者でなければ、違うものを同時に見せられた、という印象を抱いただけで終わりになる。
結末のサプライズにしても、実はそのネタ自体は悪くない――見抜きやすい、という嫌味はあるが、問題はむしろ、このエピソードの中で描かれたトラップやドラマの中に積極的な伏線がしかけられていないことだ。これまでのシリーズはどんどん「ちゃんと追っていないと解りにくい」という内容になっていったが、それでもサプライズ自体は本篇の中に仕掛けや伏線が施されていたのに、本篇はその痕跡がほとんどない。ここに工夫があれば――というより、ずっと最初の精神に忠実であろうとしたシリーズだったのだから、最後までもっと繊細な注意を払って欲しかった。ファンとして、このことがとにかく惜しまれてならない。
シリーズ初となる3D映像も、一部でそれを意識した描写はあるが、ほとんど記憶に留まらない程度のものだった(グロテスクな映像に耐性のない人なら充分衝撃を覚えるだろうが、そもそもそんな人は本篇を観ることはまずあるまい)し、もっと言えば演出のセンスも最初の3作あたりと比較するとだいぶ落ちる。こう言っては何だが、これまで以上、でなくとも同等の驚きを、と期待して劇場に足を運ぶファンは失望を禁じ得ないだろう。
だが、中途で放り出されたり、曖昧な状態にして突如として続篇が発表されるような成り行きが多い中で、“終結”を明言し、それを実感させるようなストーリーを準備して、きちんと従来通りのペースで発表した、その姿勢からは製作者達の誠実さを窺わせるし、不満はあっても確かにひとまず区切りはつけた、という手応えを齎していることは評価すべきだろう。
実のところ、続篇を作ろうと思えば作れる種類の締め括りだし、個人的には続篇が作られても何ら不思議はないと思うし、作られたらまた鑑賞するつもりでいる。だが、ひとまずはきちんと区切りをつけたエピソードであり、第1作から僅か6年のあいだにここまで独自の世界を構築し、完結させたことは賞賛したい。7年間、めいっぱい楽しませていただきました――願わくば、もっとハイレベルな着地点を見出して欲しかった、とは思うが。
関連作品:
『SAW』
『SAW2』
『SAW3』
『SAW4』
『SAW5』
『SAW6』
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