『白いリボン』

『白いリボン』

原題:“Das Weisse Band – Eine Deutsche Kindergeschichte” / 監督&脚本:ミヒャエル・ハネケ / 脚本協力:ジャン=クロード・カリエール / 製作:シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、マルガレート・メネゴズ、アンドレア・オキピンティ / 製作総指揮:ミヒャエル・カッツ / 撮影監督:クリスティアン・ベルガー / プロダクション・デザイナー:クリストフ・カンター / 編集:モニカ・ヴィッリ / 衣装:モイデレ・ピッケル / 音声:ギヨーム・シアマ、ジャン=ピエール・ラフォルス / ナレーション:エルンスト・ヤコビ / 出演:クリスティアン・フリーデル、レオニー・ベネシュ、ウルリッヒ・トゥクール、ウルシナ・ラルディ、フィオン・ムーテルト、ミヒャエル・クランツ、ブルクハルト・クラウスナー、シュテフィ・キューネルト、マリア=ヴィクトリア・ドラグス、レオナルト・プロクサウフ、ライナー・ボック、スザンヌ・ロタール、ヨーゼフ・ビアビヒラー、ブランコ・サマロフスキー、セバスティアン・ヒュルク / 配給:TWIN

2009年ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア合作 / 上映時間:2時間24分 / 日本語字幕:齋藤敦子 / R-15+

2010年12月4日日本公開

公式サイト : http://www.shiroi-ribon.com/

銀座テアトルシネマにて初見(2011/01/01)



[粗筋]

 1913年7月、ドイツのとある閑静な村で、それは音もなく胎動を始めた。

 村の学校で働いていた教師(クリスティアン・フリーデル)の目からすると、その発端はドクター(ライナー・ボック)の落馬事故である。屋敷の入口に、目に見えないような細く硬い針金が渡され、それによって馬が転倒したのだ。ドクターは以来2ヶ月以上の入院を余儀なくされる。

 翌る日、小作人(ブランコ・サマロフスキー)の妻が製作所の床から地下へと転落し、死亡するという事故が起きた。腕を痛め、野良仕事から外されたあとでの事故に、長兄マックス(セバスティアン・ヒュルク)は村の有力者であり雇用者である男爵(ウルリッヒ・トゥクール)に対する不信感を顕わにするが、家族全員が男爵に雇われていることから、小作人はマックスに沈黙を守るよう命じる。

 それからしばらくのあいだ平穏が続いたが、秋の収穫祭を経て、相次いでふたつの事件が起きる。男爵の所有するキャベツ畑が何者かによって荒らされ、そして男爵の長男ジギ(フィオン・ムーテルト)が打擲されたうえ逆さ吊りにされて発見されたのだ。

 牧師(ブルクハルト・クラウスナー)のミサの席で、珍しく挨拶に立った男爵は、集まった村人を前にこう言い放った。「誰かは解らないが、犯人は必ずこの中にいる。必ず捜し出せ」

 男爵夫人(ウルシナ・ラルディ)はジギを連れて村を離れ、入れ替わるようにドクターがようやく帰還した。そして村には、不気味な気配が漂いはじめる……

[感想]

 この作品、本来なら何の予備知識もない、まっさらに近い状態で鑑賞したときに、その主題が一番強烈に響き渡るものだと思う。だがそれだと、最後でただ拍子抜けしただけ、で終わるタイプの観客も触れてしまうことが想像されるだけに、まず触れておいた方がいいかも知れない。

 本篇で提示される謎は、基本的に解決は描かれない。

 語り口は終始ミステリー・タッチだ。作中登場する教師が後年、一連の出来事を回想する、
といった体裁で、老いた教師のナレーションを手助けに、村で起きた事件が綴られる。時折、教師の視点では確かめられるはずのない描写を織り交ぜているが、それを問題にする気が起きないほどに、謎の不気味さが際立っている。

 だが、基本的には誰ひとり、積極的に謎解きに赴こうとしない。それよりはむしろ、話が進むたびに、目隠しを強要するような圧迫感がじわじわと募っていく。村に対する影響力甚大な男爵の存在と、我が子の“純粋さ”に対して厳格であろうとする牧師、このふたりを中心に漂う抑圧的な空気が、序盤から禍々しさを醸しだし、それが次第に物語を支配する。

 しばしばカメラが向けられながら、その真意を一切窺わせない牧師のふたりの子供の不気味さも強烈だが、この作品の複雑さ、異様な闇を誰よりも象徴しているのは、ドクターかも知れない。最初はいわば単純な、何者かの“悪意”の犠牲となった人物として物語に顔をちらつかせるだけで、その詳細はほとんど描写されないが、いざ療養から帰還すると、次第にその表情が変わっていく。映画も後半になって彼が示す言動には、慄然とせずにいられない。

 そうして、登場人物たちの異様な言動が際限なく仄めかされた挙句、物語はほとんどの事件について明白な解答を示さないままに幕を下ろす。ただ、よくよく吟味しながら鑑賞していれば、説明はされないものの、解釈のしようはある、と感じるはずだ。少なくとも、無理矢理不気味にしようとして陰惨な事件を織りこんでいるのではなく、ひとつひとつ必然的な成り行きの上に顕れた、何らかの“反応”であると察せられる。仮にそこまで直感しえずとも、表面的な描写を繋ぎあわせていくだけで、見えてくるものがあるはずだ。

 エピローグに該当する部分で矢継ぎ早にナレーションが語る、当時のドイツを中心としたヨーロッパ諸国の社会情勢と重ね合わせたとき、そこに異様な地響きに似た感覚を味わう。本篇はフィクションであり、舞台も架空の村であるが、この連携におぞましさを感じさせる手腕はただ事ではない。

 謎解きのような空気を漂わせながら解明をせず、ヒントばかりを無尽蔵に鏤めながら、更に不気味な背景を匂わせる本篇は、まるで僅かに光を通す包帯に目隠しをされて、突如放り出されるかのような感覚に陥れる。虚心に、シンプルな感動ばかり求める方には間違いなく応えてくれない作品だが、そこに物足りないものを感じているようなら、是非ともスクリーンに臨んで欲しい――違った意味で、何かが胸に響くはずだから。

関連作品:

ピアニスト

昼顔

記憶の棘

瞳の奥の秘密

ブラディ・サンデー

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