『スプライス』

『スプライス』

原題:“Splice” / 監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ / 原案:ヴィンチェンゾ・ナタリ、アントワネット・テリー・ブライアント / 脚本:ヴィンチェンゾ・ナタリ、アントワネット・テリー・ブライアント、ダグ・テイラー / 製作:スティーヴン・ホーバン / 製作総指揮:ギレルモ・デル・トロ、ドン・マーフィ、クリストフ・ランデ、イヴ・シュヴァリエジョエル・シルヴァーシドニー・デュマ / 撮影監督:永田鉄男 / プロダクション・デザイナー:トッド・チェルニアフスキー / 特殊メイク:グレゴリー・ニコテロ&ハワード・バーガー / 編集:ミシェル・コンロイ / 衣装:アレックス・カヴァナー / キャスティング:ジョン・バカン、コンスタンス・デモントイ、ジェイソン・ナイト / 音楽:シリル・オフォール / 出演:エイドリアン・ブロディサラ・ポーリー、デルフィーヌ・シャネアック、ブランドン・マクギボン、シモーナ・メカネスキュ、デヴィッド・ヒューレットアビゲイル・チュー / 配給:KLOCKWORX

2008年カナダ、フランス合作 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:種市譲二 / R-15+

2011年1月8日日本公開

公式サイト : http://www.splice-movie.jp/

新宿バルト9にて初見(2011/01/08)



[粗筋]

 生化学者のクライヴ(エイドリアン・ブロディ)とエルサ(サラ・ポーリー)は人類史に残る偉業を成し遂げようとしていた。様々な生命体の遺伝子を結合させることで、人間の蛋白質に適応した雌雄の新しい個体を生成することに成功した――つまり、新しい“種”を誕生させる手前まで到達したのだ。

 だが、彼らの雇い主である製薬会社は、繁殖実験よりも、生成した個体から採取する蛋白質でワクチンを生み出す、第2段階への移行をクライヴたちに迫った。いつまでも、収益の見込めない実験に予算を費やすことを惜しんだのである。

 その裁定にどうしても納得のいかないふたりは、空いている実験室を無断で使用し、独自に実験を継続した。完成した種よりも更に発達した新しい胚を、人工子宮を用いて成長させる。

 異変は間もなく起きた。順調に育っていた胎児は、だが予定より数ヶ月も早く“誕生”を遂げたのだ。オタマジャクシのような形状で、尻尾の先端に鋭い針を持ったそれは、明らかにふたりの想定していた“種”とは異なるものだった。悩んだ挙句に、処分する決断をしたクライヴたちは、だがふたたび訪れた実験室で、更に驚くべきものを目撃する。それは脱皮し、2本の脚を生やした別形態になっていたのだ。

 エルサはその成長に目を輝かせ、密かに経過を観察することをクライヴに提案する。クライヴはやむなく承知した――彼らが生み出したこの新しい“種”が、やがて彼らの想像を凌駕して進化していくことに気づかずに。

[感想]

 特殊なシチュエーションでの生存競争を描いた『CUBE』で世界的にその名を知られて以来、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督は毎回、観客の予測の裏をかくような作品を発表しつづけてきた。第2作『カンパニー・マン』は無機質なヴィジュアルが独特な雰囲気を醸しだすSFスリラー、続く『NOTHING [ナッシング]』は家の外の世界が消えてしまった奇妙なシチュエーションで繰り広げられるスラップスティックと、恐らく『CUBE』で瞠目した観客からしてみれば意外で、少々期待からずれた作品が相次いでいる。久しぶりに登場した本篇も、『CUBE』のようなもの、といった漠然とした期待を抱いて劇場に足を運べば、不満を覚える可能性は高い。

 しかし、すべての作品を鑑賞してみると、実のところナタリ監督の作風というのはきっちりと確立されていることに気づくはずだ。特異だがSFやホラー、サスペンスなどで繰り返し用いられる、或いは既存のものを敷衍することで生まれる設定をベースに、観るものを翻弄するようなストーリーを構築する。そしてその物語を、一貫性のあるヴィジュアルで支える、というスタイルは、ここに掲げた3作でも本篇でも全く変わっていない。

 遺伝子工学で誕生した新種の生命を巡るホラー、というと何となく『エイリアン』のようなクリーチャーもの、誕生した生命によって多くの人命が奪われ、主人公たちの生き残りを賭けた戦いが――といったストーリーを漠然と想像させるが、そういう想定のもとで予告篇やキーヴィジュアルを眺めると、どうも物足りなさを禁じ得ない。目の離れた、“グレイ”と呼ばれるタイプの宇宙人を彷彿とさせるクリーチャーのデザインは、薄気味悪くはあるが危機感を呼び起こすようなものではないからだ。

 だが、観ているうちに、本篇はそもそもそういう血腥い駆け引きをメインとしたものではないらしい、と気づくはずだ。そもそも、問題のクリーチャー――のちに“ドレン”と名付けられる新種の生命の一歩手前に造り出される雌雄の個体は、およそ一般的な生き物とはまるで見た目が違う。実際に映画を観ていただければ解るが、そのヴィジュアル自体が非常におぞましい代物だ。

 物語は確かに、生態の不明瞭な物体と接するが故の緊張感、恐怖感を終始孕み続けるが、それが具体的に何らかの危害を齎すような場面は案外少ない。故に、SFホラーを期待して鑑賞すると落胆するだろうが、しかし新種の生命を造り出すうえで生化学者ふたりが対峙する、様々な問題が生み出すドラマは、きちんと裏打ちされているので説得力があり、見応えがある。

 本篇は、普通のホラー映画のような死や肉体の危機に瀕する恐怖よりもむしろ、ヴィジュアル自体が齎す薄気味悪さや、主役ふたりが科学者として、人間としての倫理を踏み外していく様の恐ろしさ、そういう恐怖を思わぬ角度から与えてくるクリーチャーの脅威を描くことに焦点を当てた作品なのだ。

 だから、極めて絞り込まれた登場人物のメインに、演技派のエイドリアン・ブロディサラ・ポーリーという2人を配し、次々と起こる予想外の事態に繰り返し変化する主役ふたりの心情を真に迫るものにしたわけだ。ふたりともこうしたカルト作品、ホラー作品への出演経験も多く、違和感が乏しいながらも演技力に不足がないことは、本篇にとって不可欠の要素だっただろう。

 そして、映像におけるバランス感覚も秀逸だ。序盤で登場するクリーチャーの造形の不気味さもそうだが、次第に変わっていく“ドレン”の不気味な容貌が、ある時期を境に奇妙な魅力を放っていく様も絶妙なのである。人は完璧に整った風貌よりも、少し崩れている、違和感があるぐらいのほうが魅力を感じる、という説があるが、本篇における“ドレン”の成長後の容姿はまさにそうした魅惑的な不均衡を体現したものだ。本当に製作者がそこまで計算していたかは定かではないが、この物語にとっても重要な変化をきっちりと表現できているあたり、ヴィジュアル・センスの高さで定評のあるヴィンチェンゾ・ナタリ監督の本懐を感じさせる。

 そう考えていくと、やはり本篇はヴィンチェンゾ・ナタリ監督らしく、そしてこの監督以外の手ではなかなか巧みに描くことの出来ない素材だったと言える。

 基本的な発想は決して突飛なものではなく、伏線も丁寧なので、大まかな展開は予想できるが、しかし予想させたうえで微妙にタイミングをずらし、最後まで観客の関心を惹き続ける語り口が巧みだ。そして、これも決して予想不可能ではないエンディングに、物語中盤のある台詞を反復させることで虚無的な余韻を含ませるあたりにも唸らされる。

 恐らく本篇は、SFという単語にもホラーというジャンル分けにも無関心に、ニュートラルな立ち位置で鑑賞したときに最も効果を上げる内容であり、そういう意味では出だしから損をしている。だが、その狙いを正しく見極めたうえで鑑賞すれば、『CUBE』以来決して揺らいでいないナタリ監督の映画作りにおける姿勢とセンスとを実感できる、極めてクセのある傑作であろう。いちど観て首をひねる人も多いかも知れないが、私は本篇を高く評価したい。

関連作品:

CUBE

カンパニー・マン

NOTHING [ナッシング]

プレデターズ

Re:プレイ

コメント

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