『英国王のスピーチ』

『英国王のスピーチ』

原題:“The King’s Speech” / 監督:トム・フーパー / 脚本:デヴィッド・サイドラー / 製作:イアン・カニング、エミール・シャーマン、ギャレス・アンウィン / 製作総指揮:ジェフリー・ラッシュ、ティム・スミス、ポール・ブレット、マーク・フォリーニョ、ハーヴェイ・ワインスタインボブ・ワインスタイン / 撮影監督:ダニー・コーエン,BSC / プロダクション・デザイナー:イヴ・スチュワート / 編集:タリク・アンウォー / 衣装:ジェニー・ビーヴァン / 音楽:アレクサンドル・デプラ / 音楽監修:マギー・ロドフォード / 出演:コリン・ファースジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム=カーター、ガイ・ピアースティモシー・スポールデレク・ジャコビジェニファー・イーリーマイケル・ガンボン、ロバート・ポータル、エイドリアン・スカボロー、アンドリュー・ヘイヴィル、ロジャー・ハモンド、パトリック・ライカート、クレア・ブルーム、イヴ・ベスト / 配給:GAGA

2010年イギリス、オーストリア合作 / 上映時間:1時間58分 / 日本語字幕:松浦美奈 / 字幕監修:小林章夫

第83回アカデミー賞作品・監督・脚本・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・撮影・美術・衣裳・編集・音楽・音響効果候補作品

2011年2月26日日本公開

公式サイト : http://kingsspeech.gaga.ne.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/02/26)



[粗筋]

 のちのジョージ6世、当時のヨーク公(コリン・ファース)が最初にその欠点を公衆に晒したのは、博覧会の開会スピーチの場でのことだった。父・ジョージ5世(マイケル・ガンボン)に頼まれてマイクの前に立ったヨーク公だったが、緊張で幼少の頃からの吃音癖を顕わにしてしまったのである。

 王位継承権第1位は兄のデイヴィッド(ガイ・ピアース)にあるため、決してスピーチに立つ機会は多くないが、治す必要を痛感したヨーク公言語聴覚士のもとを訪れる。だが、胡乱な治療方法に不審を抱き、プライドを傷つけられたヨーク公は間もなく懲りてしまう。

 ヨーク公夫人・エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)は簡単に諦めることなく、自身の伝手を頼って、およそ貴族には不似合いな下町へと赴く。うらぶれたアパートの一室でスピーチ矯正専門家の看板を掲げているその人物、ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)は、それまでの言語聴覚士とはまるでタイプが違っていた。貴族が身分を偽って予約を取っていたことにこそ最初は驚いたが、あくまでも立場は平等だ、と言い張り、ヨーク公にここを訪ねるよう求める。

 そうしてやって来たヨーク公をバーティと親しげに呼び、治療らしき行為になかなか着手せず雑談を続ける。しまいには、「いまでも普通に話すことは出来る」と言い、ヨーク公にヘッドフォンで大音量の音楽を聴かせた状態でシェイクスピアを朗読させた。しかし意味の解らないやり方に、埒があかない、と思ったヨーク公はそれ以上取り合わず、カウンセリングを切り上げてしまう。

 だが後日、ジョージ5世に不甲斐なさを叱責されたことがきっかけで、カウンセリングのあとに渡されたレコード盤を聴いたヨーク公とエリザベスは驚愕した――そこには、淀みなくシェイクスピアを読み上げるヨーク公の声が、確かに吹きこまれていたのだ。

 認識を改めたヨーク公はふたたびローグのもとを訪れ、本格的な治療に臨む――

[感想]

 一国の元首となる血筋を連綿と受け継ぐ王家ともなれば、多かれ少なかれ醜聞はつきまとう。現在のイギリス王室でも様々な騒動が持ち上がっているが、それと比べると吃音癖などは可愛い方ではないか、と傍目には思える――しかし、なまじ高貴な家柄にあり、しかも第2位とはいえ王位継承権があり、必要に応じて人前に立つ場合もあるとなれば、プレッシャーは相当なものだっただろう。本篇は実際に吃音癖に悩まされていたという英国王ジョージ6世と、彼のアドヴァイザーであり友人でもあったライオネル・ローグふたりを中心としたドラマである。

 本人が強いコンプレックスを抱いている“病”が主題、しかも王室の出来事となると妙に重厚かつ沈鬱なものになりそうな印象があるが、本篇にはそうした雰囲気はない。品格と重厚感はあるが、決して堅苦しくなく、重みはありつつも独特の軽さがあり、むしろ親しみやすい仕上がりだ。

 それは多分、全篇が快いユーモアで彩られているからだろう。最初の博覧会でのスピーチこそいささか痛々しいが、その後のヨーク公と妻・エリザベスや、言語聴覚士とのやり取りは細々と笑いを誘う。充分なウイットを備え人付き合いも巧みな印象のあるエリザベスは無論ながら、人見知りのきらいのあるヨーク公でさえも、細かなジョークをちりばめてくる。

 とりわけ、ヨーク公の救世主として現れるライオネル・ローグという人物の人柄が傑出している。相手が王族と解ったうえでも「我々は対等だ」と言い放ち、出向いての診察ではなくヨーク公と細君を呼びつける。物怖じすることなくジョークを繰り出し、ヨーク公を振り回す様は痛快なほどだ。

 それでも、コンプレックスから立ち直っていく様をそのまま描いてしまえば退屈になりかねないところだが、本篇はヨーク公がやむなく王座に就き、歴史的に重大な局面に対処せねばならなくなる過程と、吃音癖との戦い、そしてヨーク公とローグが絆を強めていく過程とをうまく織っていくことで、ドラマ的なスリルを演出し、途切れることなく観客を牽引する。そしてその最高潮に置かれたスピーチの場面を、見事にクライマックスに仕立ててしまっているのだ。ドイツとの開戦に際して国民に向けてラジオ放送されたこのスピーチは、局面としては妥当な内容のはずなのに、ヨーク公の持つ問題を知る人々の緊張感を巧みに伝えるとともに、ヨーク公と彼を支えたローグやエリザベスとの絆を窺わせ、スリルと感動とを表現している。

 この作品の面白いところは、実のところそんなに予算を費やしていないのが端々に窺えるところだ。主演のコリン・ファースにしてもジェフリー・ラッシュにしても、名優揃いであるのは疑いないが決してスターではない。撮影に用いられる舞台も決して多くなく、当時の霧の多さを逆手に取った映像は恐らく、用意されたセットやロケーションの乏しさ、悪条件を誤魔化すためのものだろう。そうした、予算を抑えるための工夫を覗かせているにも拘わらず、全篇に安っぽさは微塵もない。むしろ、狭い枠の中でも厚みのあるドラマを描き出せるという自信のようなものを漂わせている。それが、英国王室を扱うに相応しい風格をも作品に与えているのだろう。物語が進むに従って、意識的に吐き出される汚い言葉でさえも、その風格が呑みこんでおり、品性を滲ませるほどだ。

 実のところ、ジョージ6世の吃音癖は現実でもそうだったように、物語の中でも矯正しきれていない。だが、それを受け入れ、向き合ったうえで、大衆の前に現れたジョージ6世の姿に、序盤で見せたような弱々しさ、神経質な頼りなさはもはや見られない。本篇は、コンプレックスを巡るユーモラスで快い物語であると共に、ひとりの男が自らに課せられた責任を担うに足る人物へと成長する過程を描いた物語とも言える――そこに、決して安易な“勝利”を織りこんでいないのが、本篇の誠実さであり、リアリティであり、稀有な価値に繋がっているのだろう。

 個人的にニヤリ、とさせられたポイントがある。全篇にユーモアが横溢していることは触れたが、特に秀逸なのは、王室という特異な地位を揶揄する場面だ。

 序盤、初めてローグのもとをエリザベスが匿名で訪ねたとき、夫の仕事について訊ねられて、当初は言葉を濁した。そこでローグは、彼女の夫の立場を“隷従的なものか?”と問いかけるのである。

 この問いかけは、のちほどのヨーク公と彼の父、そして兄とのやり取りと呼応する。放棄することの出来ない特権は、本質的に何よりも強固な束縛と変わりないのだ――そういう真理をきちんと描いている作品は、案外珍しいように思う。

関連作品:

マンマ・ミーア!

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

アリス・イン・ワンダーランド

クイーン

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